明慧法会|家々で三退を勧め 家々で真言を聞く(二)
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文/中国の大法弟子 郷蓮口述 同修整理

 【明慧日本2015年7月18日】

 師父と法を信じ 正しい念で正しく行う

 ある時、村の4人の同修が警察に連行されました。私たちは全員発正念し、邪悪を暴露し、善を勧める手紙を書きました。同修たちは留置場でも毅然としていたので、1週間後、全員が留置場を出ました。

 2009年6月20日、この土地の男性同修が連行されましたが、次の日、留置場の取り調べ室から逃走しました。警察は狂ったように大騒ぎになり、東奔西走して探しましたが失敗し、激怒した警察は修煉していない兄を捕まえて閉じ込め、家族に男性同修との交換を要求しました。しかし、この事は私たちの地域の同修の注意を引き起こさず、邪悪を暴露せず、救出もせず、他の空間にいる邪悪がすでに集まって来て大量の邪な要素が私たちに押し寄せてきている事がわかりませんでした。6日後、私たちが100数里離れた大きな山村で三退を勧めていた時、悪人と警察に連行され、中国共産党の国保大隊に送られました。私たちが中に入ると、ある同修は一言も供述せず、ただ発正念をしていました。ある同修が警官に真相を伝えると、警官はぐるぐる歩き回り、とまどっていました。最後に、警官は4人の同修の家族を見つけて金を無心しましたが、警官たちは私と他の年配の同修には尋問さえしませんでした。その晩私たちはみな家に帰りました。けれども、今回の事件は地域の何人かの同修に大きなプレッシャーを引き起こし、回復できずに長時間真相を伝えることができませんでした。

 その年の9月、地元の中国共産党のスタッフはフェスティバルをしなければならず、各部門は全部出動し、各地に出入りし、修煉者は至る所で陳情を阻む人員の嫌がらせを受けました。私と同修は活動を止めたくなかったので、農村行きを続けましたが、発正念をおろそかにしたので、ある村で邪悪に告発され、その地区の警察が私たち2人を連行し、県の国保大隊に送りました。大隊長は私たち2人をちょっと見ると、すぐ怒って激しく罵り、四方八方に電話で相談し、「今度は思い切って私たちを痛めつける」と言いました。警官たちは私たち2人の事を労働教養所へ報告しましたが、私たちは2人とも70歳を越えていたので、警官たちは許可されない事を恐れ、申請表に69歳と記入し、「610弁公室」を通じて圧力を加え、私の年金の発給を止めるよう勤め先に要求しました。

 私の心は少しも動じず、同修もまた正念を確固とし、警官たちに絶え間なく真相を伝えました。「あなたたちは言ったことに責任を負わないので、私に関する事はあなたたちの任務ではなく、それに、私には師父がいらっしゃいます」と、私は言いました。「あなたは私を見て勝手に決めつけた! 今回、あなたは出て行こうなどと考えてはいけない、私はあなたのいう事を信じない。こんなに大きな中国共産党があなたたちを痛めつけられないなんて。私たちはあなたの職場にあなたを解任させ、あなたに給料を支払わせない、これであなたは仕事ができない」と、警官は言いました。「あなたは言ったことに責任を負うことはできない。私がどうやって生きていくかは、私の師父がお決めになります」と、私は言いました。その時は本当にごくわずかな執着も恐怖心もありませんでした。警官たちは私たち2人を留置場に閉じ込めましたが、私たちは中で一日中発正念し、煉功し、会える人すべてに真相を伝えると、「あなたたちは今度は出られないよ。出て行くにしても、『10月1日』を過ぎなければならず、『10月1日』前はあきらめろ」と、警官たちすべてが言いました。「あなたたちの誰が話そうとどうってことはない。外には救い済度されるのを待っている衆生がどれほど多くいるだろうか。ここは私がいるべき場所ではなく、私が執着を持っていたとしても、旧勢力も迫害する資格はない。私には師父が按排された道があるので自分自身で帰ります」と、私は思いました。

 警官が私の娘の家を探して金を要求したとき、「私のどこに彼女のために払う金があるんだ!」と、娘婿は言いました。「あなたが金を払わなければ、あなたの妻の母を洗脳班に送り、彼女を1年半服役させる」と、警官はしゃべりました。「あなたが洗脳班に送りたければ送ればいい。私は責任を受け持ちません!」と、娘婿は言いました。警官は怒り、今度は私の息子を探し、3千元を要求すると、「警官のみなさん! この件について私に要求しないでください! 私は仕事がなく、食べるご飯さえままならず、時にはご飯も食べられないのに、あなたはさらに私にお金を要求するんですか!」と、息子は言いました。「あなたが払わなければあなたのお母さんを刑務所へ送ります」と、警官は言いました。「あなたは私の母を送らずに、私を送ればいい。私が母の代わりに服役します」と、息子は話しました。「私はお金を取れなかったので、あなたたちが来てお金を取ってください! 私ではうまくいきませんでした!」と、警察隊長は「610弁公室」に電話で話しました。

 師父のご加護の下、家族の抵抗と同修の救助の下で、私たち2人は19日後に留置場から出ました。それから幾日か過ぎ、国保警察が私の職場の人と主管局の官吏計6人を連れて突然私の家に闖入し、「私と話がしたい」と言い、紙とペンを取り出し記録を付け始めました。国保警察が私の公職と給料を止めに来たとわかり、すぐ国保警察に真相を伝え、法輪功の素晴らしさや世界で公開されている事などを伝えると、「あなたはまだ煉功しているんですか! あなたが話した事は私が全部書きとめていますよ」と、職場の人が言いましたが、私の心は少しも動じませんでした。国保警察が去った後、またあの同修の家へ行くと、その同修はさらになんともない様子で、国保警察に真相を伝え、さらに国保警察に脱党を勧めたそうです。国保警察の何人かは本当に心を許してくれ、ついにこの事もそれきりになり、現在まで私たちの給料はみな、まったく変わりなく支払われています。

 これほど多くの迫害を経て来たので、私達の住んでいる所の同修たちは交流を一度行いました。私たちはみな内に向けて探した結果、各々の執着と人心を見つけたので、さらにこのプロジェクトをやり続ける事にし、農村行きに参加できない全県の同修には家で定時に発正念をしてもらって全体を形成しました。

 人を救うには、正しい念、純粋な念でなければならない

 直接真相を伝える時、心の中であれこれ考えてはならず、重大な瀬戸際には正念を用いる必要があります。例えば、一度、ある人に真相を伝えていると、「交番に電話する」と、携帯電話をさぐり出したので、「あなたの携帯電話は壊れているので、かけられません」と、私はにこにこしながら言いました。すると、その人は本当に電話をかけませんでした。私たちは続けて真相を伝え、その村で真相を伝え終わりました。

 一度、私たち4人が50数里離れたある村で、ちょうど半ばまで真相を伝え終えた時、大雨が降りだしたので、「止めて帰ろう」と、ある同修が言いました。「ちょうど雨ならみんな家にいるから、人を多く救える」と、私は言いました。私と同修は息を合わせて真相を伝えました。私だって濡れたくはありませんでしたが、速やかに真相を伝えたかったので、傘をさす暇もありませんでした。一軒の家を出たらすぐもう一軒の家に入り、頭の中はすべて正念でした。雨の事は忘れてしまったようなものでした。その村で真相を伝え終えてみると、私の髪の毛と身体はいくらも濡れておらず、三退を記録した紙も全く濡れていない事に気が付きました。師父が手伝ってくださり雨除けになってくださったのだ、とわかりました!

 また、一つの村で真相を伝え終えた後、次の村まで15~16里もあったので、「タクシーがあればいいのに!」と、私は思いました。その時、タクシーがやって来て、すでに人でいっぱいでしたが、「おばあさん! あなたたちはどこへ行きますか?」と、車の所有者が聞きました。私たちが説明し終わると、車の所有者は車に乗っていた2人の人に下りてもらい、私たち2人を乗せてその村へ行ってくれました。その日はまさに暑い日で、30度以上あり、村も大きく、真相を伝えるのに5時間以上かかり、私たち2人は体中に汗が浸透しているかのような感じで、真相を伝え終わったら、疲れてこれ以上先へ歩けなくなったのですが、この時、また突然、街から帰って来たタクシーが来て、私たち2人を家まで乗せて行ってくれました。それは私たちのために師父がすでにちゃんと手配してくださっていたのでした!

 1年余りの間に、私たちは非常に平穏に行い、何百もの村に真相を伝え終え、1万人あまりの人に三退を勧め、農村行きの同修も10数人に増えました。私たちは午前に農村へ行き、午後は集団学法をし、その上、毎日時間を割いて交流し、当日起きた問題をまとめ、内に向けて探し、損失を減少させました。

 しかし、日が経つうちに、高をくくって油断し始め、私たちは運転する同修の状態を無視していました。運転する同修の自宅は仕事が忙しく、夜はひと晩中寝ず、昼は1日中運転して、ほとんど学法と煉功の時間がなく、長い月日が経ち、狀態はだんだんと悪くなり、2011年の冬に、私たちが農村から帰る時に連行されました。私は収監されて15日後に家に戻り、他の何人かの同修はそれぞれ異なる方式で家族が解放を要求しましたが、男性同修は不当に労働教養処分を受ける迫害に遭いました。私は帰って来た後、内に向けて探し、ひどく悔やんで涙が出ました。人を救う事は切実なのに、自己に執着があり、また、同修の受け入れ能力を考慮せず、運転する同修のいくつかの正しくない状態を速やかに改めなかったのです。

 すべての衆生に法輪大法の真相を伝える

 車がなくなると、私たちは窮地に追い込まれました。しかし、まだたくさんの地方で真相を伝え終えていない事が、気にかかっていました。しばらく経って準備をした後、私と1人の同修はまた、行脚のように歩いて衆生を救い済度する旅を始めました。私たちは毎日の時間を少しも浪費しないようにしました。なぜならその時間は師父が莫大な苦難をお引き受けになり、私たちに授けられた賜物だからです。私の生活は非常に簡素で、学法する他は真相を伝えており、天気が良くなければ街で真相を伝え、天気が良ければ農村へ行って真相を伝え、長期間、たくさんの苦しみに耐えましたが、何ものも私たちが人を救う正念を阻むことはできませんでした。

 農村で真相を伝えた時、毎日、人を感動させるたくさんの物語がありました。ある人は真相を最後まで聞くと、私たちを遠くまで送ってくれ、別れを惜しみました。「あなたたちはどうしてこんなにいい人なのか! 私は本当にあなたたちの話を聞きたい! この次来たら、必ず私の家に来てください!」と、ある人は言いました。「こんな大変寒い日なんだから、あなたは早くオンドルに上がって暖まって、ここでご飯を食べてから行ってください」と、ある人は言いました。ある人はさらに柿を採って私たちに食べさせ、さらにある人は真相資料を受け取ってお金を払おうとしました。時々遠くに行ったりすると、ある人は後ろから追いかけて来て、さらにいくつかお守りが欲しいと頼んできました。「他の人の家にはたくさんの経文があるのに、私の家にはどうしてまだないんだろう? 私にも大冊の経文を1冊くださるのでしょう?」と、ある人は言いました。「あなたたちは法輪功の人じゃないですか?」と、よく人に聞かれました。「そうです! 私たちは佛家功法です」と、私たちは説明しました。「それなら! 私は法輪功をやりたい、法輪功でないのはいらないよね!」と、相手は語りました。さらに、「あなたが持って来た物を、私はあなたのために送ってあげます!」と、ある者は言いました。このような事はたくさんあり、ほとんど毎日ありました。

 もう10数年にもなり、真夏だろうが真冬だろうが、邪悪の恐怖に直面しようが、私たちは頑張ってきました。現在まで、全県内700以上の村、数十万の人に真相を伝え、真相をつたえていない空白地帯はもうわずかで、私たちはこれらの衆生にみな大法の真相を聞かせたいと思っています。

 私たちの土地の同修が私たちの実績を見て、一首の詩を作り、「農村苦度」という題名で、私たちの実際の感動を書いていますので、ここにその詩を紹介します。

 南の平地でかまどの煙がゆらゆらと立ちのぼる、西風が悪い雲を吹き飛ばす。
 野の村は舊貌を懷しんで、老女は新しい朝を乗り超える。
 三退を家々で勧め、真言を家々で聞く。
 法は子孫に福を恵み、縁は続いてお国なまりは素朴。
 風雨の中の10年の道のりは、世の移り変わりの激しさに時間を過ごしてきた痕跡を残す。

 修煉を始めて信徒を志し、衆生を救い済度する事に労苦をいとわない。

 修煉の道を振り返ると、いつも涙ながらに、多くの感慨があり、言い尽くせない苦楽と辛さがあり、書き終える事ができないほどの話があり、形容しがたい師父に対するご恩があります。師が法を正す事を手伝う事の偉大さは人の言葉では形容できません。今、私たちの地域の同修たちはすでにどんどんしっかりしてきており、私たちは法をよく学ぶ事ができ、理性的に強く最後の道を歩いて行き、師父に苦労をさせません。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 [2] 李洪志師父の経文:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」

 (明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/11/299605.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/12/146822.html)