神韻を観て正念を満たす
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 【明慧日本2012年3月4日】私は青年の大法弟子です。中国共産党の無神論の害毒を深く受けており、特に意のままに仏法神通を運用することに関して、正念を保てる時もあれば、自信がなく、気が揉める時もあります。しかし、私は2012年の神韻公演を鑑賞して、深く感銘を受けました。ここで同修の皆さんと交流をしたいと思います。間違った所があれば、ご叱正をお願いします。

 舞踊の『選択』という演目は、ある善良な警察官が大法弟子である親友を庇護したため、他の警察官に暴行されて亡くなり、保護されたその同修は悲痛な状況の中から目が覚め、直ちに正念を発しました。その時、天上の神佛が現れ、その善良な警察官を生き返らせた話です。この踊りを見て、私は私達が師父からこれほど大きな能力を与えられていたことを再認識でき、本当に心が震え感動しました。「実は迫害が始まる前の古い学習者を私は全部到達すべき位まで押し上げました。後からの新しい学習者をも含めて、正念を持ち、正しく行うことができれば、自分を守ることにまったく問題はありません。一部の学習者はどうしても正念がなく、何でも備わっているにもかかわらず、迫害の中でやはり人間の考えで問題を見ており、たくさんの執着を持っています。師にどうしてほしいと言うのでしょうか?」(『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』)私達にはなんでも備わっていると師父は説法の中で教えられました。実際、私は、長い年月の間に形成した人間の理に妨げられ、自分にはなんでも備わっていることを信じることができませんでした。普段、師父を信じ、法を信じるとしきりに言っていますが、それは、ただスローガンを唱えているだけに過ぎず、自分を欺いていたのです。

 この踊りの最終の場面では、同修を見捨てたあの大法弟子たちも戻り、生死を放下して、正々堂々と最も強い、最も純正な正念を発しました。邪悪に操られた悪人たちを撃退したら、彼らへの迫害も雲散霧消しました。まさに、師父が『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』の中で、私達に教えられたように「もし大法弟子が皆正念を持ち、正しく行うことができ、いかなる情況下でも正念で物事を考え、すべての弟子が迫害の前で恐れる心が生じなければ、誰があなたを迫害し得るのでしょうか! 完全に法に則っている人を誰もが動かすことができません。これで自分を守る能力を備えたことになるのではありませんか?」そこでまた、私は数えてみました。踊りのシーンの中で、8人の同修のうち、5人が正念を発しましたので、彼達の頭上に現れた佛の数も5体でした! 

 『悪を懲らしめる済公』という踊りは、済公和尚が悪人を懲らしめるため、悪人同士を互いに殴り合わせる話でした。功能を使い悪人を操る場面は本当に痛快でした。私は済公が意のままに功能を使えることをとても羨ましく思いました。

 『ある若者の不思議な遭遇』では、ある大法弟子が壁に「法輪大法好」と書いて真相を伝え、人々を救います。すると、警察官がやって来て、彼に暴力をふるいますが、彼はとても早足で走り去って行きmなす。「神足通」の功能を使ったようで、警察官を遥か後方に引き離します。再び、警察官はその同修に付き纏い、危害を加えようとしますが、天女が現れ、手助けをしたため、警察官はその同修に加えた暴行を反対に自分たちが受けることになりました。警察官らは驚いて、あわてて逃げてしまいました。この踊りの中の同修の行動から、佛法は慈悲と威厳を重ね備えていることを認識できました。また、中国国内の警察官らが淘汰されるような危険な目に遭わないように、その悪行を戒め、悪人に対して警告しています。真に師父が私達に要求されたように「大法弟子は人を救い善を行うことを根本としており、この正念は悪人が悪事を働くことを制止するためであり、他の悪人に警告し、世の人が罪を犯さないようにするためでもあります。その目的はやはり衆生を救い済度するためです」(『正念を持って悪事を制止する』) 

 個人的な見解ですが、この話の筋には、以下二つの意味が含まれていると思います。

 一つ目は、私たち自身は正念を持って悪事を働く邪悪を制止する能力を持っていますが、ただ、正念が足りないと、人為的に功能の発揮を阻止してしまいます。

 未だに魔窟の中で邪悪の様々な残酷な迫害を受けている同修、そして迫害に遭い、命を失った同修のことを考えると本当に心が痛みます。最近、私と周りの同修は迫害に関する報道を読むに堪えられない時があります。同修が深刻な迫害に遭っても、正念を駆使して悪人の悪行を制止していないのを見て、焦ってしまいます。反って、自分の不安定な修煉状態を見てみますと、間違いなく、それも無神論が私にもたらした障害だと思います。実際、国内の同修も私のように、幼少の時から中国共産党の無神論の洗脳を受けてきました。この殻を破るために、法を多く勉強するしかないと思います。法の強大な威力だけが旧勢力が私達に系統的な按排と洗脳を打ち破ることができます。

 二つ目は、仙女は師父が下さった護法神かも知れません。正念を正しく行えば、師父と護法神が加持して下さるのです。

 個人的な悟りですが、仙女の出現は二つの意味があります。正念を持って悪事を制止し、正念を駆使して逆に悪人を懲罰することです。迫害を受けている同修がそうする事を忘れた時、他の同修は正念を発する時、同修の代わりに発正念を行なうことができます。「しかし正真正銘の佛は宇宙の保護者であり、宇宙の全ての正の要素に責任を負うのです」(『導航・米国西部法輪大法法会での説法』)私達もこのような責任と使命を担っています。互いに補い合い、師が法を正すことをより良く手伝い、より良く協調して、より多くの世人と衆生を救えるようにしなければなりません。

 2012年の神韻公演を鑑賞した時に、師父がこのような直観的な方法を通じて、私達にたくさんの修煉の内包が含まれているものを見せてくださり、目の前の足りない部分を早急に改善しなければならないと悟らせてくれたことに気付きました。しかし、悟りが少ないだけではなく、精進も足りない私は、自分の悟ったことを書き著す勇気がありませんでした。その後、何日もこのことについて考えて、明慧ネットの文章を読みました。同修のお陰で絶えず内に向けて探すことができ、同修と切磋琢磨し交流した結果、やはり自分が悟ったことを書くべきだと分かりました。なぜならば、自我を取り除き、周囲の青年の同修の神通力の運用、神の事を行なう際、自信が足りないなどの不安定な状態が現れるからです。この場を借りて、皆さんと交流しようと思いました。

 ここで師父の『米国西部国際法会での説法』を引用して、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。「大法弟子が神の事を行うのはどうしても必要なことであり、なぜならば、大法弟子の個人修煉は既に第一義の問題ではなく、法を正す中で衆生を救い済度し、大穹を新たに組み立てることこそが目的だからです。法を正し、衆生を救い済度することを必ず行わなければならないため、この環境による妨害を必ず破り、法を実証しなければなりません」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/2/22/253210.html)     更新日:2012年3月5日
 
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