マイナス思考をきれいに取り除こう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年3月25日】マイナス思考が表れる形式は、どんな事でもいつも最悪を想像し、かつ想像を真実と考えて焦慮(しょうりょ・いらだちあせること)に駆られます。修煉前、私はその牽制(けんせい・相手の自由な行動をおさえ妨げること)を受けたことがあります。修煉後、状況はだいぶ改善されましたが、邪悪による大法への迫害が始まってから、このような思考形式がまたもや度々現れて来るようになりました。それでは、私のマイナス思考はどのように形成されたのでしょうか?

 常人の理から言えば、それは私の小さい時の家庭環境と一定の関係があると思います。母はまさにこの思考形式です。小さい時、父がいつも夜遅く帰ってくるので、その都度、母は「お父さんはこんなに遅くなっても帰ってこないから、きっと事故に遭っているだろう」と口にします。それを聞く私は非常に恐れ慌てて、まるで本当に一大事が起きたように思いました。このような経験が数えきれないほどあって、私はこのような中でほとんど心配事や貧困の中で成長してきました。両親が中国共産邪党の屁理屈を深く信じているため、家には順調なことがなく、至る所で行き詰まり、他人の家では容易くできることがわが家ではできず、私はますますこのマイナス思考に嵌(はま)りました。

 常人の中でこの思考形式は遺伝子であれ、環境のせいであれ、如何なる原因によって形成されたかは別として、それらのすべてが根本原因ではありません。そのような思考形式の背後には旧勢力の故意の按排があり、正法時期での修煉を妨害しようとしているのだと私は思います。理性のある常人でさえ(大法弟子はもちろんのこと)、そのように問題を考えません。その点から見れば、これも旧勢力による大法弟子の精神面への隠蔽(いんぺい・故意におおいかくすこと)した一種の迫害の手段だと思います。

 実は、このマイナスの思考形式の根っこは恐れであり、極めて利己的で、「恐れ」の影響下で生まれ、しかも自分が気にしているものを失うことに対して特に強い恐れを抱きます。修煉後、そのように問題を考えてはならないと知りつつも、重視しませんでした。最近になってやっとその重大性を意識するようになりました。

 このようなマイナス思考を持って問題を考えれば、絶えず自分の空間場によくない物質を増やし、どんな事も最悪の方へ考えてしまえば、悪い事を自ら求めることになるのではありませんか? 人為的に魔難を求めることになるのではありませんか? 一番の問題は、事が起きれば法を持って判断できず、マイナスの思惟に左右されてしまうことで法に同化するどころか、却ってこの種の魔をひたすら保護し、育ててしまうことになります。これが修煉といえるでしょうか? このようなマイナス思考に深く陥ってしまう人は、自ら抜け出すことが難しいとは思いますが、それを改め、取り除き、解体することが旧勢力の按排を否定することになりませんか!

 また、このようなマイナスの思考形式は衆生を救うことにも難度を増してしまいます。たとえば、家の前に怪しい車がいれば、思わずそれが自分を監視するものではと思ってしまいます。第一念から衆生を人為的に大法の反対側に押し出してしまうのです。実際、それは衆生をダメにすることで、師父の法を正すことに難を加えたことになります。このような思考形式はすでに自然になっていて大脳のコントロールさえ受けず、自ら現れてきています。こう見れば、旧勢力によるこの種の按排はいかに険しく、悪質なのでしょう!

 このようなマイナスの思考形式を持って問題を考えれば、同修にも良くない物質を与えてしまいます。たとえば、学法のために同修の家に向かう途中、ときどき、私は「同修の家は邪悪に監視されてはいないだろうか?」と思います。そうすれば、絶えず同修の空間場に廃物を与えてしまい、邪悪にエネルギーを送り込み、知らず知らずのうちに邪悪を加持してしまうことになります。なんと恐ろしいことでしょう!

 大法弟子は大法によって造られた生命で、正念を持って自分を支配しなければならず、どうしてマイナス思考に身を任せるのですか? この問題に対して、1日も早くはっきりとした認識を持つべきで、絶対にそれに動かされてはいけません! そして、このようなマイナスの思考形式の形成過程のもっとミクロの次元まで掘り下げ、そこから徹底的に、きれいに排除しなければなりません!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/2/12/304340.html)
 
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