【明慧日本2025年4月10日】昔、王さんという中年の男性がいて、生まれつき心優しく人助けが好きで、仏教の修行に励み、人々からは「王善人」と呼ばれていました。
ある日、彼は寺へ行き、自分がいつ成就できるか占ってもらいました。和尚は「毎日、仏様にお線香を捧げてください。そのお線香が燃えて、灰が三石六斗(さんごくろくと)になったら、灰を持って西へ行き、仏様に会えば正果を得ることができます」と告げました。石という単位は、人間が1年間に食べる米の量を基準にして設定された重量の単位です。キロに換算すると約150kgもの重さです。
王善人は家に帰り、和尚の言葉に従って熱心に修行しました。それから数年後、ついに三石六斗の灰を集めることができました。そこで、彼はロバを買い、大半の灰をロバの背に積み、自分でも灰1袋分を背負って西へと旅立ちました。ロバを引きながら一日中歩けば日が沈み、喉が渇き暗くなり始めた頃、宿を探すことにしました。
その時、西方の道に老人が立っており、「あなたはどこから来たのか、名前は何というのか? そんなに重い荷物を何のために運んでいるのか?」と尋ねました。王善人は質問に一つずつ答えました。老人は「それはいい。ちょうど私も西の方へ行くところだ、きっとあなたと何かの縁があるのだろう。そこであなたに頼みがあるのだが、聞いてもらえるだろうか?」と言いました。王善人が何事かと尋ねると、老人は「私は一日中歩いてきて、もうこれ以上歩けない。あなたのロバに私を少し乗せてくれないだろうか?」と言いました。王善人は少し困りましたが、すぐに「善を積むことを実践している以上、疲れ切った老人を助けるのは当然のことだ」と思い直して、ロバに積んだ灰の半分を自分で背負い、老人にロバに乗るように言いました。
老人がロバに乗ると、前より元気になりました。そして、再び王善人に「さっきはどこへ行くと言ったか? 歳をとると、忘れやすくていけない」と尋ねました。王善人は忍耐強く老人に「私は西へ行き、生き仏に会って、私の誠意を示すのです」と説明しました。老人は「ああ、今、理解したよ」と答えました。夜になり、宿に泊まり、王善人は「この老人を連れていては、進むのが遅くて疲れるばかりだ。仏様に会うのはいつになるのだろう。ダメだ、明日の朝は早く出発して、この老人を置いていくしかない」と思いました。
夜明け前、王善人は灰を積んだロバを引いて、人目を避けて旅立ちました。西へ向かう途中、ある村の入口あたりで待ち構えていた老人に呼び止められた。「おや、王善人、どうしたのか? あなたは善人のように見えるが、なぜ挨拶もせず先に行こうとするのか。幸いにも私は早起きしたので間に合った。さあ、さあ、ロバに乗って一緒に行こう!」。王善人は断りきれず、仕方なく老人をロバに乗せ、自分は半分の灰を背負って歩くことにしました。
途中、老人は「私も年のせいで記憶力が悪くてね、昨日聞いたことを今日は忘れてしまった。結局、西へは何をしに行くのか?」と何度も尋ねられ、王善人はイライラしながら「西へ仏様を拝みに行きます」と答えました。しかし、老人はまた「名前は王善人だとは覚えているが、何しに行くのか思い出せなくて、もう一度教えてくれないか?」と聞いてきました。王善人は怒りを抑えながらもう一度答えました。
このようにして老人は、一日中、何回繰り返したか分からないほど聞いてきたため、王善人は無性に腹が立ちました。一日が終わり、夜になり、旅館に泊まった王善人は「今度こそ早く出発して、この老人を置いて行かなければ」と決心しました。ロバに草を食べさせ、水を飲ませた後、夜が更ける前に灰を積んで出発しました。
思いもよらないことに、王善人が村の入口に着くと、ぼんやりとした人影が道を塞いでいるのを見ました。「王善人、王善人よ、その名前を持ちながら、なぜ善を行う者になれないのか。私たちは旅の伴であり、こんな年寄りで足も遅い私を、どうして置いて行けるのか。日ごとに早く出発して私を置き去りにしようとし、どうしてこんなに冷酷なのか」。王善人はやむを得ず、怒りをこらえて、ロバに積んでいた灰の半分を自分の背中に載せ、老人をロバに乗せました。
歩き始めるとすぐに、老人はまた同じ質問を始めました。「王善人、あなたは昼夜を問わず道を急いで歩き、どこへ向かっているのか? 何か大切な用事があるのなら教えてほしい」。王善人の怒りがこみ上げてきて、「老人よ、人の苦しみが分からないのですか。あなたをロバに乗せて、私自身は歩き、重たい灰も背負って苦しくて疲れているのに、あなたは気にも留めず、同じ質問を何度も何度も聞いてきます。聞くのは疲れないが、答えるのは疲れるのです」と答えました。そして最後に、「あなたの良心は犬にでも食べられたのですか!」と罵倒してしまいました。老人は軽々とロバから飛び降りて、王善人に「家に帰りなさい、西へは行かなくてもよい。生き仏である仏陀は、あなたのような修行者を受け入れない」と言って、老人は空へ舞い上がり、姿を消しました。
なんと、この老人こそ生き仏である仏陀だったのだと、王善人は悟りました。彼は地に倒れ、胸を叩いて泣いたのですが、どんなに後悔しても挽回のできないことでした。