徹夜で法を書き写した後、すぐにネット封鎖を突破できた(一)
■ 印刷版
 

 文/中国河北省の大法弟子 子実

 
 今年の9月13日に、同修たちが書いた第8回中国大陸大法弟子ネット法会の交流原稿を私が代表して送信した後、明慧ネットを見ることができなくなりました。私は発正念を強化し、学法し、真面目に内に向けて探しました。また、三つのことをしっかりと行い、学法グループに参加して多くの同修と切磋琢磨しました。さらに、同修がダウンロードした新しいバージョンの自由の門のソフト(翻訳者注:ネット封鎖を突破するためのソフト)を自宅に持ち帰り使ってみましたが、依然として明慧ネットを見る事ができませんでした。
 
 私はとても焦り、師父の一段落の法を思い出しました。「必ず法をしっかり勉強すべきであり、それは皆さんが位に帰るための根本的な保障です。(弟子の皆さんが拍手) それは師父が軽々しく考えたことではなく、師父が皆さんに説いたのは宇宙の法なのです」(『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』)
 
 私はこれほど長く修煉し、法だけが全ての邪悪を破り、師父だけが全ての阻害を排除できるとを知っていました。私は何も考えず、心を静めて学法することにしました。私はパソコンを開き、師父の最新の説法『大法弟子とは何か』を学び始めました。すると、ほかの空間の邪悪は耐えられなくなりました。なぜなら、大法弟子が一旦法を学ぶと、彼らは消滅されるからです。そのため、彼らは全ての力を使って邪魔をしてきました。私が経文を2行読んだだけで、もう目を開き続けていられなくなりました。、いったん目を閉じると、すぐに夢うつつの状態に入り、集中できませんでした。これは学法中に他のことを考えてしまうことより、十倍も厳しい状態でした。
 
 これほど大きな邪魔があるのに、どうやって法を学べるのかと私は思いました。発正念をすることすらできませんでした。私は、「法を書き写そう。そうすれば絶対眠くならないはずだ」と思いました。法を書き写す中で、手、頭、目、心は一緒に働くため、寝てしまうことがないばかりか、一つひとつの文字が目に入り、そして心に入りました。こうして、夜8時から翌日の朝5時すぎまで、10時間近い時間を使って、便箋(B5)25ページに新経文『大法弟子とは何か』を一文字残らず、きちんと書き写しました。
 
 私が最後の一文字を書き写したとき、屋上に行って発正念をしようと思いました。私は屋上にあがり、空いっぱいの大小の異なる星を眺め、明け方のもやに覆われている村落を眺め、近くの柿やナツメや、ザクロなど、熟して赤くなった果実を眺め、まだ真相が分かってない世の人々のことを考えました。明け方の闇夜がゆっくりと終わり、日の出の時間になったとき、どのように多くの衆生を救うかを考えて、心の中で無量の感慨を覚えました。また、自分の使命は天のように重いと感じました。
 
 高い屋上に立って、正念と善念を持って、眠っている世の人々を呼び覚まし、大法を迫害し、明慧ネットを封鎖している邪悪な生命と要素を全力を尽くして取り除きました。それから、全世界の大法弟子の6時の発正念に参加して、邪悪を取り除きました。一晩中寝ていなかったのですが、とても元気で、さわやかで、その妙なる感覚は言葉で表すことができませんでした。
 
 屋上から降りてから、インターネットに接続すると、奇跡的に明慧ネットにアクセスすることができました。私は急いで明慧ネットの毎日の掲載記事をダウンロードしました。全てはとても順調でした。その時、偉大なる師父に対する感謝と大法に対する更なる堅信だけが存在していました。
 
徹夜しても、眠気がない
 
 私は徹夜で法を書き写しましたが、眠くないばかりか、書き写せば写すほど元気になり、ひいてはもう一篇の新しい経文『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』も書き写したくなりました。なぜなら、法を書き写すことで、法を学ぶことの良さと利点を実感したため、引き続き書き写したくなったのです。眠気がないことは大法がもたらした不思議な力です。常人なら、徹夜をして眠くならないことがあり得るでしょうか?
 
 法を書き写す中で、師父の説かれた「皆さんが本当に協調をとることができ、十分な正念を持ち、問題にぶつかったら内に向けて探し、修煉を始めたばかりのときのような情熱を持ってほしいと思います。常人のように、数分後、熱意が冷めてしまい、終わってしまうようではいけません」(『大法弟子とは何か』)を書き写すとき、修煉を始めた当初に戻ったような感じがしました。
 
 当時、印刷した経文は部数が限られ、協調人はとても遠い地区で印刷された経文を一部だけ持って帰ってきました。そして皆、手で経文を書き写していました。いくら長い経文でも、みな自分で一文字ずつ書き写しました。私は字を書くのが早く、毎回多くの老年の同修のために、法を書き写しました。私は少しも面倒だと感じていませんでした。そして自分が自ら書き写した経文なので、特に大切にしていたのです。
 
(続く)
 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/24/247109.html)     更新日付:2011年9月28日
 
関連文章