師父の慈悲に背いてはならない
■ 印刷版
 

 これは、まだ修煉に戻っていない昔の同修たちに書く体験文章です。

 私は1996年から修煉を始め古い学習者です。修煉を始めたとき、私は20歳で大学2年生でした。1999に法輪功迫害が始まってから、私も他の大法弟子と同じく拘留され、洗脳班など迫害を受け、その中で間違った道を歩んだこともあります。とりわけ一時期の私は自暴自棄になり、もう少しで命さえ失われるところでした。この時期の経歴を書き出すことで、かつての大法弟子で、自分がよく行わなかったため、大法弟子としての資格がないと思い、修煉に戻る事を躊躇している同修たちに対し、師父の広大な慈悲を早めに悟り、一日も早く大法の中に戻ってほしいと思います

 それは2001年のことです。私は不法に監禁され、洗脳班に拘禁されてら、自分が何物によって隔離されていることを感じ、自分には何の能力もなく、流暢に暗記できた『論語』さえ暗誦できないことを感じました。しかし、まだ正念があり、修煉しない旨の保証書などは書きませんでしたが、恐れる心と肉親の情に対する観念の下で、本心に背く、いわゆる思想報告を書きました。実はそれは保証書と同じものでしたが、自分なりに遠回しして、あいまいに書いたつもりでした。

 私は報告を書き終えた後、すぐ後悔し、内心非常につらく感じましたさらにつらかったことは、かろうじて家に戻った、引き出しに入っていた大法の本全部なくなっていたことです私は、自分が大きな過ちを犯したことがわかりました。このような弟子は本を見る資格がないと思いました。師父と大法に申し訳ない気持ちいっぱいで、本当に毎日涙を流していました

 このとき、「610弁公室」の警官は再び私を連行し、私の報告書が不合格であり、再びこれを、他の大法弟子を転化させることに協力しないと、再び労働教養を科すと話しました。私は何の報告も書かないと思い、本当に涙ながらに、「殺されても、監禁されてもいから、これらのことはもうやらない」と堅く話しました。私は死でも屈服しない、二度と師父に申し訳ないことをしないと思いました。私は、死ぬことも怖くないのに自分の本音も言えないのかと思い彼らに「法輪大法はすばらしい」と話しました。私が邪悪の協力に断ると、結果は何のこともなく、私は順調に家に戻りました。

 体は家に帰ったものの、心はまだ監獄にいるようで、頭の中ではずっと自分は大法を学ぶ資格はないと思い、大法の本すら守らなかったため、師父に申し訳なく思いました。この申し訳ないと思う気持ちは他の執着に変わり、表面上では大法を非情に尊敬しているものの、内心は自分に資格がないと思い、私は大法の修煉を放棄しました。常人すら「法輪大法はすばらしい真善忍はすばらしい」と言うことができますが、自分には言う資格がないと思い、意気消沈の状態が続、体も非情に辛くなり40キロになるまで痩せました。

 自暴自棄になっていたこのとき私は妊娠しました。妊娠中家族と同僚たちは非常に優しく接してくれ、以前私の修煉反対し、私を敵視していた人さえ私のことを思いやってくれました。ある日、私が外で夫と散歩していたとき、私を逮捕した警官私に声をけ、妊娠したことを祝ってくれました。実は大法弟子には敵がおらず、世の人々はみんな大法のためやってきたのです。旧勢力はいわゆる大法弟子を試すという目的により、世の人々を利用して大法弟子に罪を犯させているのです。しかし当時はこれらのことを分からず、意気消沈、周りの人々の変化が、慈悲なる師父によるものだと、わかりませんでした。

 分娩の当日、病院の検査で私の血小板の値は正常3分の1もないことが分かりました。その日、病院には輸血する血漿も足り、医者は、必ず正常分娩しなければならない、今の状態で帝王切開は無理と話しました。医者はおそらく私が夜中に出産するだろうと思い、休憩室に行きました。その看護婦たちも寝てしまい、病室には私一人だけ残りました。産痛は並大抵の痛みではありませんでした。私は歯を食いしばって、精神が朦朧となったときも、心の中では「師父、申し訳ございません」ばかり繰り返し、師父に手伝いを求める資格自分にはないと思い、「法輪大法はすばらしい真善忍はすばらしい」も唱えられませんました。

 医者が戻ってきたとき、病室には看護婦がおらず、私は半分気絶していて、羊水は流れているものの産道はいまだに開いておらず、母子ともに非情に危ない状態でした。経験豊富な産婦人科医緊急に病院に呼ばれ、夫は子供を放棄して、母親を救うという同意書に涙を流しながら署名しました。当時はこのような状況を知らず、私は意識が朦朧とする中で「子供はもう無理です」という看護婦さんの言葉を聞いていました

 その一瞬私はこの生命を救いたいという一念が生じました。それは、この子を世に迎えて、子供に大法を学ばせ、この世善の力量を発揮してもらいたいという一念でした。心から師父に子供を救ってきたいという念が強く生じ私はついに「師父救ってください」と口に出して言いました。そのとき、目の前に青空が見え、偉大なる師父と数え切れない神々が厳かに私を見ていらっしゃいました。慈悲なる師父はずっと罪を犯した弟子を見捨てず、ずっと私の命を見守ってくださっていたことわかりました。

 この瞬間子供も自分で生まれました。羊水は流れて、産道も開いてない状況下で子供は奇跡的に生まれました。医者と看護婦は驚きのあまり、「自然分娩です、母子ともに安全です」と喜びながら大声で話しました。この生命の瀬戸際において、慈悲なる師父は私たちの命を救ってくださました。

 私は自分身を持って体験した経歴を書き出して、かつての修煉者で、邪悪の迫害により大法師父に申し分ないことをしたため、大法に戻る事を躊躇している昔の同修たち早く各種の心を捨てて、早めに大法の修煉の中に戻ってきてほしいと思います。慈悲なる師父はいつも私たちの身近にいらっしゃり、私たちが早くわかって早め戻ってくることを待っていらっしゃいます。

 不足の部分は、慈悲なる同修の指摘お願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/10/17/247955.html)     更新日付:2011年10月24日
 
関連文章