文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年4月1日】師父が要求されている三つのことの中で、最も重要なものは学法です。学法がしっかりできているか否かは、学法している本人自身が一番はっきり分かっています。実際、学法の過程も修煉の過程であり、法理がわからない時は、まだ何の情が放下できていないか、何の執着がまだ働いているか、心を静めて探してみるべきです。このときになって、やっと少しずつ自分の心が静まり、観念を持たずに学法できるようになります。最初から全てを学びきろうという考えを持たずに、ただゆっくり読んでいけばよく、そうすると法が本当にあなたの心に入ることに気づくはずです。しかも読めば読むほど、更に読みたくなり、どのくらい読んだかも気にせず、すべてを読み終えるまで、少しの雑念もなく、絶えず前へと読み進んでいくことができます。
しっかり学法することが出来るかどうかは、もう一つの問題、つまり観念の働きという問題があります。多くの人は高等教育を受けたことがあり、科学に対する理解と認識が観念として定着しています。人はみな自分が学んだものをもって、未知のものと科学を測っているからです。これはまさに観念が働いた結果であり、修煉していない人はここまでしか理解できないはずです。
しかし、修煉者は観念をもって法を読んでも、法理が見えないばかりか、ひいては間違った理解をしてしまいます。あなたが法を読むとき、少し気をつければ、毎回「科学」という単語を読む際、それをこの世界の科学と考え、しかも毎回その観念の範囲内にあることが分かります。これこそ観念が働いた結果です。
ほかの観念も同様です。ですから、多くの同修は、法を読む時、特に読む内容がないと思い、確固たる意思で法を読んでいても、いつも同じ言葉だと思いがちです。これも観念がその原因なのです。ですから、一部の人は法を読み始めたら、すぐ読みたくなくなり、多くの時間を無駄にしてしまいます。
どうすれば観念から抜け出す事ができるのでしょうか。一つは念を動かさないこと、つまり、この文章の最初に書いたように、その観念を働かせないようにすれば、法を読むとその観念は消滅されます。もう一つは、学法を邪魔するすべての常人の観念を捨てたいと、師父に助けを求めることです。1回考えるだけでよいのです。それから、この文章の1段落目の方法を用いれば、効果は非常にすばらしいのです。
学法することは、衆生を救い、発正念をしっかり行う前提条件となります。煉功も同じです。なぜなら、発正念をするにはエネルギーが必要であり、発した功能はエネルギーによる加持が必要だからです。この偉大な時代、失ってはいけない時代、万古に出会えるかどうかの時代において、今の時間を大事にし、やるべきことをしっかり成し遂げるべきです。未来のすべては本当に言葉で言い現せないほど、すばらしいのです。