「行いが正しければ他人の誹謗など恐れることはない」について
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文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2012年5月3日】常人はよく「行いが正しければ他人の誹謗など恐れることはない」と言います。一部の同修は、大法の修煉は表面上のことにこだわらず人心を指すので、修煉者は常人の低次元の法理に束縛されるべきではないと認識しています。もちろん、それにも一理はありますが、しかしこの認識を正しいとことに用いず、一部の同修は男女の関係について通常の限度を超えて付き合っています。一方が独身の場合、あるいは双方がともに独身の場合もありますが、一緒に生活しています。助け合うとか、大法のプロジェクトをするなどの理由で共に食べ、共に住んでいます。心の中で限度は超えないと銘記していても、同修同士の夫婦ではありません。これらのことは常人に誤解をもたらし、衆生を救い済度することを阻害しています。法理に反することから生じた悪い影響を重視しなければなりません。

 現在は封建社会の女性のように三従四徳という、幼少の頃は親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従うというようなことはありません。しかし、男女間での親密すぎる行為は避けるべきです。古来から、君子と女性の間の礼儀は規範されており、天地万物に陰陽、男女の区別をはっきり認識することが重んじられています。「瓜田(かでん)に履(くつ)を納れず、李下に冠を正さず」ということわざがあり、君子は禍の起こらぬよう未然に防がなければならず、嫌疑を受けるような状況に身をおいてはならないという道理があります。春秋時代の柳下恵は、「女性に言い寄られても眉ひとつ動かさない意志の強い人物」として知られています。もし、この柳下恵が一念を守れず少しでも一線を越えたら、すぐに世間の俗人と同様に堕落してしまいます。

 大法弟子は常人の中で修煉しており、男女間のことはとりわけ重要です。「大志を懐きながら細かいことに配慮し」(『精進要旨』「聖者」)、「常人の理に、一般の大覚者はめったに干渉しません。次元の高い覚者ほど、常人の理を壊さず、まったく干渉しません」(『転法輪』)と師父は明確に説かれました。師父の言動もいつも私たちに模範を示してくださっています。師父が説法された当初のことについて大法弟子の回顧録に以下のことが書いてあります。

 ある女性の学習者はずっと師父の腕を抱えて記念写真を撮りたかったのですが、なかなかその手は届かなかったのです。師父は自分の行動を人々に見せておられ、最も正しい行いを教えておられます。迫害前の時期には、あまり人が多くなると政府に誤解を起こさせると考慮して、師父は簡単に学習者と会わないように、各地の法会を控えるように経文の中に教えてくださいました。近年、飛天芸術学校において、未婚の男女の間は無断で接することができないことも明確に規定されています。法輪大法のところは本当に浄土だと師父は言っておられますので、私たちはどこにいても純正でなければなりません。

 修煉者たちは皆が個人の生活の中で厳しく律しており、人に接することも礼儀正しく、漏れなく修めるならば旧勢力の迫害も口実がなくなります。このことは法を正す修煉に責任を持ち、今後の世人に良い参照として残ります。

 個人的な悟りですが、ご参考まで。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/4/22/255908.html)     更新日:2012年5月4日
 
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