決して他人を讒訴しない賢明な大臣
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 文/元舒

 【明慧日本2015年9月25日】中国元王朝の大臣・趙良弼は、女真族の出身です。彼は過ちを犯しても、進んで自らの過ちを認め、他人に責任をなすり付けたりすることは一度もありませんでした。趙良弼の美徳と事績は正史に記録されています。

 渾都海(人名)が反乱を起こした時、趙良弼は宣撫使(役職名)の汪惟正、劉黒馬と3人で合意して、直ちに渾都海の部下2人を処刑しました。趙良弼の上司・廉希憲と商挺は「無断で人を殺した」として元王朝の皇帝の逆鱗に触れるのを恐れ、使者を派遣して皇帝に謝罪をしました。使者が出発する前、趙良弼は密書を使者に渡し、「もし本当に皇帝陛下がお怒りになられたのであれば、その罪は私にあって宣撫使2人には関係ありません。陛下がお怒りになられたなら、この手紙を陛下に呈してください」と使者に頼みました。結局、元の皇帝はこのことを追及しませんでした。

 またある時、四川省出身の費寅(人名)は、私的な恩讐をはらすために、廉希憲と商挺が謀反を企んでいるとして告発しました。またこの謀反の企ては趙良弼が証言できると言いました。元の皇帝は趙良弼を呼んで委細を聞くと、趙良弼は涙を浮かべて「廉希憲と商挺の2人は忠臣であり、決して謀反をするわけがないと私は保証できます。この私の心を掘り出しても二人の無実を証明したい」と答えました。依然として廉希憲と商挺を疑っていた皇帝は趙良弼を厳しく非難し、とうとう「真実を話さなければ、舌を切ってしまうぞ」と脅かしました。趙良弼は身を賭しても無責任な讒訴をしなかったため、皇帝はとうとう疑念を晴らしました。一方、私的な報復をしようとした費寅は、最後に反逆の罪で殺されたそうです。

(『元史第159巻 列伝第46』)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/9/6/313828.html)