文/オーストラリアの大法弟子 Louisa
【明慧日本2025年5月5日】
尊敬する師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
私は1994年に法輪大法の修煉を始めました。今日、日々の修煉と、大紀元新聞社で働く中での体験を師父に報告し、同修たちと共有したいと思います。
1、大法の修煉を始める
子どもの頃から受けた無神論の教育の影響で、私は宗教や気功には興味を持たず、それを迷信だと考えていました。1994年の初めに『法輪功』の本を手に入れて、さらっと読んだだけで置いてしまいました。ただ良い人になるよう教えているではないか、自分はすでに良い人間なのだ、小さい頃から学業も品行も優秀だと思っていたからです。
1994年7月15日~19日、師父が湖南省郴州で伝法された際、幸運にも初めて師父にお会いする機会を得ました。師父について地元の名山・蘇仙嶺にも登りました。その体験は、私の神仏に対する理解を一新させました。師父はとても優しくて親しみやすく、物腰がとても柔らかくて、弟子たちの質問に対して微笑んで答えてくださいました。師父は非常に誠実で、全てを知り、全てをなし得る、非凡な存在だという印象を受けました。宿泊施設のスタッフも、「あなたたちの師父は本当に他の人とは違います。あなたたちから送られた朝食を無駄にしないように、三食、それを食べられました。部屋も非常に清潔で、布団もきちんと畳んでくださって、私たちが掃除する必要もありませんよ」と話しました。
その後、師父が開かれた法輪功の学習クラスに2回参加して、それで法輪大法の修煉を始めました。師父に体を調整して頂き、車酔いと生理痛から完全に解放されました。法を学ぶ喜びを感じながら、大法の不思議さを体験しながら、真相を伝え迫害に立ち向かう中で、師父のご加護のもとに今日まで歩んできました。
2、大紀元新聞社に入社
2017年6月、偶然に見えた機会一つで、私は大紀元新聞社の仕事に加わりました。社長は私を会計部門に入れて、売掛金の回収を担当させました。これは未経験の仕事で、社長は自ら私を指導してくれました。私は自分に2週間の試用期間を与えて、2週間でこの仕事に適合するかどうかを見極めたいと思いました。最初の1週間、昼食とトイレに行く時間以外、ずっとコンピューターの前でシステムの操作方法を学んだり、電話で得意先に連絡したりしました。腰や背中が痛くなり、足がしびれ、目も疲れて、プレッシャーがとても大きいと感じました。売掛金を回収できなかったら会社に申し訳ないと思い、この仕事は自分には向いていないと社長に伝えました。しかし社長は私を励まし、「あなたならできると思います。来週から正式に入社して、給料を払いますよ」と言ってくれました。
そこで、私はもう1週間システム操作と電話のかけ方を練習し、少し進歩して自信がつきました。そして、雇用契約を結び、私は正式に大紀元新聞社に入社しました。
3、使命を全うするためにいつでも大紀元の仕事を優先
売掛金回収は終わりのない、時間と労力を消耗するが感謝されない、でも非常に重要な仕事だと思います。なぜなら、資金がなければ会社は運営できないからです。始めの頃、会社の利益を第一に考えて、私は会社のイメージを守りつつ、定期的に礼儀正しく広告主と連絡を取り、支払いを促しました。しかし、私のやり方は大紀元の一部の同僚から支持や信頼を得られず、かえって理不尽な批判を受けることもあり、とても不公平に感じ、涙をこらえながら耐えましたが、何度も辞めようと思いました。
ある金曜日の朝、大学の指導教員から電話が来て、ある専門学校が教師を募集しているので、早く学部長に会って履歴書を提出してくださいと提案されました。その日は風が強く、1時間待ってようやくバスが来たので、やっと大学に行きましたが学部長は不在でした。指導教員からは、履歴書を準備し、月曜に再訪するようにと言われました。それで土曜日に履歴書を準備し、日曜日は天国楽団の練習に参加しました。
天国楽団の新しい練習所を探すため、車を運転しながら前に進むか曲がるかを迷って、考えていました。気づけば車は道の中央にあり、右側から急に車が来て、避ける間もなく相手の車が私の車の右側にぶつかりました。相手が主道の右側にいて、私が道を譲るべきなので、事故の責任が私にありました。
相手の車は新車で、保険会社の計算によると、私は4000オーストラリアドルを支払う必要があります。幸い、私が加入した保険会社は大半を賠償してくれて、私の自己負担は600ドルでした。事故の後、天国楽団の練習所を引き続き探しました。車のブレーキを踏んでナビを再設定するところに左側の歩道に通行人が来て、通行人に道を尋ねようとして、思わずブレーキペタルから足が離れてしまい、前に停まっていた車にゆっくりとぶつかり、またその車に600ドルの賠償をしました。さらに、自分の車の修理にも600ドルかかり、2回の事故で合計1800ドルを支払って、当時の月収は僅か1300ドルでした。
その日の交通事故は棒喝のように、私を完全に目覚めさせました。大法をどんな位置に置いているのか、自身の利益をどの位置に置いているのかを自分に問いかけました。修煉しながら衆生を救うためにここにいるので、裕福な生活を求めてここにいるわけではない、生活が少し貧しくても食べることと住む場所が確保できていますので、それ以上何を望むのかと思いました。大紀元の同修たちは長時間勤務して黙々と貢献しているので、皆さんとの差と自分の足りないところを認識しました。そこで、就職活動を止め、大紀元での仕事に専念しようと決めました。これが最も意義がある仕事で、私の使命だからです。ここで師を手伝い、衆生を救うのです。もし私が諦めたり後退したりしたら、自分の誓いを果たさないことになります。
しばらくして、例の専門学校から連絡が来て、半年前に私が応募したオンライン教育プロジェクトが始まったので、その仕事にまだ興味があるかと聞いてきました。私は「興味はありますが、週に2日だけ勤務できます」と回答しました。専門学校の仕事の時給は80ドルで、とても魅力的で、週に3~4時間勤務したら生活費を賄えますが、最終的に私は大紀元での週3日の仕事を優先しました。パンデミックが終わり、政府の補助金が停止した後、私は大紀元から週に2日分の給料しかもらえなくなって、仕方なくアルバイトをしたりしました。アルバイトの時間が大紀元の勤務時間と同じ時間帯になった場合、私は迷わず大紀元の仕事を優先して、日給200ドル超えるアルバイトを後回しにしていました。
(続く)