文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年11月26日】
慈悲なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
「三つ子の魂百まで」と言うように、形成された性質、性格、観念などは頑固で、なかなか変えることができません。特に褒め言葉を聞きたがり、他人の話を聞かない心を変えるのは最も難しいと思います。
私の性格は頑固で怒りっぽく、負けず嫌いでした。自分が間違っていても他人にそれを言わせないし、何もかも私の言う通りにしなければ気が済みません。そのため姑との関係が悪く、兄嫁ともうまくいかず、10年もの間、話をしませんでした。舅はいつも兄の味方をしていると思い、舅との関係も良くありませんでした。私はこの性格のため生きていくのも辛く感じ、疲れ果てていました。若いのにも関わらず、ベッドで寝たきりになりました。
大法は私を変えた
1999年、私は法輪功と出会い、修煉し始めました。やっと、人間としての道理や、もっと高い境地の道理が分かるようになりました。自分が遭遇した一切の苦難は、すべて業を返しているということも分かりました。師父は私たちに無私無我の人になり、他人のことを優先して、自分の事を後回しにするように教えてくださいました。私は「真・善・忍」の基準で自分に厳しく要求し、自分を律っし、他人を傷つける良くない考えを取り除き、善の心を修めました。トラブルは次第に解決され、体も健康になり、元気になりました。良い人になるのは、本当に楽しいと感じました。
そして、今まで自分が傷つけた人を思い出すと、申し訳ない気持ちになりました。できる限り彼らとのトラブルを解消し、自分への恨みを無くしたいと思いました。誰かが私に手伝ってほしいことがあれば、できる限りの力を尽くしました。姑は愚かだと言いましたが、私は満足で幸せな気分でした。
周囲からは、私が修煉してから、生まれ変わったと言われるようになりました。私は自ら進んで兄嫁を手伝いました。舅が兄嫁に何かをあげて私にくれなくても、嫉妬せず、相変わらず舅に親孝行をしました。私の変化を見て、彼らは大法を認めるようになりました。他の人の前で「大法が彼女をここまで変えるなんて、本当に素晴らしい、敬服します」と言いました。
私は誰にでも短所と長所があると思います。修煉はつまり自分の短所を取り除き、法に同化することだと思います。私の短所は性格が悪いことです。これを修めるため、私は出来る限りの力を注ぎました。他の人に傷つけられ、骨身に沁みるような苦しみを感じた時、私は自分に「苦しいのか?かつてあなたもこのように人を傷つけた。これは即ち業力の報いなのだ。このような苦しみを嘗めたくなければ、2度と他人を傷つけることをせず、他人に優しくすることは、即ち自分に優しくしているのです」と言い聞かせました。
修煉に小さい事はない
私は他の人には優しくなりましたが、夫への観念を変えることがなかなか出来ませんでした。夫は無学文盲で、口汚く、酒に酔うと暴れまわったり、物を壊したりします。このような夫に対して、私が善で接すると、彼は逆に私をいじめるのではないかと恐れていました。私は自分を守る観念を放下できず、家での自分を、徹底的に変えることが出来ませんでした。時々、彼の言う通りに家事を行ったとしても、内心は不満で彼を怨んでいました。真心で彼を思いやることができませんでした。
同修はこのような私を見て、いつも指摘してくれました。しかし、私は納得できず、その同修とトラブルを起こしました。
ついにある日、夫は酔っぱらって帰ってきて、包丁を持ち出して、家の冷蔵庫や家具などを叩き壊しました。私が修煉する前なら、彼にはこんなことをする勇気が決してありませんでした。その日はわざと他の人の前で私をいじめて、私はまったくメンツがありませんでした。私は腹を立てて、彼と喧嘩して、離婚しようとまで考えました。そのとき「自分は修煉者ではないか? 大法を実証するのに、そんなことをすれば、どうやって法を実証するのか?」と思い直しました。しかし、そう思っても、簡単に受け入れることができませんでした。心を静めて、内に向かって探すことにしました。
修煉者として偶然なことは何一つありません。私は普段真剣に自分を修めることができず、夫を軽視する観念を放任してきました。これらの事を長く溜めると、大きな難になりました。師父は「もしある人にそれほどの業力がなければ、絶対それほど大きな難も現れてきません」と説かれました。一部の病業に陥った同修も、場合によって命を失った同修も、つまりこれらの小さい事を重視できず、大きな難に至ったのかもしれません。
師父が「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをするときの心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」[2]と説かれました。道はすでに開かれています。たくさんの業を、師父は肩代わりしてくださいました。残る業は私たち自から、よく修めると同時に、三つの事を多く行い、人を救う中で滅していくのです。人心が多く、三つの事が足りなければ、魔難も多いのです。
私は心から、夫に配慮しなければならないと認識し、家具を叩き壊したことを、何も問わないことにしました。私は生死を放下するくらいの辛さを我慢して、自分の観念を変えました。私は法の中で生まれ変わりました。
舅は家具を叩き壊したことで夫を叱りました。舅は私が言いだしたら止まらず、夫と喧嘩するのではないかと心配していましたが、私の態度を見て安心しました。舅は「幸い彼女は、法輪功を修煉しているから大丈夫だが、でなければ、この家庭はもうおしまいだ」と言いました。
心性が向上すれば、別世界のように開ける
私が自分を修めてから、夫の悪癖も無くなりました。自分の息子に優しくなった私を見て、舅は安心するようになり、こっそりと2万元を夫に渡しました。それを知って私は「お父さんがこのお金を貯めるのは、容易なことではなく、決して無駄に使ってはいけません。お父さんもいいお歳だから、このお金を貯金して、必要になった時、お父さんのために使ってください」と夫に言いました。
夫はまるで別人のように変わりました。彼を見て、私の胸のしこりもなくなり、心身とも楽になりました。夫は私に文句を一言も言わなくなりました。私が真相を伝えるために帰りが遅くなっても、夫は怒らず、ニコニコして御飯まで用意してくれました。しかも、夫は他の人に真相を伝えたり、江沢民を告訴することにも賛成してくれるようになりました。
私は感激しました。自分の心性さえ修めれば、ここまで変化するなんて、想像すらできませんでした。もっと早く知っていれば、この2年間、夫と喧嘩せずにすみました。
私の魔性が大きいと言ったあの同修も、私がトラブルの中で心性を守ったのを見て、心から「あなたは本当に変わったわね。ここまで変わってくれるとは信じられないわ。これから私ももっとよく修めなければ、あなたに負けてしまうわ」と言いました。
人を救うことが緊迫していると、私たちは自覚していますから、毎日家事を行う以外、法を勉強し、できるだけ、多くの人を救うように真相を伝えています。迫害の真相資料を配ったり、電話をして三退を勧めたり、時にはオートバイに乗って、農村へ行き、村の人たちに三退を勧めに行きます。みんなで共に精進し、力を合わせ協力して、この残りわずかの時間を大切にし、誓約を果たすようにしましょう。
意気地のない私は、師父にご苦労をおかけいたしましたが、やっとここまで心性を向上させることができ、やっとここまで心を込めて、真相を伝え、三退を勧めることが出来るようになりました。
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
注:
[1]李洪志師父の著作:『導航』「米国西部法会での説法」
[2]李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
(明慧ネット第12回目の中国大陸の大法弟子の修煉交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/13/153650.html)