師父は『洪吟』「衆生を広く済度する」の中で「法を得れば即ち是れ神」とおっしゃいました。このすばらしい宇宙大法を、慈悲なる師父は私たちに伝えてくださり、正法時期の大法弟子に神聖な使命と、この上ない光栄を賦与してくださいました。
正念が出ると、すぐに不思議なことが現れる
1997年の年明け、私は修煉を始めてすでに半年経っていました。毎朝集団煉功を行い、冬になると夜がまだ明けてないうちに家を出ました。その日、階段を下りるとき、不注意で足をひねりました。とても痛かったのですが、すぐ思ったのは、どのように座禅をするのかでした。このように思ってからすぐ、痛みは弱まり、しばらくすると何事もなかったかのように、なんの違和感もなくなりました。このことから、私は修煉に対する信念が強まりました。
迫害が始まってから半年後、大法弟子は続々と外でチラシを配ったり、横断幕を掲げたりして世の人々に真相を伝えました。当時は発正念のことを知らず、ただ純粋な一念を持っていただけで、慈悲なる師父は大法弟子を見守ってくださりました。
ある日私は、オートバイのトランクに真相資料を入れて出かけました。私は道路で二人の警官に止められ、トランクの中を見たいと言われました。私は一瞬慌ててから、すぐ落ち着き、自分でも知らずに笑みをたたえながら「また検査するのですか」と言いました。二人の警官は互いに2、3秒くらい見つめてから、手を振って「行きなさい」と言いました。大法弟子の正々堂々とした振る舞いにより、大法の威力が発揮され、邪悪はすぐに解体されたのです。
もう一つ、私が電柱に真相資料を貼っていたとき、後ろから自転車に乗った人が来ました。私は、「他のところに行きなさい」と思い、再び後ろを振り向いてみると、その人はUターンして逆方向へ向かいました。
ある日の夜、私はアルバイトで遠いところの公園に行ったので、横断幕を掲げました。掲げ終わってから、4、5人の若者が相次いで公園の大門の上から、乗り越えて入ってきました。そのなかの一人は私を見て、大門には鍵がかかっていると話しました。私はバイトがあるのにどのように出るのかと心配しました。しかし、私が大門に近づくと、大門には鍵が掛かっていませんでした。私が大門を開いて外に出るのを、数人の若者たちは怪しげに、ぼんやりと見ていました。当時はあまり考えていませんでしたが、後で考えてみると大門の高さは2メートルもあるのだから、鍵がかかっているかも確認せず門を乗り越えるはずがありません。また、数人の人間が鍵がかかっているかを見間違えるはずがないと思いました。絶えず学法する中で、私は公園に来る衆生を救おうとしており、その門にも生命があるのだから、私を阻むわけがないことが分かりました。
法を実証する中で、自分の持つ技術を真相を伝えることに生かす過程で、本当に思いのままに手が動くように感じました。「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)のように、私たちに人を救う願望があるだけで、師父は私たちに大法のすばらしさ、不思議さを実感させてくださいます。
(続く)