![]() 張慧娟さん |
張慧娟さん(また張恵娟さん)は、かつて神経衰弱を患っていたが、1996年の秋に法輪功を学び始めてから、頑固な頭痛は消え去った。また優しくて親しみやすい性格になり、親戚や友人たちも心から良い人であると認められるようになった。その当時、張さんの家族は月収1500元(約3万円)で、子供の学費を支払うために生活は非常に厳しかった。しかし、法輪功を始めてからは家族3人が仲良く幸せに暮らし、温かい家庭を築くことができた。
50人以上の学習者が連行され 14人は拘禁された
2013年の正月、当時の黒竜江省省長の王憲魁は各地を視察に出かけ、哈同高速道路の依蘭から宏克力の区間では、「法輪大法は素晴らしい」、「周永康を裁く」などのスローガンが橋に掲げられ、そしてカラフルなスプレー缶で吹き付けられていた「天は中国共産党を滅ぼす」、「三退は命を救う」、「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」などの横断幕を見かけた。 王憲魁は激怒し、黒竜江省公安局局長で省政法委員会副書記である孫永波に直接、この事件を追及するために立件するように命じた。
連行行動が始まったのは2013年3月29日の夕方で、依蘭県公安局、方正県公安局は、依蘭県内、達連河鎮、三道崗鎮、道台橋鎮、団山子郷の法輪功学習者の名簿を事前に作成し、黒竜江省公安庁技術処の処長が自ら依蘭県に赴き、諜報手段により学習者の携帯電話番号を入手した。30分ごとに学習者を追跡して場所を特定し、携帯電話番号を知らない学習者に対しては、住居まで待ち伏せた。その日の夜6時、依蘭県と隣接する方正県、通河県などの公安局と派出所は一斉に行動し、その夜、必死で30数人を連行した。数日間に渡って、依蘭県、方正県、通河県で合計50人が連続して連行された。
その夜9時過ぎ、張さんの家の近くで張さんを監視していた1台の警察車両は、張さんの家が特定できなかったため、西側にある隣人の家の庭に飛び込んだところ、隣人の年配の男性にひどく罵られ、警官はこそこそと塀を越えて出て行った。そして張さんの家の前の道路の両端に車を1台ずつ停めて待ち伏せしていた。夜10時、張さんが帰宅した際に連行され、警官は家のガラスを粉々に割って侵入し、家の中をめちゃくちゃに荒らした。倉庫までひっくり返し、パソコン2台、プリンター12台、現金1000元(約2万円)などの私有財産を押収した。その夜、警官は張さんの夫である葛艶忠さんも暴行した上で連行し、公安局で取り調べを行い、翌日になってようやく解放した。
依蘭県の公安・検察・裁判機関は、政法委員会および「610弁公室」の指示の下で、14人の学習者を拘束・起訴し、張慧娟さん、莫志奎さん、孫文富さん、張金庫さん、劉鳳成さん、孟凡影さん、左振岐さん、費淑芹さん、呂鳳雲さん、陳艶さん、徐峰さん、李大朋さん、段淑研さん、姜連英らを対象に、5回にわたって連続的に不当な裁判を行い、弁護人に対してもあらゆる嫌がらせを加えた。14人の学習者はすべて不当な有罪判決を受けた。費淑芹さんは13年、張慧娟さんと莫志奎さんは12年、左振岐さん、呂鳳雲さんは6年、孫文富さん、張金庫さん、陳艶さん、劉鳳成さん、孟凡影さん、段淑岩さんは5年、姜連英さん、徐峰さん、李大朋さんは3年の不当判決を受けた。
張慧娟さんは黒竜江省女子刑務所で10年以上迫害を受けた
張さんは、懲役12年の不当な判決を受け、黒竜江省女子刑務所に収監されている。早朝から深夜まで強制的に奴隷労働に従事させられ、心身に極めて大きな圧力を受け、精神的にも深刻なダメージを被っている。
黒竜江女子刑務所は、あらゆる手段を用いて受刑者を迫害しており、特に学習者に対しては、拷問、脅迫、恐喝、奴隷労働、生活面での虐待、さらに持続的な洗脳による迫害を行っている。同刑務所は、学習者を安価な労働力と見なし、紙袋折り、紙箱貼り、包装袋の接着、つまようじ・箸・乾燥トウモロコシ豆の選別、小物工芸品の製作、コーヒースティックの仕分け、酒瓶のキャップ破砕、アルミホイルの研磨、つけまつげの加工等に従事させている。これらの作業は、身体にいかなる害を及ぼそうとも、金銭的利益が見込まれる限り受注し、学習者に強制しているのである。作業ノルマはいずれも過酷であり、箸、コーヒースティック、つまようじ等の一袋は35キロ、時に50キロを超える重さとなり、これを階下の車両から4階まで背負って運び、作業終了後には再び背負って倉庫へ搬送しなければならない。酒瓶キャップや調味料容器の加工においては、指で長時間押し続ける必要があり、指の爪がすべて剥がれてしまう者もいる。
紙箱や包装袋の接着に使用される黄色い強力接着剤は毒性が極めて高く、多くの者が全身のむくみや発疹、吐き気、嘔吐などの症状を引き起こしている。張さんも、この黄色い接着剤を使用するたびに全身が浮腫み、目が腫れて隙間すら開かなくなるほどであった。さらに、アルミホイルの毒性はそれ以上に深刻であり、作業はすべて監房内で行われ、防護措置は一切講じられていない。作業ノルマを達成できなければ就寝を許されず、罰として立たされたり、当番を強制されたり、買い物の制限や電話の使用禁止などの処罰を受ける。年齢の多寡や体調の善し悪しに関わらず、ベッドから起き上がれる者はすべて、強制的に労働に従事させられるのである。
「つけまつげの植毛作業」は、本来視力の良い若者が担当する仕事であるが、張さんにも若者と同様の作業が課され、成品の数で厳格にノルマが設定された。当時59歳であった張さんや白麗艶さんは、つけまつげの根元や先端すら目で確認できず、すべて手の感覚に頼って作業を行っていた。それでもノルマが達成できなければ、睡眠や食事は許されなかった。時には、グループ全体が連帯責任として食事を取り上げられることもあり、犯人グループのリーダーである孫晶(麻薬密売により死刑判決・執行猶予付き)によって、配給された食事がそのままトイレに捨てられることさえあった。刑事犯らには菓子類やインスタントラーメンなどの食べ物が許可されており、後からそれを食べることもできたが、大多数の学習者にはそのような備えがなく、空腹に耐えるしかなかったのである。
刑務所において学習者を迫害することに対し、減刑や特別待遇といった多大な報奨が与えられる制度のもと、受刑者孫晶らは積極的かつ執拗に迫害に加担していた。その結果、人間としての基本的な倫理観や是非の判断を喪失し、自らの良心を犠牲にしてまで、個人的利益のために法輪功学習者に対する非人道的な行為を繰り返していた。中には、夜間、床に就いている間でさえも、どのようにして学習者をさらに迫害できるかを思案している者すら存在した。ある時期、作業ノルマが未達成であった場合、孫晶は午前2時あるいは3時に全員を起床させて作業に従事させた。名目上は「65歳以上の者はノルマ免除とし、朝5時までの就寝を許可する」としていたが、実際には高齢者に対しても過酷な労働が強制されていた。ある日も、孫晶が午前2時過ぎに作業のため全員を起床させた際、当時68歳で足腰の弱っていた曹淑雲さんが起き上がれずにいた。これに対し、孫晶は他の暴力的な受刑者である任海晶と共に曹さんを押さえつけ、容赦なく頭部や顔面に対する激しい暴行を加えた。
このような行為は、国際人権基準に照らしても明白な違法であり、高齢者に対する虐待、強制労働、暴行など、複数の人権侵害に該当する。とりわけ、国家施設における組織的な迫害と、その推進に報奨制度が用いられている点は、国際社会における深刻な懸念事項である。
長期間にわたる栄養失調と過酷な労働の結果、ある日、張慧娟さんは重い袋を背負ったまま運動場で倒れた。袋があまりにも大きく、人々は前方へ歩きながらその様子を確認することができなかった。周囲の者たちは、張さんの上を袋を担いだまま踏み越えて進んでいった。後に誰かが叫ぶ声が聞こえ、「人が踏まれて死にそうだ!」と言われるとようやく人々はその場を開け、張さんは地面に横たわった。しばらくして彼女はまた必死に袋を肩に担ぎ上げ、再び歩き出した。しかし、2階に到達すると再びコンクリートの台の上で倒れ込んだ。周囲の者たちは張さんを寝室に運び、床に寝かせて少し休ませたが、張さんはその後もあきらめることなく、苦しみながらも再び起き上がり、与えられた袋を担ぎ続けた。
毎晩、孫晶がまつげの作業のノルマを取りまとめる際、ノルマを達成できなかった者は夜間、睡眠を与えられず、そのまま作業を続けさせられることとなった。時には徹夜で作業を強いられることもあった。まつげ作業に関わった全ての者は視力の低下に悩まされ、目がかすみ、目が痛むようになり、最終的には失明する者も出てきた。白さんは右目を失明し、その原因がまさに「まつげ作業」にあることが直接的な関連を持っている。
排泄を我慢させ、意図的にトイレに行かせないという行為は、黒竜江省女子刑務所において学習者を迫害するために用いられている悪質な手段の一つである。いわゆる「転向」を拒否する学習者に対しては、1日3回までという厳しい排泄制限が課される。刑務所内には70歳を超える高齢の学習者も多くおり、トイレに行く際には長い列に並ばなければならず、その過程で排泄を我慢できずに衣服を汚してしまう例が後を絶たない。中には若い学習者であっても、同様に我慢しきれず失禁する事態が起きている。1人の学習者が使用している間、他の者はその学習者が出てくるまで待機させられる。日中は「監視役」と呼ばれる刑事犯による付き添いが義務づけられ、排泄の順番が決まると、監視役たちが学習者に密着してトイレまで同行する仕組みとなっている。
黒竜江省女子刑務所において、学習者に対する拷問、暴行、体罰、侮辱、洗脳、そして過酷な奴隷労働といった精神的・肉体的両面からの残虐な迫害が日常的に行われている。その中で、数多くの学習者たちは、日々死の境界線をさまよいながら生き延びている状況である。具体的な事例として、学習者の馬翠芝さんは、トイレの使用を禁じられ、倉庫内の尿瓶で排泄を強制されたうえ、複数の「監視係」によってその尿を無理やり飲まされるという非人道的行為を受けた。また、チチハル出身の李二英さんは、長期間にわたり拘束具による拷問を受け、身体機能が著しく損なわれ、日常生活において自立できない状態となった。賓県出身の白麗艶さん(当時63歳)は、迫害により右目を失明し、大慶市の張淑芝さん(当時73歳)も一時的に失明状態となった。李艶傑さん(55歳)、王景翠さん(82歳)も同様に、自立した生活が不可能となるまでの身体的損傷を受けた。さらに、劉艶梅さんは独房に監禁された結果、精神に異常をきたした。死亡例も後を絶たず、鶏西市の滕淑麗さん(53歳)、大慶市の退職教師牟永霞さん(75歳)、孫呉県の楊立華さん(43歳)、ハルビン市の蘇雲霞さん(67歳)など、多くの学習者が拷問および長期の虐待により命を落としている。その他にも、多数の学習者が障害を負い、後遺症に苦しんでいる。
不完全ながらも得られている統計によれば、黒竜江省女子刑務所に収容された学習者のうち、少なくとも31人が迫害によって命を失い、身体的損傷を受けた者は全体の90%以上に上ると推定されている。特に2019年から2021年の3年間においては、孟紅さん、楊立華さん、王芳さん、李桂月さん、蘇雲霞さん、劉亜芹さんらが、刑務所内での残酷な扱いの結果として冤罪のまま命を落としたことが確認されている。