小弟子が真の言葉を伝える
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文/広東省の大法小弟子雯雯 母親が整理

明慧ネット2013年10月29日】私は大法小弟子です。今年10歳になりました。ママから交流原稿を書くことを聞き、私も「自分の話を明慧ネットに送りたい」と言いました。その後、私は紙を出して、一生懸命に書きました。あわせて百九十字ぐらいを書きました。私の普段の作文よりずいぶん長かったです。書き終わったら、ママに入力してもらうよう頼みましたが、ママは「たいした内容がない」と言って、入力してくれませんでした。私は負けませんでした。自分で一文字一文字を入力しました。ママは私の行動に感動され、原稿を新しく整理してくれると約束してくれました。私はとても嬉しかったです。

 小弟子は真の言葉を伝えます

 ママから聞いたのですが、私は2、3歳の時から、周囲の人に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と教えていました。あるおじさんはわざと「法輪大法は素晴らしい、真・善・美は素晴らしい」と言って、私をからかっていました。私はまじめに「真・善・美は素晴らしいではなくて、真・善・忍は素晴らしいです」と答えたので、大人達はみんな笑ったそうです。牛や馬、猫やワンちゃん、また草や花などを見て、私は彼らにも「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」としっかり覚えるよう教えます。

 師父はいつも私の身辺におられます

 私が5歳の時、ママは同窓会に参加して、私も行きました。彼ら大人たちは一緒にお喋りをして、私達子供は別の遊具のある遊び場で遊んでいました。その時、私はブランコに乗って、ゆらゆらしていました。しかし、私がもうやめたいと思ったとき、ブランコは止まってくれず、私は降りようとしたら、転びました。私の眉毛の上にすり傷をつけ、血が出ました。お腹にも月のような曲がった傷をつき、血が滲んでいました。私と一緒に遊んでくれたお姉さんは私を抱っこして、ママの所に送ってくれました。ママは「怖くないよ、怖くないよ。師父が私達の身辺にいらっしゃるから」と言いました。

 そうですね。師父は私を見守ってくださいました。さもなければ、まぶたの下が傷ついたら、目玉ですから、大変危険でした。お腹の月のように曲がった傷は、ママが知らなくて、夜、お風呂に入ったとき初めて気づいていました。ママは「幸いにも、師父はあなたを守ってくださいました。この2カ所はどちらも急所です。師父が守ってくださらなければ、その結果はどうなるか想像もつきません」とママは言いました。師父の慈悲なるご加護のもとで、私はこの難から逃れることができました。

 師父が私を守ってくださった奇跡はまだまだあります。ある日、私はママの学校で毒を持った蜂に5、6カ所を刺され、痛くてたまりませんでした。当時、刺された人は多くて、皆は病院へ治療に行きました。しかし、私とママは行きませんでした。2、3日過ぎて、自然に治りました。またある日、私は手をやけどして、私の手の傷が腐ってしまい、みっともないと学友に言われました。私は心を動かさず、師父の慈悲なるご加護のもとで、数日後、まったく元通りに戻りました。師父の慈悲なる加護の中、私にはいつもひやひやしても危険はないことばかりでした。

 クラスの幹部なんかになりたくありません

 すべての小学生は、1年生の後期、つまり6月1日(訳者注:6月1日は中国のこどもの日)、少年先鋒隊(訳者注:中国共産党の関連組織)に加入させられるようになっています。ママは事前に担任の先生に真相を伝えました。また、先生から6月1日の歌のコンクールの指揮者になって欲しいと言われましたが、それもママが私の代わりに拒否し、その日に休みを取ってくれました。そうして、私は少年先鋒隊に参加する必要はなくなりました。私はあの嫌な赤いネッカチーフをつける必要はなくなりましたので、とても嬉しく思いました。

 赤いネッカチーフをつけていない私は、校門に入ると、自然と追及される対象となります。しかし、私はとても誇らしく「私は少年先鋒隊に参加していないから、つける必要はありません」と答えました。

 2年生になって、先生は私に衛生委員になって欲しいと言いました。私はとても嬉しくて、ママにそれを教えました。しかし、数日後、先生は私が少年先鋒隊員ではないことを知って、他の人になってもらいました。私はママに「私はクラスの幹部になんかなりたくありません」と言いました。

 今、私は学校を自由に出入りしています。先生達はみんな私が入隊していないことを知っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/10/280979.html)
 
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