河北省:8年間迫害された法輪功修煉者が証言(二)
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「転向させることは迫害である」

 2003年10月16日、私は河北省満城の太行刑務所に移送されました。大隊長と包組隊長はボーナスをもらうため、私を独房に閉じ込め、邪悟者(ユダ)たちを使って私を転向させようとしました。また、警官らは4人の受刑者に指示して、私を煉功させず、ご飯を取りに行かせず、トイレに行かせないように見張りました。昼は私に転向を強要する映像を見せ、夜は1日ごとに私の寝る時間を遅くしました。私は断食で抗議しましたが、警官らは病院で胃を洗浄する太い管を使って私に灌食しました。その後、警官らは殺人犯に指示して私を殴らせました。最後に何人かの受刑者が私を地面に押しつけて「転向書」にむりやり印を押させました。私はその赤いスタンプインクを見て、悲しくてまる1日泣きました。その後、私は「厳正声明」を2部書いて、1部を刑務所の所長のポストに入れ、もう1部を隊長に渡しました。また、「転向させることは迫害である」という法輪功の真相についての文章を書いて、受刑者たちに見せました。

拷問の実演:灌食

 そのため、刑務所の警官は腹を立てて、受刑者に私を所長室に閉じ込めさせ、殴らせました。その後、受刑者は釘がついているベッドに縛り、手錠と足かせをつけて、私を24時間見張りました。7日後、また私を元の部屋に閉じ込めて、私を再び転向させようとしました。

 2004年9月、私は河北省二刑務所の八監隊に移送されました。私は血圧が高いにもかかわらず、警官らは私を休ませませんでした。そのため、私は頭がくらくらして石の床に倒れ、右の頬骨を骨折しました。刑務所では顔の手術ができないのですが、私に手術を受ける許可を下さなかったのです。その結果、私の顔には今でも浅い穴が残っていて、右の目も寄り、歯もゆるくなってしまいました。また、私はそこで何回も学法したため殴られ、何回も強制的に薬を飲まされました。刑務所の医者は私を彼女に従わせるため、管を鼻に刺すときに、強い力で引っ張り出したため、私は鼻血が止まりませんでした。

刑務所の医者に精神病の薬物を飲まされた

 2005年7月20日、私は石家荘女子刑務所に移送されました。最後の3年半の間、私はよく受刑者に殴られました。家族との面会も拒否され、日常用品を買うことも禁止されました。また、学法して法輪功の真相を伝えたため、3回も禁閉室に閉じ込められました。隊長は刑務所の医者に指示し、精神病の薬物を私のコップに入れさせ、それを飲んだ私は目がすわって歩くことも難しくなりました。

 2010年6月13日、私は釈放されて1年も経たないときに、再び河北省易県国保大隊と城区派出所の警官らに強制連行されました。家宅捜索で、何も出なかったにもかかわらず、1年の労働教養処分を言い渡されました。理由はほかの人から、私が8年前の迫害事実を裁判所に訴えるつもりだということを聞いたからだそうです。その後、私は河北省女子労働教養所に移送されました。

 労働教養所で、私の血圧は240まで上っているにもかかわらず、三大隊長は私に重労働をさせ、「転向書」にサインさせようとしました。2010年12月3日、私は高血圧3級で保釈されました。しかし、刑務所は私の家族から500元(約7000円)をゆすり取って、返却しませんでした。

幸せな家族が中共に迫害されて一家離散

 中国共産党による8年半の迫害は、私の心身や家族に大きな傷をもたらしました。私が連行された後、60代の姑は半身不随で寝たきり生活になってしまいました。夫は警官の嫌がらせを受け、2004年に脳血栓を患いました。娘は、家族に法輪功修煉者がいることで卒業に影響することを恐れ、「母は死亡した」という偽の証明書を書かされました。それでも、大学院を卒業した後、警官に公務員にはなれないと伝えられました。理由は、まさに私が法輪功を修煉しているからだというのです。幸せだった家庭は、迫害により一家離散しました。

 中国には、私のような法輪功修煉者が数えきれないほどたくさんいます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/16/246779.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/9/25/128329.html)     更新日付:2011年9月30日
 
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