自分の修煉を重視すると、真相を伝える道はどんどん広がっていく
■ 印刷版
 

文/遼寧省の大法弟子 

 【明慧日本2025年3月26日】私は1998年に修煉を始めた女性の大法弟子です。20代の頃から修煉を始めて以来、修煉こそが最も重要なことであると考え、真・善・忍に同化するよう努力し続けるとともに、法輪大法を広め、より多くの世人が恩恵を受けられることを願ってきました。

 最近、自分の修煉の状態を振り返ると、まだ強い自我があり、善念が十分ではないことに気づきました。私は、自分の固定観念や思考を改め、大法の正しい法理と善意をもって全てを量るようにしようと思います。自分の計画や考えに執着し、人に自分の意見を聞かせたいと思うのではなく、他人の立場に立って物事を考え、自我を放下し、他人を理解するよう心掛けます。真相を伝える中では、世人の良くない感情に流されたり、肉眼で見える偽りの現象に惑わされたりすることなく、常に善念を保つよう努めます。

 現在、物事を行う際の出発点や一つ一つの思考を「他者のために」という方向へと変えていけるよう、悪念や私心を取り除くように努めています。早く善良で他者を思いやる境地に到達できるよう、精進したいと考えています。

 努力して自我を取り除く

 私は、日常生活で出会う人や出来事が、自分の修煉の向上に役立つものであることに気付きました。たとえば、真相を伝える中で、極端な人に出会うことがあります。そのような人は非常に傲慢で、尊大で、偏狭な態度を示しています。このような人に出会うのは偶然ではなく、私自身にも同じような要素があるのではないかと考えます。その人は私にとって一面の鏡であり、謙虚であることや、広い視野と包容力を持つこと、他人を急いで否定しないことを思い出させてくれる存在です。

 また、日常生活で不満ばかり言う人に出会ったとき、自分にも同じような心があることに気づきました。それは、思い通りにならないことがあったとき、自分の内側に原因を探すのではなく、自我を守るために外側に原因を求めてしまうという心です。この本質は、悪しきものです。それぞれの人が置かれている環境は異なりますが、不平や不満を外に向けるとき、師父が按配してくださった修煉向上の機会を拒絶していることになるのです。

 私たちは皆、宇宙の末劫の時期に存在する生命です。もし師父が広大な慈悲をもって宇宙大法を伝えてくださらなかったなら、私たちは生命の基準が何であるかを知ることすらできなかったでしょう。大法の基準に従って自分を正した人は、この点において、混濁した世の中で輝く金の光のような存在です。ですから、トラブルの中で自分が絶対に正しいと思ってはなりません。

 もし私たちが皆、不満を抱く心を修めて取り去り、神を信じ、運命を信じ、謙虚で感謝の心を持つことができれば、良いことでも悪いことでも、師父の按配が最善であると信じるようになるでしょう。悪い出来事は私たちの業を消し去ったり、執着心を修めて取り去るためのものです。このように考えれば、心の中は陽光に満ち溢れることでしょう。

 悪魔は人を直接従わせることができないため、人々が苦難を避けたい、出世したい、生活を楽しみたいという心理を利用し、人々が物質的な生活に、より多くの関心を寄せるよう仕向けます。その結果、人々は道徳の高い基準を維持することを忘れ、徐々に神の教えや伝統から遠ざかり、自我を肥大化させ、ますます傲慢になり、最終的には悪魔に支配されていることにすら気づかなくなるのです。

 『悪魔が世界を統治している』の「序文」にもこう記されています。「神に対抗する共産邪霊の狂気は、そのまま支配下に置かれた人間を狂気に陥れる。その狂気にとりつかれた者は権力や金銭、知識を振りかざして神であるかのように振舞い、他人の運命や歴史の流れをも左右しようとする。そしてこの狂気にとりつかれた考え方はやがて社会の流れを形成する」

 そのため、自分の意見が採用されないと不快に感じたり、批判されることを受け入れられなかったり、他人を理解できないのは、全て自分を証明しようとする出発点から来ています。これが修煉に大きな障害をもたらします。謙虚になり、大法に基づいて内に向かって自分を修めることだけが解決の道です。

 私自身が自分を修める努力をする中で、真相を伝える道もますます広がっています。

 真相を伝える中での小さなエピソード

 以下は、最近真相を伝える中で世人との交流から生まれた小さなエピソードをいくつか記録したものです。

 明慧カレンダーを求める少年

 明慧ネットが2025年版の明慧カレンダーを発表した後、私はそのカレンダーを印刷して冊子を作り、配布していました。2024年9月中旬のある日、住宅地の入口近くの道路脇で、60歳過ぎの女性がタクシーを呼ぼうとしている様子を見かけました。その隣には、6~7歳くらいの少年が玩具の剣を振り回して遊んでいました。私はその老婦人に無料でカレンダーを渡し、カレンダーの中には法輪大法が世界中で広がっている様子や小さな物語が載っていることを伝えました。しかし、彼女は受け取りたくないとのことでした。

 私はそのまま前に進みました。すると、後ろから小さな男の子の声が聞こえてきました。「どうして受け取らないの?!」老婦人は「欲しいなら自分で取りなさい」答えました。すると、男の子は私の方に走ってきて、「待って! 欲しい!」と叫びました。

 私は彼に明慧カレンダー『法輪大法 世界に広がる』を渡すと、彼は両手で受け取り、胸に大事そうに抱きしめました。私は彼に「法輪大法は真・善・忍を教えています。全世界でたくさんの人が修煉しています。あなたはまだ小さく、中共の少先隊に入っていないなら、真・善・忍に従って良い子になれば大丈夫です」と伝えました。すると彼は「少先隊に入ったことがあるよ」と言いました。

 私は彼がまだ学校に通っていないと思っていたので、急いで言いました。「赤いスカーフは亡くなった人の血で染められたものを象徴しています。不吉です。仮名で脱退すれば安全を守ることができます。帰ったら、この冊子に載っている物語をじっくり読んでみてね」

 私はすぐに彼に仮名を付けてあげました。すると彼は「わかった!」と言い、走り去っていきました。

 仏教徒の目覚め

 ある時、バス停で夫婦に出会い、『明慧期刊』を渡しました。女性は、法輪功が迫害されていることや、テレビでの法輪功を中傷する宣伝がすべて嘘であることを知っていると話しました。また、自分は仏教徒であることを明かし、法輪功を修煉していた同級生がこの理由で懲役7年の判決を受けたと教えてくれました。その同級生が刑務所から戻った後に見舞いに行ったところ、非常にひどい迫害を受けていたとのことです。夫婦は同級生が再び迫害されることを心配して、その同級生に仏教の経典を渡したそうです。彼女は、仏教の理論と法輪功は似ていると考え、その後、その同級生は仏教に改宗したと言いました。

 これを聞いて、私は非常にショックを受けました。大法弟子がもし正念を堅持できなければ、衆生との互助・救済の関係は、たちまち互いに害を与える関係に変わってしまうのだと痛感しました。

 私は次のように言いました。「ちょっと想像してみてください。もしあなたが2000年以上前の古代インドに生きる仏教徒だったとして、当時の古代インドで仏教が迫害され、釈迦牟尼仏を信じるだけで斬首される状況だったとします。その時に、ある理論を持ち出してあなたに他の宗教に改宗すれば斬首を免れると言われたらどうしますか? おそらく、仏法に対して正念を堅持できない仏教徒の中には信仰を放棄する人もいたでしょう。しかし、その本当の理由は命を落とすのが怖いということであり、それ以外の理由はすべて言い訳に過ぎません」

 これを聞いて彼女は即座に言葉を失いました。その表情を見ると、彼女の内心でも大いに葛藤しているようで、信仰と生死の狭間で選択することの難しさを感じているようでした。

 その後、私は20年前に労働教養所で迫害を受けた経験を話しました。その時、生死を乗り越え、正念を持って迫害を抜け出したこと。そしてこの26年間、健康を維持し、一度も薬を服用したことがないことを伝えました。彼女はすぐに夫に向かって言いました。「見て、信じないわけにはいかないわね」

 さらに私は、師父が全世界の衆生に説かれた経文『なぜ人類が存在するのか』を彼女に勧めました。この経文には、宇宙や人類に関する多くの天機が明かされており、宗教界の人々でさえ読んで感銘を受けていると説明しました。彼女はすぐに師父の経文を受け取り、家に帰ってじっくり読むと約束しました。その後、功法の動作についても私に質問しました。

 無神論者の共産党脱退

 ある日、バス停のベンチに眼鏡をかけた男性が座っているのを見かけました。私は彼に『明慧期刊』を渡しました。彼は自分が無神論者で、神仏や迷信的なものに興味はないと言いました。しかし、私に隣に座って話をするように示唆しました。私は座った後、「法輪功は実は、真、善、忍の基準に従って人々の思想や行動を修正し、人々の道徳を高めることが主な目的です。法輪功を修煉している人々は非常に多く、単独政党が支配する国では妬まれて迫害を受けているのです。私たちは生きた魚すら殺さず、人を殺すことや自殺することなんてあり得ません。天安門焼身事件は、江沢民が法輪功を迫害するためにでっち上げた偽の事件です」と言いました。

 彼は「道徳を講じて良い人間になるという点については賛成ですが、病気を治すことについては信じていません。実際、私たち一般市民は江沢民が法輪功を弾圧することは間違っていると考えています」と話しました。

 私は次に、労働教養所で拷問を受けていたときに実際に感じた神の守護について話しました。私たちは刑務官によって氷の部屋に閉じ込められ、冷凍迫害を受けました。山壁には厚い氷が張り、息をするたびに白い煙が立ち上がりました。刑務官は氷の部屋の外から私たちを嘲笑いながら「師父、私たちにエネルギーをください」と言いました。 その言葉が聞こえた瞬間、私は頭から足まで熱い流れを感じ、夜には足に温かい風が軽く吹いているような感覚がしました。向かいの同修も私に手を触らせてくれて、手が温かく、全く冷たくなかったのです。私たちを監視している人たちは24時間交代勤務をしており、私たちは24時間氷の部屋に閉じ込められていました。後に監視員たち全員が凍傷を負ったのですが、私たちには何も異常がありませんでした。彼女たちは刑務官に「彼女たちは命を顧みないのか、私たちは命が大事だ、私たちは凍傷を負った、もう彼女たちを見張りすることができない!」と言いました。 結局、刑務官らは私たち全員を普通の部屋に移すことになりました。その後、私はさらに他の拷問についても彼に話しました。

 彼は話を聞いて非常に感動し、「中国に人権なんてあるわけがない! 信仰の力は誰にも変えられない! 共産党はひどすぎる」と言いました。彼が党員であることを知った私は「私たちが人々に脱党を勧めるのは政治的なことではなく、道徳的な精神覚醒に基づいています。この邪悪な組織の一員であることは、悪事を助けること、そして恥ずべきことです」と言いました。私は彼に仮名をつけて、邪党からの脱退を勧めました。彼は喜んで同意しました。最後に、私は彼に『明慧期刊』2冊、『江沢民の三つの大罪』と更新版の特刊『三退についての質問と回答』を一緒に見せました。彼は『明慧期刊』の中にある客観的なニュースの写真を見て、特に「世界の道徳危機の背後にあるもの」というテーマに興味を持ち、家に帰ってからじっくり見てみると言いました。

 ある日、買い物帰りに学校の門の前を通りかかると、道端で休んでいる女性がいました。私は荷物を石の上に置いて休憩しました。その女性はすぐに親切に新聞を渡してくれ、石の上に座るためにそれを敷いてくれました。私はそのまま座って彼女と話をしました。彼女はとても親切で伝統的な人でした。その時、もう一人年配の女性が通りかかり、私たちにペンを借りに来ました。私はいつもペンを持ち歩いているので(退党リストを書くために)、そのペンを貸しました。しばらくして、その女性はペンを返し、「ありがとう! 今日はペンを借りられて助かりました。さもなければ、もう一度走って行かなければならなかった」と言いました。

 彼女は縁のある人だと感じ、彼女が去っていく背中を見ながら、真相を知るチャンスを与えるべきだと思いました。そして、隣に座っていた女性に「ちょっと彼女に話をしてきますね」と言って、ペンを借りた女性を追いかけました。「無料でお渡しする雑誌がありますので、見てください」と言いながら、バッグから明慧更新版の雑誌『永恒』を取り出し、数ページをめくって紹介しました。彼女は確かにご縁のある人で、「いいですね! 今日は時間があるので、詳しく教えてください」と言いました。

 振り返ると、先ほど石に座っていた女性はすでに立ち去っていたので、私たちは再び石のところに戻り、画集をめくりながら話を続けました。アメリカ合衆国議会が『法輪功保護法案』を通過させたことを話すと、彼女は「今、世界中がこの問題に注目しているんですね! 臓器の生体摘出は本当に邪悪ですね! 人は善悪を見分けなければなりません!」と言いました。彼女が党や団体に入ったことがあるか尋ねると、「隊には入ったことがあるけれど、父は資本家だから、ほかは入らせてくれなかった」と言いました。私は彼女に仮名を使って退団を勧め、彼女はとても喜びました。「今日は遠いところから来たので、帰らなければならないんです」と言いました。私たちはその後も歩きながら話を続け、彼女は共産党がどのように人々を迫害したかについて語り始めました。彼女が働いていた小さな工場では、資本家を批判する集会で初日から3人が殺されました。「その時は三角鉄を使って叩いていたんです! 本当にひどかった!」と言いました。その日、家に帰った時、父親がまだ生きていたのを見て、彼女はとても嬉しかったそうです。しかし、彼女は父親が殺されるのではないかと心配していました。彼女は道路脇の商業施設を指さし、「今の自営業の小さな経営者たちはみんな資本家じゃないですか? それが何の罪ですか? 共産党は人を苦しめるんですよ!」とも言いました。そして、共産党に従って人を叩いていた人たちは、後に報いを受け、運動が終わった後、みんな罰を受けたとも語りました。

 ある時、私は交差点で信号待ちをしていると、1人の男性に『明慧期刊』を渡しました。彼は表紙を見てすぐにそれを胸に隠し、「これは人に見せられません! 正直言って、私は1人の小さな一般市民で、大きなことはできません」と言いました。私は「あなたが真実を理解し、善良な側に立つことを選べば、それで十分です! 善には善の報いがあり、将来あなたは福報を得るでしょう。あなたがその役割を果たせるだけで十分です」と言いました。その時、信号が青に変わり、彼は大きな歩幅で道の中央に歩いて行きましたが、突然振り返り、感動した様子で大きな声で「ありがとう!」と言いました。

 師父が縁のある人々を私のところに送ってくださり、チャンスを作って命を救うことができることに感謝します。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/10/490270.html
 
関連文章