文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月4日】私は農村の大法弟子で、今年42歳になります。私の家は田舎にありますが、子どもが小学校に通うようになったとき、学校は町にあり、家からとても遠かったため、スクールバスでの通学が不便でした。そこで、私は町に民家を借りて、子どもと一緒に生活しながら小学校に通わせることにしました。子どもが4年生になったとき、夫が私のために小さな店舗を借りてくれ、小さなファストフード店を始めることになりました。主に子どもたち向けの食事を提供するお店でした。その頃、夫は出稼ぎに行っていたので、私は一人で店を切り盛りしていました。
100元を落とした男の子
ある日の午前9時過ぎ、2人の男の子が来店し、いくつかの料理を注文して店内で食事をしました。支払いの時が近づいた頃、1人の男の子が「お金が見当たらない」と言いました。私はただ2人の会話を聞いていただけで、特に気にすることはありませんでした。子どもたちは食事を終え、店を出て行きました。
彼らが出て行った後、私はそのテーブルの横に100元が落ちているのを見つけました。その時、次回彼らが来たらお金を返そうと思いました。しかし、気づいたらそのまま2年以上も待っていました。その間、私はお金を資料作成をしている同修に渡し、同修に人を救うために使ってもらおうかとも考えましたが、結局渡しませんでした。この出来事はそのまま忘れられてしまいました。
2年後の歳末、私はカウンターで1人の男の子に注文を取っていました。彼がとても見覚えのある顔をしていたので、ついじっと見てしまいました。後ろの厨房で料理を作り終え、その料理を彼の前に持っていった時、思わず男の子と話し始めました。私は彼に、2年前に私の店で食事をした時、どの席に座っていたか、そしてその時お金をなくしたかどうかを尋ねました。男の子は、「あの日、私は食事を終えた後、学校を離れて南方に進学しました。その後、戻ってきてもこの小さな店には来ていません」と言いました。
私は言いました。「あの日、あなたが出て行った後、椅子の下で100元が見つかりました。それはあなたが落としたお金です。あなたに返したいと思います」。男の子は目を大きく見開き、「2年前に落としたお金を、今返してくれるのですか?」と驚いた様子で言いました。私は「はい、そうです」と答えました。男の子は信じられないという表情で私を見つめていました。
私は彼に説明しました。「私は大法弟子で、私たちの師父は私たちに『真・善・忍』を基づいて良い人になるように教えています」。私は大法の真相を彼に話し、三退をさせました。そして「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と心に刻み、神仏のご加護を得ることができる話しました。彼は頷きながら賛同し、何度も感謝の言葉を言って、微笑みながら私を見つめていました。これは、生命が本当に大法の真相を理解し、大法によって救われる喜びの微笑みだと思います。
チャンスを逃さず、女の子に大法の真相を伝え三退させる
私たちの町には高校があり、毎年卒業生や新入生の入れ替わりがあります。多くの子どもたちは卒業後、なかなか再会することがありません。私はその機会を活かし、縁のある生命に大法の真相を伝え、三退を行うようにしています。
ある日の昼、ある女の子が店に来ました。私たちは知り合ってかなりの時間が経ちました。彼女はもう卒業します。私は彼女が注文したものを作り、出しましたが、正念が足りず、真相を話すべきかどうか迷ってしまいました。結局、私は声をかけることができませんでした。彼女が去った後、私はとても後悔し、心の中で師父に「もう一度チャンスをください」と願い、彼女を救うために師父にお願いしました。
私は毎回、縁のある人に真相を伝える前に、その生命に向かって強い正念を発し、彼らが救われるのを妨害している邪悪な生命と要素を取り除きます。そして、師父に加持を求めます。こうしてほとんどの場合、彼らは真相を理解し、三退をしています。
数日後、その女の子が本当にまた店に来ました。私はとても嬉しくて、師父に感謝しました! 急いで彼女に偽りの「天安門焼身自殺」事件や、大法の広まり、中国共産党の生体臓器収奪、天災や人災の話をしました。最後に三退について紹介し、彼女はスムーズに三退を行いました。彼女が帰る時、「明日、南方に行って仕事を始めます」と言いました。その言葉を聞いて、私はさらに師父に感謝の気持ちを抱きました。本当に人を救うチャンスは一瞬で過ぎ去ってしまうことがあると感じました。
私の小さな店はもう開店して9年になります。9年間の紆余曲折を経て、ずっと師父に従い続けてきました。法を正す時間があとどれくらい続くかは分かりませんが、私はこれからも師父と共に歩み続け、何事もより良く、より良く成し遂げ、真の修煉する弟子としての道を歩んでいきます。そして、師父について家に帰ります。