【明慧日本2025年5月12日】清の時代に著名な文人・紀昀が記した『閲微草堂筆記』(えつびそうどうひっき)の第4巻に、河北省献県で実際に起きたある出来事が載っています。
ある日、史さんが外から帰宅すると、彼と同じ村に住んでいる一組の夫婦とその子供が抱き合って泣いているのを目にしました。史さんは何が起こったのか尋ねました。
夫婦の隣人は「彼らは豪族に借金があり、返済を迫られた結果、仕方なく妻を豪族に売って借金を返すことになりました。夫婦仲が良く、子供もまだ小さいため、その悲しみは一層深いのです」と史さんに教えました。
史さんが借金の額を尋ねると、夫は「30両の銀」と答えました。さらに「奥さんはいくらで売られたのですか」と尋ねると、「50両の銀で、豪族の妾として売りました」と答えました。「契約は中止できますか」と史さんが尋ねると、夫は「売買契約書は書きましたが、お金はまだ払っていないため、もちろんまだ取り戻せます」と言いました。
史さんは躊躇わず、70両の銀を夫に渡し、「30両は借金返済に、40両は生計のために使ってください。二度と奥さんを売ることがないように」と言いました。
夫婦は涙を流して感謝し、ごちそうを作って家で史さんをもてなしました。食事が進む中、夫は子供を連れて外に出て、自分の身体で史さんの大恩に報いるようにと妻に目配せをしました。妻はそれを理解し、史さんにその旨を伝えました。
史さんは真面目に「私の人生の前半は盗賊をやって、後半は官署に入って捕り物役になって、いずれも人を捕まえたり殺したりしても平気でした。しかし、人の不幸に乗じて人妻を侮辱するようなことは絶対しません」と言って、その家を去りました。
半月後のある夜、史さんの住む村が突然の火事に見舞われました。ちょうど秋の収穫期で、各家の屋根や床下には稲わらと柴草が積み上がっていました。すぐに、多くの家は火に呑まれ、史さんの家もその中にありました。
火の勢いは凄まじく、史さん一家は家の中に閉じ込められ、逃げることができず、彼らは家の中で目を閉じ、死を待ちました。
その時、ふと屋根の上から「東嶽王の命令で、史さん一家は免除されます」という声が聞こえました。その後すぐ、家の壁の一部が突然、理由もなく崩れ落ちました。史さんは妻を連れ子供を抱きしめて、火の海から速やかに逃げ出しました。
鎮火した後、村で火事に遭った家は合わせて9人が亡くなったことが分かりました。村人らは史さんに敬意を表して、「この前はあなたのことを馬鹿だと笑っていましたが、しかし、70両の銀が本当にあなたたち家族3人の命を救うとは思わなかったです」と言いました。その言葉は半分しか言い当てていません。
中国古代では、男女の間の不道徳な性行為は大きな悪事と見なされています。もし史さんがその時、70両の銀を贈与した後に自制心を失い、夫婦の「尋常でない」感謝を受け入れていたら、70両の銀で行った善行は台無しになってしまうでしょう。
そのため、「史さんが神の加護を受けることができたのは、銀の贈与の功徳は4割を占め、色欲の誘惑を拒む功徳は6割占めます」と紀昀は書いています。このことは、善も悪も必ず報われることは事実だと証明しています。