12歳の子供弟子:修煉の道をしっかり歩む
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文/イギリスの子供弟子

明慧日本2015年9月24日】

尊敬する師父、こんにちは!

同修の皆さん、こんにちは!

 私は王紫旋と言います。今年12歳です。今回法会を通じて師父に報告でき、皆さんと交流しあうことができて嬉しく思っています。

 去年11月私は母と一緒にイギリスに来ました。私は小さいときから、母と一緒に修煉してきました。母は私に師父の説法と大法の音楽を聞かせ、『洪吟』を読んでくれました。しゃべれるようになった時、『洪吟』の大部分を暗記できるようになりました。

 母はいつも私と法理に基づき交流をします。3歳半の時、保育園の先生が共産党の赤い旗を子供たちに持たせましたが、私はそれをゴミ箱に捨てました。しかし、先生に捨てたわけを聞かれるのを恐れ、ある理由を見つけました。母と父と遊びに行った時、私はこの事を話すると、父は笑いながらママより賢いね、と褒めてくれました。母はそうではなく、先生に尋ねられないように正念を発するべきだと教えてくれました。

 小学校に進学してから、母はいつも私に、「もし学校で旗の掲揚式があったら、正念を発して、中国共産党の邪霊とその要素を取り除くようにしなさい」と言いました。私は毎回正念をずっと発していました。ある日、旗が少しだけ下がったのを見て、とてもうれしかったです。残念なのは旗が落ちってこなかったので、正念がまだまだ足りなかったのかもしれません。

 私が5歳になってから、母は私に『轉法輪』を読んでくれるようになりました。母は3か月をかけて1回目を読み終わりました。その時から私の天目が開きました。耳も他の空間の音楽が聞こえます。私が7歳のときに、母は迫害され、2年間母に会えず、修煉の環境も失いました。天目も見えなくなって、その時から、法を読んでくれる人も、一緒に煉功してくれる人もいなくて、大法の本も見つからなかったため、徐々に常人に染められていきました。母が帰ってからも、学校の宿題があまりにも多く、執着心も強くなったため、小さい頃のように精進しなくなりました。イギリスに来てから、たくさんの時間を無駄にしたことを後悔し、付いていけるように精進したいと思いました。

イギリスで衆生を救い済度する

 去年の年始、私と母がイギリスに来ました。この自由な国で、かつて母が迫害された頃に残っていた心理的な影が、だんだんなくなり、迫害を恐れる心もなくなりました。中国にいた時、母が私を学校まで送ってくれる時、歩きながら『洪吟』を教えてくれました。その時は人が近づくのが気になって、人が近くに来れば、すぐにほかの話をしました。他人に聞かれるのを恐れ、再び母を失う事を心配していたからです。イギリスだと何も心配しなくてすむので、心から喜びを感じています。

 初めてチラシを配るときの事をまだ覚えています。同修のおじいさんと一緒に散歩しにいき、歩きながら、出会った人に大法のチラシを配りました。私も恐れず公でチラシを配ることができました!初めて同修と一緒に中華街に行ったとき、たくさんの知らない同修を見て、とても嬉しかったです。小さいときから、大法弟子はみな家族だと思ってきましたから、とても親しみを感じました。

 母と大使館にも行きます。そこで正念を発して、煉功をします。初めて行った時、そろそろ夏だったので、多く着ていませんでしたが、予想外にとても寒かったです。太陽が当たっている向こう側の警官は薄着していましたが、私たちは逆に冬のジャンパーを着ていても寒いくらいでしたが、私と母はとても感動しました。大陸と海外の大法弟子の修煉環境は異なり、それぞれの難しさも違います。国内の大法弟子は邪悪な迫害に遭う危険に晒(さら)されているのに対して、海外の大法弟子は違う修煉環境で、また違う苦しみに耐えています。

 初めて中華街でチラシを配る時、人見知りをする私は、チラシを受け取ってくれないと、恥ずかしくなり、勇気もなくなりました。そのため優しそうな人にあげるばかりで、怖そうな人にはあげませんでした。法を学ぶにつれ、母との交流を通して、だんだんに自分は子供大法弟子であり、師父が法を正すことをお手伝いし、衆生を救い済度しに来たので、恐れたり、恥ずかしく思ったりしてはならないと分かりました。これらの執着心のほか、自分を守る心やメンツを重んじる心も見つかりました。私のチラシを受け取ってくれなかったり、私を無視したり、聞きづらい言葉を聞いたりすると、私はすぐにしおしおとなるからです。今も完全に自我を放下できていないのですが、頑張って取り除いていきたいと思います。

心性を高める

 去年8月、母と博物館へチラシを配りに行きました。私は大法の金色のシャツを着ていました。ちょうど旅行の季節でしたので、旅行に来た観光客はとても多く、中国人もたくさんいました。私は博物館の裏道を渡り、信号がなかったため、急いで渡っていたところ、横から一台の車が走ってきて、私の肩にぶつかりました。それを見ていた周りの人たちはみな、びっくりしたようでした。車に接触した私は何も聞こえなくなりました。目を開けると、その車の姿がありませんでした。その時私は、今大法の服を着ているから、人に悪印象を与えてしまったらどうしますか? 自分の事を考えずに、大法の名誉を守りたいと思いました。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[1]と師父が説かれています。私は擦り傷はありませんでしたが、とても痛かったのです。しかし、その痛みは翌日治りました。

 家に帰って、内に向けて探してみました。自分は行動より口のほうが多く、外に向かって探すのも多く、自分を守る心とメンツを重んじており、しかも怠けもので、美味しいものを食べたい、遊びたい心もあります。これらの執着心は皆取り除かなければなりません。

 私は母とよく喧嘩しています。原因はとても簡単です。私はいつも時間を無駄にして、真面目に行う事が出来ず、忘れ物も多く、学法と煉功も発正念もよく行っていないから、いつも母に叱られています。私も直したいのですが、遊ぶときはついつい忘れてしまいます。母が迫害された2年間に、私は遊びながらやる習慣をつけてしまいました。母に叱られる時、母の言い方が優しくないと思い、受け入れませんが、母を怒らせたくないから、謝るようにしています。母もこれからは改め、私を指摘するのではなく、励ますようにすると言ってくれましたので、とても嬉しいです。私も確実に自分を修煉したいと思います。

 私は何かを行う時、他の人のことをあまり考えていません。しかし、私は大法子供弟子ですので、至る所に「真・善・忍」に基づき行い、内に向けて探すべきです。師父は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[2]と教えてくださいました。これから大法の要求に基づき、自分を修め、心性を高めていきたいと思います。今、私は毎週母と一緒に中華街と博物館へ真相を伝えに行っています。師父が法を正すことをお手伝いし、多くの衆生を救い済度するようにしています。

学法と煉功

 私は毎日学法と煉功をしなければならないと分かっていますが、やり遂げていません。思想業力の妨害なのか、遊びたい心のせいなのか、時に『轉法輪』を読んでいても、どうしても心に入れず、数ページ読み終わっても、何を読んだかも分かりません。これは法を学んでいても法を得ていないのと同じで、しかも師父と大法に不敬だと後で分かりました。母は「正念を発して、自分の空間場を綺麗にしなさい」と言ってくれました。

 イギリスに来てから、私は煉功をしたくなった自分に気づきました。手も疲れるし、足も痛いし、時々疲れると動作もずれました。煉功を重視できず、時に怠けて、法を学ぶだけでも十分ではないかと思いました。母と交流すると、学法と煉功は根本だと分かりました。最近旧勢力に怠ける心を乗じられ、ますます怠けています。今後、毎日学法と煉功を続け、師父に言われた三つの事を、よく行うようにしたいと思います。

修煉の機縁を大事にする

 同修が書いた「円満の点数」を読んで、とても感動しました。私も自分に点数をつけてみました。残念なのはとても悪かったです。三つの事がよくできていないし、各種の執着心も数多く残っているし、学法も煉功も発正念も心を静めることもできていません。私はこれだと本当に修煉しているのでしょうか?修煉者と言えるのでしょうか?と自分に問いかけました。

 師父が書かれた『洪吟 三』の「痴」を読んで、目が覚めました。

「人生短し

 来て宿に泊まる

 来た時に立てた誓いを忘れるべからず

路上の名、利、情、仇に躊躇して

何時に悟って家院に返るのか」

 大法を修煉しなかったら、私も波に任せ流れのままに漂う常人の一人だと思います。幸運に大法を修煉することができましたので、この機縁を大事にして、三つの事をしっかり行っていきたいと思います。

師父ありがとうございます!

同修の皆さんありがとうございます!

注:

[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』

[2]李洪志師父の経文:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

(2015年イギリス法輪大法交流会での交流文)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/9/12/315530.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/9/15/152541.html)