「真、善、忍」に従い良き人となり、慈悲の心で衆生を救う
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年5月18日】私は1997年に法を得た大法弟子で、現在は教育関連の仕事に従事しています。20年以上にわたる修煉の中で、私は興奮、平穏、試練、そして中国共産党による法輪功への迫害の中で迷いと苦難など様々な過程を経験してきました。しかし、最終的に私の内に残ったものは、大法に同化することの喜び、そして師父を助けて衆生を救うという幸せ感でした。私の心には、師父と大法に対する深い尊敬と感謝の念に満ちています。ここでは、私が日々の生活や仕事の中で「真、善、忍」の原則に従って良き人間を目指し、慈悲の心で人を救うために行ってきたことの一端を、同修の皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、無事に仕事を見つけることができた

 私は、法輪功に対する邪悪な迫害により、2年以上もの間、不当に収監されました。労働教育所からようやく家に戻ったときには、かつて勤めていた大手国有企業はすでに倒産しており、新たな仕事を探さざるを得ませんでした。親戚や友人たちは、私が2年以上も外界と隔絶されていたことから、中国共産党の警官が言っていたように、現実社会に適応できなくなっているのではないかと心配していました。たとえば、道を歩いて信号を見てもどうしたらいいのか分からないのではないか? とさえ思っていたようで、私に近づこうとはしませんでした。しかし、現実はまったく違いました。私の心の中には常に「真、善、忍」と「法輪大法」がありました。そして私はずっと師父の説法を信じていました。たとえ労働教育所の壁であっても、大法の広大な慈悲を遮ることはできず、師父の宇宙における法を正す進程はすべて同時進行で進められているのです。どこであろうと、私はその恩恵から漏れることはありません。

 帰宅後、私にはお金も携帯電話もありませんでした。仕事を探すために、私は街へ出て、張り紙などの求人広告を見てまわりました。最初に応募したのは、高級革靴を扱う店舗でした。面接のとき、私は法輪功を修煉していることは特に伝えませんでしたが、会話の中で自然と「他人を思いやる」という法輪功の教えがにじみ出ていたようで、店主は私をとても気に入ってくれました。ただし、勤務時間が長かったため、私は丁寧にお断りしました。店主とは初対面でしたが、ほんの短い会話だけで、後日彼に会ったときにも、彼はどこか残念そうな表情を浮かべていました。私は深く分かっています。これは私の力ではなく、師父のご加護と励ましのおかげです。私の心に宿る「法輪大法」と「真、善、忍」の光が、彼の心に届いたのです。

 次に応募したのは、国内でも有名なジュエリーのチェーン店でした。就業には2000元(約4万円)の保証金が必要でしたが、私にはそのお金がありませんでした。担当者は、私の条件を見て特別に1000元免除するという配慮をしてくれましたが、それでも私は1000元すら用意できず、結局この話も流れてしまいました。その後も数社に応募しましたが、似たような理由でうまくいかず、最終的に私は教育関連の企業を選びました。そうすれば、仕事をしながら子どもの学習も支えられ、一石二鳥だと考えたからです。

 二、仕事を通して法を実証する

 私が勤めている企業は、全体的に高学歴の社員が多く在籍している会社です。一方、私は学歴がそれほど高くなく、10数年もの間ずっと工場勤務をしていたため、学生時代に学んだこともほとんど忘れてしまっていました。ですので、入社当初は非常に大きなプレッシャーを感じ「自分に本当にできるのだろうか?」と不安で仕方がありませんでした。それでも心の奥には、一抹の安心感がありました。「この職に就けたのは師父のご加護によるものであり、師父が私に与えてくださった修煉の機会なのだ」と信じていたからです。私は「この機会を大切にし、しっかりと修煉すれば、必ず乗り越えられる」と確信していました。

 仕事では、常に真面目で謙虚な姿勢を心がけ、分からないことがあればすぐに質問しました。それでも理解しきれなかった場合は、小さなノートにメモして、帰宅後に自分で調べ、参考書などで解決するようにしました。確かに業務は大変でしたが、大きなミスをすることはなく、何とかこなしていました。とはいえ、心のどこかに常に「物足りなさ」のような空虚感が残っていました。そんなある日、年下の同僚がふと皆に向かってこう言いました。「昨日、夢で〇〇さん(私のこと)が空にいるのを見たよ。きっとこの人は、将来この業界で有名になるんじゃないかな」私はその「空にいる」という言葉を聞いた瞬間「これは常人の口を借りて師父が私に示してくださっているのでは?」と感じました。そう、私は大法弟子です。普通の常人の生活を送ることがゴールではなく「法を実証する」使命を背負っている存在なのです。だからこそ、私はもっと師父の説法を読み、学法に励まなければならない、そのように深く自覚しました。

 それから間もなく、私は再び日常的に学法と煉功を始めました。これもすべて、師父の慈悲による導きだと感じています。大法は智慧を授けてくださいます。そのおかげで、私は仕事でも目覚ましい成果を上げるようになり、自然な流れで学科の主任に任命されました。このことは、私が会社内で真相を伝え、法を実証するうえで非常に有利な環境をもたらしてくれました。

 私が働いているこの企業は、全国でも上位にランクインする大手で、教育出版に関連する業界でもあります。そのため、管理体制は非常に厳格でした。たとえば、勤務時間中は会社の出入口が施錠され、社員は自由に出入りできません。また、勤務中の喫煙や私用電話も禁止されており、社員はかなり抑圧された雰囲気の中で働いていました。そのため離職率も高く、長く勤め続けている社員はごくわずかでした。それでも、数年ごとに社員たちが一斉に不満を爆発させる、いわば「社内騒動」のような出来事が起きると聞いていました。そして、私も実際にそのうちの一度を経験することになります。

 その日、各学科の責任者たちは全員呼び出されましたが、私だけは例外でした。おそらく、私の心の中に「真・善・忍」があるため、暴力的な抗議や「革命」のような行動とは無縁だったからかもしれません。しかしその後、ある意図を持った人物が私を異分子として捉え「彼女は法輪功を修煉している」と会社の社長に密告したのです。ちょうどその時期、私の雇用契約は満了を迎えており、会社側からは「契約を更新しない」との通知を受けました。いわゆる「穏便に辞めさせる」形での退職勧奨でした。

 私は、日頃から仕事に対して真面目に取り組み、報告は正確に、誇張や虚偽の報告は一切せず、同僚に対しても常に善意をもって接し、仕事の分担も公平に行ってきました。あらゆる面で「真、善、忍」の原則に従って自分を律してきたため、周囲の同僚たちは私に対してとても好意的でした。ですので、「退職勧告を受けた」と聞いたときには、正直、悔しさと怒りが込み上げてきました。しかし、心を落ち着けてからは「これは修煉者としての試練だ」と受け止め、平静な気持ちで向き合うことができました。私は社長のところに行き、こう伝えました。「私は法輪功を修煉しており、真、善、忍に従って良い人間であるようにと努力してきました。だからこそ、今回のような状況でも冷静に行動でき、他の社員のようにストライキに加わることもありませんでした。もしあなたがこの理由で私を辞めさせるのだとしたら、あなたの会社が求めている社員像とは一体どのようなものなのですか? 将来的に、どんな企業を目指しているのですか?」この話を聞いた社長は、勢いよく立ち上がり、何か言おうとしたのですが、言葉が出てこなかったようでした。きっと彼にとって、こうした対応は初めての経験だったのでしょう。私のオフィスの同僚たちも皆、私のために声を上げてくれました。中には「三退」をすることで、私への支持を表してくれた人もいました。

 こうして私はその会社を離れることになりました。今でも少し心残りなのは、当時、社長に法輪功の真相をもっと詳しく説明できなかったことです。後日、社長が人を通じて私に「戻ってきてほしい」と伝えてきましたが、私は「まだあの職場の全体的な環境が変わっていない」と感じ、戻ることはしませんでした。

 三、大法が恩怨を解きほぐす

 中国共産党の党首が交代した年、政策の見通しがなかなか立たなかった影響で、私のいる業界は大きな打撃を受けました。私はまた職場を変え、これで3回目の転職となりました。新しい会社で履歴書を見た責任者は、試用期間を免除してすぐに採用してくれることになりました。

 出勤初日、上司は私の前に仕事の資料を置いて、そのまま立ち去ろうとしました。私はすぐに「やり方を教えてください」と声をかけました。すると彼は、少し挑戦的な表情で「仕事経験のあるベテランなんでしょう? こんな作業くらい分かるんじゃないの?」と言ってきました。私は笑顔で、「たしかに経験はありますが、ここでは「郷に入れば郷に従え」です。だから、御社のやり方や細かい点は教えていただかないと」と答えました。その瞬間、彼は「ぷっ」と笑い出し、態度を和らげて丁寧に説明してくれました。この「郷に入れば郷に従え」という言葉が彼には新鮮に感じたようで、しばらくの間、事あるごとにそのフレーズを口にしては面白がっていました。

 その頃の私は、比較的精進しており、仕事中の心の持ちようも純粋で、損得など考えずに取り組んでいました。自分では当たり前だと思っていたことが、周囲の人々には驚きに映ったようです。ある日、社長から非常に難しい案件を任されたのですが、マネージャーは「夜10時まで残業しても終わらないかもしれない」と困り果てていました。やり方が全く分からず、どこから手をつければいいかも分からなかったのです。そこで私は一つの方法を提案したところ、皆で試してみると、なんと夜8時には順調に完了。マネージャーの負担が軽減され、業務の割り振りもスムーズになり、同僚たちも早く帰れることを皆で大喜びでした。

 その後、私は会社の重点育成対象とされ、視野を広げるために出張に派遣されることになりました。私は、師父の故郷に一度訪れてみたいという気持ちがあったので、北方への出張ルートを選びました。出張中は学法や煉功の条件が整っていなかったため、毎日仕事が終わった後に『轉法輪』の「論語」を暗唱して、自分の一日の言動が「真、善、忍」の基準に合っていたかを振り返り、気づいた点はすぐに正すようにしていました。

 10数日にわたる出張では、日中はお客様と面談して意見を集めたり、市場の調査に出かけたりしました。夜は基本的に列車移動で、寝台が取れなければ硬い座席での睡眠となります。そんな状況でも、私は世間話などは一切せず、眠れない時には静かに発正念をして、自らを清めていました。同行したマネージャーはかなり疲れた様子でしたが、私は大法の存在が心の支えとなっていたため、特に苦痛も感じず、むしろ充実感さえ覚えていました。

 出張から戻った後、マネージャーが出張報告を書くことになり、私に資料の整理を依頼してきました。私は何も言わずに全ての資料を渡しました。ところが、彼はそれを使い終わった後、無造作に机の隅に放り出したまま、私には何の連絡もありませんでした。私は偶然にそれを見つけ、資料にはすでに埃が積もっていました。彼に尋ねると「もう使い終わったよ」と一言だけ。私は怒ることもなく、黙って資料を持ち帰りました。その後まもなく、マネージャーの片腕が突然動かなくなり、半分が麻痺してしまいました。医者にかかっても原因が分からず、彼は怖くなって声を上げて泣いていました。私は他の同僚と一緒に果物を持ってお見舞いに行きました。

 その後、社長から私に「マネージャーになってほしい」と打診がありました。私は以前、工場勤務時代にいくつかの管理職を経験していましたが、会社という環境で「修煉」の道をきちんと歩んだとは言えなかったので、今回もお断りしました。しかし、この話がマネージャーの耳に入り、彼はそれ以来、私に対して何かと対抗するようになりました。ある時、彼が外注業者に加工を依頼したのですが、私は確かにその加工物を業者に渡しました。ところが、その後その加工物が予定通り戻らず、なんと未完成のまま私の机の上で発見されたのです。私は非常に驚き、状況を説明しました。普段から私が誠実で嘘をつかないことを同僚たちは知っていたため、大きな騒動にはなりませんでした。

 また別の日、出版社から講師が会社に来て、社員向けに講義を行ったことがありました。授業後、その講師が私に感想を尋ねてきた瞬間、マネージャーが急に現れて、フルーツの皿を私に押し付け、その講師の腕を取ってどこかに連れて行ってしまいました。私は何が起きたのか分からず呆然としましたが、むしろ可笑しく感じました。「まるでドラマのワンシーンのようなことが現実に起こるなんて」と、思わず笑ってしまったほどです。

 私は気にせず、怒ることもありませんでしたが、こうした状況が続くのも良くないと感じていました。直接真相を伝えようとしても、マネージャーは話を聞こうとせず、私が話し始めるとすぐ逃げてしまうのです。ある日、彼の娘さんが会社に来たことがあり、彼女がダンスに興味があると知っていた私は、神韻を紹介しました。これをきっかけに、私たちの関係も次第に和らいでいきました。

 さらに後には、誰かが法輪功のことで会社に騒動を持ち込もうとし、警察をけしかけて会社に来させようとする出来事がありましたが、そのときマネージャーは協力せず、関与を拒否しました。

 大法の師父は、貧富や地位に関係なく、すべての命を宝のように大切にし、慈悲をもって接し、細やかに守ることを私たち弟子に教えてくださっています。どうか中国の同胞たち、そして世界中の善良な人々が、法輪大法の素晴らしさを理解し、大法の素晴らしさを求め、大法の素晴らしさを実感していただけますように。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/29/492511.html
 
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