(明慧日本)遼寧省大連市に在住の法輪功修煉者・王月梅さん(女性)は、多種の疾病を患っていたが、法輪功の修煉を通じて健康を取り戻した。しかし1999年7.20、中共(中国共産党)政府が法輪功弾圧を開始して以来、王さんは、中共当局による暴行や不当連行を繰り返して受けてきた。王さんの夫(法輪功を修煉者していない)も不当に連行されたという。
王さんは1996年に法輪功の修煉を始めた。修煉して1カ月後、王さんは患っていたリウマチ、関節炎、胆のう炎、心臓病、脳神経衰弱により引き起こされる頭痛、長期の月経出血などが全て完治した。健康な体を得られた王さんはとても喜んだ。
1999年7.20、大勢の法輪功修煉者が当局に不当に身柄を拘束された。王さんは他の修煉者たちと一緒に、大連市政府へ身柄を拘束された法輪功修煉者の釈放を請願しに行った。しかし、王さんたちも警官に身柄を拘束され、睡眠も許されずに24時間拘留された。その日から王さんは、警官らから絶えず嫌がらせを受けるようになった。
2000年6月7日午後、王さんは住んでいる村の村長と地元の派出所の所長によって不当に連行され、金州三里刑務所に15日間拘留された。
2000年7月1日夕方、警官らは王さんと王さんの10歳の子供を不当に連行し、地元の派出所に拘禁した。翌日、子供は家族が家に連れて帰ったが、王さんは再び金州三里刑務所に拘禁され、2カ月後にようやく釈放された。
2000年10月のある日の昼、派出所の警官ら5人が王さんの自宅に不法に押し入った。警官らは王さんと王さんの夫を暴行し、王さん夫婦に靴も履かせず、派出所まで不当に連行した。警官らは王さん夫婦を大連市の麻薬中毒回復所に移送しようとしたが、王さんは彼らに法輪功の真相を伝え、移送されることを拒否した。王さんの家族は、派出所と鎮政府に王さんの釈放を求めた。その後、王さんは釈放された。
2000年11月1日の夜中12時、派出所の所長と5人の警官らは、再び王さんの自宅に不法に侵入した。警官らは、寝ていた王さんを布団から引っ張り出して暴行を加えた。王さんの子供は警官の行為を見て、驚いて大泣きしたが、警官らは家族3人を不当に連行した。派出所に向かう途中で王さんは、警官らに「子供をお婆ちゃんの家に送ってください」と頼んだ。結局、王さん夫婦は派出所に拘留された。
派出所で王さんは拷問用具である「トラの椅子」に縛られ、夫も拷問用具の「鉄の篭」に入れられた。王さんの夫は、翌日の午後に釈放された。王さんは警官らから、法輪功を修煉しない旨の『三書』」を書くように強要されたが、王さんは拒否した。その後、王さんは再び金州三里刑務所に15日間拘留され、過酷な強制労働を強いられた。
その後、王さんは大連市の洗脳班に移送された。洗脳班で王さんは、法輪功創始者を誹謗する話を聞かされたが、王さんは聞かずに『転法輪』を暗誦したため、警官に殴られ頭を掴まれて壁にぶつけられた。王さんは口から出血し、顔も血まみれになった。王さんは迫害に屈することなく、他の法輪功修煉者と一緒に迫害に抗議するため断食を行ったが、警官に灌食の拷問とスタンガンでの電気ショックを加えられた。
王さんは洗脳班で1カ月間拘禁された後、釈放された。しかし、中共当局は家に帰った王さんに2千元の罰金を支払うよう命じた。王さんの家にはお金が全くなく、夫は当局の圧力に耐えることができずに、王さんと離婚した。住む場所を失った王さんは、放浪生活を余儀なくされた。
2001年7月、王さんは人々に法輪功の真相を伝えたため、警官に身柄を拘束され、金州三里刑務所に15日間拘留された。
2001年10月、王さんは法輪功の真相チラシを貼ったという理由で、警官らに身柄を拘束され、留置場に20数日間拘留された。その後、王さんは懲役2年6カ月の労働教養を宣告され、大連の労働教養所に拘禁された。
拷問の実演:死人ベッド |
王さんは労働教養所で様々な迫害を受けた。一例として、王さんは極寒の真冬に下着のままで、部屋の窓を全開にし、「大」の字で死人ベッドに縛られた。王さんは寒くて鼻が詰まり、手足の感覚もすぐに失われた。さらに警官らの指示を受けた受刑者がベッドの板を上下に動かしたため、王さんにかけられた手錠は肉に食い込んだ。また、王さんは両腕を背中に回して手錠をかけられたまま鉄の篭に入れられ、目を閉じることも睡眠も許されず、トイレにも行くことすら禁じられた。王さんは常に警官から暴力を振るわれていた。
王さんは2004年5月14日に釈放されたという。