道を見失った修煉者の変化と昇華(一)
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文/内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2014年4月21日】(次の文へ

 一、得やすいと感じたものは失いやすいという苦しみ

 私は1997年に大法修煉を始めました。当時集団学法に参加して、毎日がとても楽しく、気が短くて怒りやすかった性格が、大法修煉によりすっかり変わりました。1997年の年末、実家に帰ってお正月を過ごしたとき、母にも師父の説法テープを取り寄せ、そこで、母も修煉の道を歩み始めました。しかし、しばらくしてから、1999年7.20がやって来ました。私は修煉をしなくなりました。

 その後10年近くの間、私は完全に常人の名、利、情の争いに陥り、体はめちゃくちゃになりました。座骨神経痛、目眩、また肋骨には1つの肉球が出来ていました。私は夜に寝ていても寝返りができず、その上、足が痛くて、一階から二階に登るだけでも大変で、まだ30歳にも満たなかった私は大量の薬を飲むようになりました。私はこうして意味のない人生を送り、苦しくて辛く、しかし、自分はその辛さに気づいていませんでした。

 2007年、私は同修の家の下で小さな店を開き、昔の同修に出会うようになりました。ある日、同修は私の親戚同修と店で交流をしました。あの静かで、穏やかな雰囲気はとても常人の中で見られるものではありませんでした。私は彼らの話を聞きながら、自分も以前に大法修煉をしたことがあると思い出し、自分はどうして何も覚えていないのだろうと不思議に思いました。

 私はまた大法修煉をしようと思いました。同修は私に一冊の『転法輪』を送ってくれました。私は完全に本の中に没頭しましたが、なぜかまったく読んだことがないような感じでした。私は五式の功法を習おうと思って、同修に「五式の功法はできますか?」と聞きました。彼女は「出来る」と答え、私は心の中で、凄いねと思いました。その後、私はやっと自分の記憶は消されたと知り、大法の神秘、超常さに驚かされました。三日目、師父は私の体を浄化してくださいました。

 ある日、静功煉功したとき、私ははっきりと、自分の体から肉球が転がって出て行ったと感じました。また一回、静功を煉功するとき、お尻から電気ドライバーが上がってきたような感じがして、それから、私は体が軽く、病気がない気分を味わえるようになりました。

 しばらく経つと、師父は私に大法の非常に不思議な一面を見せて下さいました。私は『転法輪』が様々な色に見え、毎日色が違っていました。座禅のとき、ニワトリの卵の殻の中に座っているように素晴らしく、足もなくなったように感じました。あの時、私には観念がなく、恐れる心もありませんでした。

 二、足を踏み外し 迷いに落ちる

 ある日、私は義理の妹に三退を勧めました。私は十分に真相を伝えることができず、正念も発しておらず、彼女は三退をしないだけではなく、このことを義理の母に話しました。義理の母は夫に怒り、夫は私に離婚を迫りました。その上、義理の母、夫の兄弟たちも来て、私を民政局まで連れて行き、全員が私にまだ煉功するか問いただしました。私は師父にご加持をお願いして、必ず修煉をすると決心しました。午前中はずっとそれを何度も繰り返して、彼らはやっと去っていきました。

 私は本当に堂々として心を動かさないことができず、ただ涙を忍んで我慢しただけで、真相を伝える時も闘争心を持っていました。夫は私に「煉功すれば、親戚同修まで告発する」と脅かしました。私はその時、法を十分に習わず、観念を多く持っていたため、その後、正々堂々と法を学ぶことができなくなり、本をあちこちに隠し、こんなに偉大な法を正しい位置に置きませんでした。

 しばらくしてから、店も売り出され、修煉の環境を失い、法を学ぶことを怠けました。ちょうどその時、私はたまたま親戚同修が不法連行される光景を目の当たりにしました。その邪悪な一幕は私の心の底に深く刻まれました。親戚同修が不法に連行されたことで、夫は私の本を燃やそうとしました。彼は私をひどく殴り、私が譲歩しないのを見て、私を外に引きずって行って、すべての本を燃やしました。その時、私の恐れる心、闘争心、怨恨心が一気に噴出して、「あなたは燃やそうとしたでしょう? それなら、私にはまだDVDがある」と思うと、今度彼はDVDまで全部燃やしました。私は大法の書籍をしっかり守ることができず、さらにDVDを燃やすまで彼を放任してしまい、本当に師父に申し訳ないことをし、また衆生に大法に対して罪を犯させました。

 私は再び大法の書籍を取り寄せる勇気がなくなりました。私は完全に大法から離れ、しばらく経って、私は離婚をし、旧勢力が手配した道を歩み、大法に泥を塗る事をしました。私のような人は大法弟子になる資格がないと思いました。私は同修に会う勇気も、同修と交流する勇気もなく、ここで生活していく勇気すらなくなりました。さらに情の妨害により、私はこの町を離れて、遥かに遠い、しかもよく知らない街に移り、もう成り行きに任せて生きて行こうと思い、更に将来、同修の世界に行けると幼稚に考え、またまた旧勢力が手配した道を歩みました。

 しかし、私は地元を離れましたが、心は離れていませんでした。慈悲なる師父は夢の中で一回また一回と、私にヒントを与えて下さり、私が救った衆生の口を通して私に気づかせてくださいました。私はその地方の人と言葉が通じず、とても地元に戻りたいと思いましたが、しかし、帰る勇気はありませんでした。こうして、一年が立ち、私はやはり戻って法を学びたいと思いました。なぜなら、大法はすでに私の心に深く根を下ろしたからです。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/6/289531.html)
 
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