『正念で神韻に対する』を読んだ後
■ 印刷版
 

文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2017年4月25日】私はニューヨークに来て1年経たない中国からの大法弟子です。神韻チケット販売に参加することができて、光栄に思います。今朝、同修の文章『正念で神韻に対する』を読んだ後、私は恥ずかしく思いました。私は神韻公演を鑑賞したいと思い、早めによい席のチケットを買いました。しかし、このチケットは私が買うべきではなく、衆生に譲るべきでした。どうすれば挽回できるだろうと考えました。

 私は友人のことを思い出しました。彼女は親切で善良なフィリピン人です。私と彼女は神韻交響楽団のチケット販売店で知り合いました。そのとき、私が1人で販売店の後片付けをしてから帰ることがわかると、初めて出会ったにもかかわらず、手伝ってくれました。

 この友人は神韻交響楽団の公演を鑑賞して、すごく褒めていました。その後、私は神韻芸術団の公演を勧めましたが、彼女は帰省するために、お金を貯めないといけないという理由で断りました(彼女はニューヨークの公務員です)。私はそれ以上勧めることができませんでした。

 私は自分のチケットを彼女にあげるべきだと思い、彼女にメールを送りました。「私は自分のために、神韻のチケットを買いました。2枚のチケットを買うお金がなかったので、このチケットはあなたにさしあげます。あなたは必ず見に行ってください。貴方がこんな素晴らしい公演を逃すことを、私は望みません」

 思いがけないことに、彼女から返信がありました。彼女は「あなたは『賢者の贈り物』という物語を読んだことがありますか? 私もチケットを買います。これはあなたへのプレゼントです。あなたと一緒に神韻を見ることができるなら、更に有意義になります」と書いてありました。

 私は1月11日夜のチケットを買っていました。そして、彼女から私にメールが届きました。「あなたは知っていますか? 私の誕生日は1月12日ですよ」。私は「本当ですか? 知りませんでした」。さらに不思議なのは、しばらく経ってから、彼女から再びメールが届きました。「この1年間ずっと週末の仕事を探していました。なかなか見つからなかったのですが、今日見つかりました。すごくうれしいです」

 慈悲なる師父に感謝いたします。

 『正念で神韻に対する』の文章を書いた同修に感謝します。この文章がなければ、神様の彼女への按排を逃したかもしれません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/15/338959.html)
 
関連文章