文/中国の大法弟子
(明慧日本)幾度もの六道輪廻を経て、大法に救われることを待っていました。私は修煉し始めて、まだ3カ月しか経っていない新しい修煉者です。本日私は、明慧ネットを通じて私と妻が法を実証してきたことを書き出して、同修と交流したいと思います。
一、一人が修煉すると家族全員に恩恵を与える
1996年、当時26歳の私は地元で有名な企業家でした。お金をどんどん稼ぐ反面、妻の病気はますますひどくなりました。妻は重度の心臓病で、あちこち医者を探して治療を受けましたが治りませんでした。私たちが困ってどうしようもない時に、友たちの紹介で妻は法輪功を習い、間もなく心臓病が治りました。一家はまた、もとの幸せな日々に戻ることができました。
妻は煉功してから以前よりさらに優しくなり、両親や親戚の間でも大変評判がよく、皆に大法の素晴らしさを感じさせました。十数年来の修煉で、妻はたくさんのお金と労力を法を実証する中で費やしました。これによって、師父は一番良いものを私たちに授けて下さいました。私たちの両方の親はみな、80、90歳になりましたが、元気に生活しています。
今年、私の両親は70歳あまりの同修がまだ農家の仕事をしている様子を見て、大変嬉しく思い、自分たちも修煉の道を歩み始めました。私の娘二人も妻の修煉を支持して、妻と同じように、我が家に来ている同修の世話をしていました。1999年7.20の迫害の前に、私は妻が洪法することを支持して、車と金を用意してあげました。私たち家族全員が、佛光があまねく照されていることを感じました。
二、妻の反迫害を支持
中国共産党が法輪功を弾圧し始めてから、我が家は家に帰れなくなった大法弟子の避難所となり、家と工場の中に、最大で70人くらいの人が住んでいました。当時妻は、同修達の衣食住の世話をして、旅費を出したりしました。時には一家三人ともが我が家にいるケースもありました。恐怖の環境にもかかわらず、私のところで妻と大法弟子たちは体験交流会を開きました。ある日の交流会の時、私は雨の中で自宅に帰ろうとして、途中で同修を拾って一緒に行きました。工場の扉がしっかりしまっていたため、どうやって中に入ればいいのかと思っていると、車が近づいた途端に自動的に扉が開きました。それから私は、師父に助けられたと悟りました。このことの後、私は一層妻を支持して、警察による迫害に抵抗していました。
ある日、夜中に警察が押し入って来ました。私は警察と言い争いをしました。私は「これからあなたたちは、私に話すときにまず敬礼して、身分証を見せなさい。私の妻を勝手に捕まえてはいけません。法輪功を修煉していても、それはあなたたちとは関係ない」とはっきり言いました。当時の私はまだ、常人レベルの勇気だけを持っていましたが、邪悪に対して威嚇することができました。
(続く)