明慧法会|15年間文章を書く中で自分を修め法を実証する
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文/黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2017年3月31日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 まず、大陸法会が見事な成功をおさめたことをお祝いします。今回、修煉体験の文章を書く中で自分を修め、法を実証した体験のいくつかを書きますが、もし不足の所があれば、どうぞご叱正をお願いします。

 一、文章を書き始める

 はっきりと覚えているのですが、1999年10月ごろ、同修が経営する書店に行った時、おりよく行政機関の所在地から来た同修が付近のインターネットカフェでネットを見ているということだったので、私も見に行くことにしました。しばらく明慧ネットを見ていると「中国の同修が迫害されている状況下で、大法弟子のウェブサイトは、大法弟子を一つにまとめる役割を大きく果たしている」と感じました。そしてその時「こんなにも簡単にまた一つのことを知った」と思いました。

 その後、師父が新経文『心自明』を発表されてから、私たちの地区では明慧ネットとより強くつながるようになりました。当時、インターネットで調べる同修は真相を伝える資料をダウンロードする以外に、修煉体験もダウンロードして、地元の同修に回覧していました。そのおかげで「修煉体験を同修と分かち合う時、自分の修煉のわずかな体験も分かち合うべきではないか?」と考えました。しかし当時は、ただそのように考えただけでした。なぜなら当時、真相を伝えるための作業に忙しくしていて(シルクスクリーン方式で資料を印刷していた)、この考えを実践するまでに至りませんでした。

 その後、2002年5月、さらに多くの同修が資料拠点の仕事を担当し始めたので、私に少し時間ができました。ちょうどこの頃、江沢民が他国を訪問していた時で、全世界統一発正念の時、いくつかの様子を天目で見たので、その様子を書いたものを同修に頼んで打ってもらい、インターネットにアクセスしてから、明慧ネットで発表しました。そこから文章を書くという方法で法を実証する道が正式に始まりました。

 文章を書く過程の中ではいつも、自分が理解していない多くのことがらがありましたが、心を静めて文章を書くことによって、さらにはっきりと明瞭に理解することができました。文章を書く時は師父のお言葉を引用しなければなりませんので、出典を探さなければならず、そうなると、師父が説かれたお言葉を読み返すことができ、さらに、師父のお言葉を読むと大きく恩恵を受けたと感じたので、まず師父のお言葉を暗記し、それから、その大法書籍を読みました。このような状況がいつも現れました。その後の15年間に、多くの風雨を体験しましたが、常に頑張る過程の中で、いくつかの不思議な出来事と体験がありました。

 二、妨害を突破し正念正行する

 文章を書き始めた時、最大の妨害は自分自身から来た要素でした。自分の空間場の中に不正で清らかでない多くのものがあり、それらは暴露されたり、消滅されたりすることを好まなかったからでした。そこで私が文章を書いている過程で、これらの要素は必死に邪魔をし、妨害したのです。具体的には、文章を書く過程で、私の思惟に「筋道が断たれる」という状況が現れました。本来、構想はとてもよい1編だったはずが、結果として、文章を書いている過程で、いつも上の句を書いた後、それに続く下の句に何を書けばよいかわからず、どのように書き出せばよいか、わからなくなりました。さらに、絶え間なく音が響き、まるで「あきらめろ、これはあなたの歩む道じゃない」と言っているかのようでした。さらにクラクラし、足腰が痛んだり、背中が痛む症状が現れました。また不思議なことに、筆を置いて書くのをやめると、頭が痛くなくなり、元気が出てくるのです。しかし、筆を持って書き始めると、各種の耐えがたい症状が現れるのでした。はっきりと覚えているのですが、書き始めた頃は、文章を1編書き終わった後、体を2日間休ませないと回復しませんでした。

 しかしそれでも、どんな状況であろうと、この道を歩まなければならず、そうでなければ、体験を同修と分かち合えないだけでなく、それでは自分勝手だと感じたからでした。たとえ自分がどのようであろうと、法の中で悟ったものをありったけ現し、同修と分かち合わなければなりませんでした。

 この道を歩むことを決心した時、体の妨害はだんだん少なくなり、思惟はどんどんはっきりし、文章を書くのに骨を折らなくなり、その後、文章を書きたいと思った時、文章の内容やことばの組み立てが速く、文字を打つ速度を遙かに上回っていました。

 私が住んでいる地区は、給与が低い上に、給与が差し押えられたり、迫害によって生活が困窮したり、さらにこの頃、もともと私のために字を打ってくれていた同修が都合で手伝えなくなってしまいました。その時、私は「どんな方法であろうと、法を実証するのに条件をつけてはならない。『同修の協力があって初めてできるのであって、誰も協力してくれなければ行えない』と言ってはならない」と思いました。そこで、修煉している母親に相談し、さらに同修の助けを借りて、長年積み上げた財産の半分を使ってデスクトップパソコンと小さいインクジェット・カラー・プリンターを買い、タイピングとインターネットとプリントを自分で学びました。修煉の基点と心境を正しく決めた後、パソコン関係の技術の調べ方がわかるようになり、プリント関係の技術の調べ方もわかってきました。このようにして、パソコン初心者であった私は、短時間にパソコンの基本操作をマスターしたのでした。

 2003年5月頃、中国共産党の迫害のために、もともとあった資料拠点が破壊されました。この厳しい状況の下、資料拠点と協調を抱え込まなければならず、さらに技術を教え、さらに消耗品を購入しに外出する仕事もあり、この段階で忙しくなり忙殺され、特に疲れたと感じることがありました。しかし、そのような時はいつも、師父の詩『正念正行』を黙々と暗記して自分を励ましました。2006年10月末、仕事でほかの県に行き、夜は残業で、10時頃帰ってきてから法を学んで、その後でパソコンを開いて各種の文章を書き始めました。時には、空腹さえも感じませんでした。ある時、文章を書き終わるとすでにもうすぐ12時だったので、正念を発した後、へとへとに疲れてしまい、パソコンも消し忘れてしまいました。次の日も朝早く起きて出勤しなければなりませんでした。職場では、力仕事以外に、真相も伝えなければなりませんでした。このように苦しかったのですが、より多く経験し、より多く考え、そして文章をより多く書きました。

 三、文章を書く途中での不思議な体験

 文章を書く全体の過程の中で現れた不思議な出来事はたくさんありましたが、ここではわずかですが二例を紹介します。

 ある時、修煉体験を書いていると筆が下ろせなくなり、どのように書けばよいのかわからなくなりました。少し疲れて横になりたかったので、結局そこに横になりました。すると、すぐに主元伸が体から離れ、師父が主元伸をつれてある空間へ行くと、いくつかの光景が見えました。主元伸が体に戻った後、さきほど見た光景についてよく考えると、その修煉体験をどのように書けばよいのかわかってきました。

 さらにある時、優曇華の花に関する文章を書いていた時、この文章が効能を用いて法を実証するたぐいの文であったために、文字を打っていた時、最初しっかりと文字を打てたのですが、しばらくすると、手がとても痛くなり、違和感を感じました。そして「なんと、自分が見たもの、知っているものをすべて書くべきではなく、ある事柄は書くのに適さない」と冷静になって考えました。そして、書くべきではない文字を削除すると、手はすぐに痛くなくなりました。

 多く法を学んだ時は、文章を書いている時に、あるいは、その前後で、実際、どの部分に書くのに適さない内容があるのかを感じることができました。ある時は、そのことに自分で気づくことができましたが、ある時は気づきはするものの、「面倒くさい」という人間の心理によって多くを考えようとしなくってしまうために、このような文章は編集を担当する同修に一定の困惑をもたらしたのでした。ここで深謝します。

 四、文章を書く過程全体で自分を修め人心を取り除く

 自分の文章が次第に明慧ネット、および、その他のウェブサイトで続けて発表されるようになったので、多くの同修が私と交流したがり、また、私が「天目が開いた修煉者」であることを知ると、外に求める心が強い同修が修煉中に遭遇した現実的な問題を私に解決するよう求めてきました。これは私が遭遇した外部の状況でした。

 私自身について言えば、自分の文章が発表された後、まず自分自身に「達成感」がありました。なぜなら、母親はかつて執筆を学んだことがあるので、ずっと作家になりたがっており、私も学生時代に文筆したりするのが好きで、日記を書いたりしていたからです。多くの同修が私と会って交流したがる時、「歓喜心」や「自己を実証しようとする心」などの人心が自然とわいてきました。その時、自分の心がしっかりしていないことに気づき、以前のような、和やかで慈悲に満ちた法で胸がいっぱいになるような感覚はなくなっていました。

 この状態が正しくないことに自分で気づいた時、法を多く学び始め、さらに、あえて文章の内容の「方向」を転じ、身近にいる同修たちの修煉と法を実証した経験を書くようにしました。このようにすると「実際、多くの同修の体には大法の力が反映されており、修煉者としての無私無我の境地が現れている」ことに気づきました。たとえば、ある年配の同修はいつも地方に資料を持ち帰っていましたが、非常に不便だと感じ、自分の家に「小さな花」を咲かせたいと思い、この願いを持った後、師父が適切な人を按排して教えに行かせたので、年配の同修は困難を克服し、今までマウスに触ったことのなかったその手は、パソコンの基本操作をマスターし、小さな花が1人歩きできるようになりました。

 また、ある同修は、同修である家族が不当に連行されたために資料を送る任務を担いました。その時、その同修は暮らしに困っており、さらに2人の子供もいましたが、それらのことを気にせず、雨の中を自転車で同修に資料を届けていました。

 ある80歳の老夫婦の同修が家で資料を作っていましたが、レーザープリンターが壊れたので、協調人が私をその老夫婦の家に部品の交換に行かせたのですが、その時、実際、私は眼に涙を浮かべていました。「80歳の老人が、常識で考えれば、悠々自適の晩年を過ごして至極当然なことであるはずなのに、苦労をいとわず、強権に立ち向かい、家の中で人を救うというこんなにも偉大なことを行っており、これは大法の偉大で無限の威徳が反映されているのではないか!」と思いました。

 多くの場合において、第一線で真相資料を作ったり、直接真相を伝える同修を思い起こすたびに、自分が恥ずかしくなり、この時「逆に見れば、自分が文章を書くと、どうしてあんなにも多くの歓喜心と自己を実証しようとする人心が起きてしまうのか?」と思いました。これが大法弟子としてあるべき状態だと言えるでしょうか!

 はっきりと覚えているのですが、多くの地区において、私の文章を読んだことがあると同修から聞かされ、労働教養所の中でさえも同修から聞かされたのでした。その時「どうして同修はこの話をしたのだろうか? これは私のどの人心に向けられたものだろうか?」と思いました。後で「一方では、まだ私に歓喜心や達成感などがあるかどうかを検証するため。もう一方では、私が書いた文章は一定のプラスの効果を引き起こすことができる以外に、多方面での副作用も具現されており、特に、功能を運用して法を実証した文章を大量に書いた後、すでに同修に大きな動きをもたらし、ほかの同修の新奇を追い求める人心を呼び起こし、これが全体に妨害をもたらした」とわかりました。これはなんと残念な出来事だったでしょうか。

 この点に気づいた後「文章は書かなければならないが、同修に動きをもたらしてはならない」と思い、いっそのこと毎回異なった仮名を使い、あるいは署名さえせずに、文章の風格もいつも変えるようにしました。このようにすると、表面上、同修は私の文章を見つけ出せなくなりました。そして、時間が長くなるにつれて、人心も放棄して淡々としてきました。

 私自身にとってみれば、仮名を使い風格を変えて文章を書くことで、表面的な解決には至りましたが、問題は、私が心の中で本当に法を実証することに基づいて行い、その中に自己を実証するいかなる要素も持ち込まずに行えるかどうか、さらに、自分を本当に同修の中に置き、すべての人を大切にできるかどうか、ということでした。これは最も重要なことでした。ここまで行わなければならず、人としての多くの観念を突破しなければなりませんでした。特に「自分を社会の最底辺に置き、別の方面では何も得意なものはないが、ものを書くことだけはできる」という考えが、自分と他の同修とをひそかに対比するよりどころを成していました。これは何ともみっともない心で、人の中での地位やいわゆる名誉を重視していたのではないでしょうか。地位や名誉を重視している時は、人の中の執着をつかんで放さず、それは精進できない強大な邪魔になっていました。

 その後、法を勉強して、自分の境地も絶え間なく向上し「実際、人の中で、あるいは同修の環境の中で自己を実証しようとすればするほど、つまづいて知恵は小さくなり、法から離れていき、日が経つにつれて状態はどんどん悪くなっていった」ことに気づきました。

 この点に気づいた後、人の中であれ、同修の中であれ、特別に低姿勢になり、しっかりと口を修めました。

 その数年後、修煉の中で絶え間なく成熟したので、どこを歩んでいようとも、同修と接触する過程において、同修と協力する心に基づいて物事を行いました。私は黙々と文章を書きながら自分を修め法を実証する道を歩み、人が読んだ文章が、それが自分が書いたものだとわかる必要はなく、わかってほしいとも思いませんでした。ただ本当に自分の歴史的使命をやり遂げることができれば、それで十分でした。たとえ同修が私と交流し、さらに「名を慕って」私に会いに来たとしても、私がどんなに多く話したとしても、私個人の考えを話すだけでした。つまり、具体的にどのようにする、などのことを他の人に絶対に話さず、私に対する何らかの形式による依頼や崇拝を同修に起こさせないようにしました。

 私が一番よく交わした言葉は「心を静めて師父の法をよく学びさえすれば、すべての問題はおのずから解決される」でした。他の人が話す内容は他の人の認識であって、それぞれの道は違うのですから、同じような問題であっても、人によって状況が異なり、違った行い方があるかもしれないのです。ですから、本当に法に則って悟らなければならず、それではじめて問題の根本を解決できるのです。このようにすると、外に求める心が強い同修は、私のところへ来てもその執着を満たすことができませんでした。そして、本当に私と交流したいと願う同修は、心と出発点を正しく持っているので、交流の効果も理想的でした。

 五、文章を書く経験を分かち合い、ペンで法を実証するよう同修たちを励ます

 多くの同修に会い「同修たちは自分の経験と、法に対する悟りを書きたがっているが、どのように書いていいかわからない」ことがわかりました。同修たちと交流した時、いつも「文章にはもとよりたくさんの書き方があります。ただし基本的には、自分が現したい内容をはっきりと文字にすればそれでいいのです。たとえば、自分が経験したことについて、はっきり書き、さらに、どうしてそれが起きたのかを説明し、自分がその中でどのように師父と大法を信じ、どのように悟ったのかを説明します。これが基本パターンです。困難を恐れることはすべて人心であり、ある事柄について他の人が書いたから自分は楽をして書かない、などを含めたものはすべて、人に頼り、責任を負わない人心が災いしているのです」と言いました。

 ここでは、すべての同修が参加して文章を書くようにと言っているのではなく、このような意味ではありません。私が言っているのは「この方法で法を実証したいと思っている修煉者は、文章を多く書いても差し支えない」ということです。これは私にとっても、同修にとってもとてもよいことです。また、自分の経験と教訓を他の人にも取り入れてもらえるのです。このようにすれば、全体の力の向上にとって有益なのです。

 さらに実際、インターネット上の体験を読むにせよ、評論文章や資料などを読むにせよ、どのような文章であるかにかかわらず、その内容を見なければならないだけでなく、文章を書きたいと思っている同修にとっては、その文章を書いた方法は必ず見なければなりません。それはつまり、その文章を書いた方法と思考角度を見なければならない、ということです。このように絶えず他の人の経験を取り入れることは、文章を書く力の向上にとって非常によいことです。

 非常に重要で厳粛な問題をはっきり話さなければなりません。文章が書ける者はその修煉の出来具合を代表しているのではなく、その者がこの方面において熱心さと願望があるだけです。このことについて、明慧ネットではかつて編集部が出した文章の中で厳粛に提起しているので、特に注意しなければなりません。

 15年間文章を書いてきた中で経験を積んできたことを、簡単に述べるならば「はじめに文章を書いた時は、文章の中にいつも『他人事』という印象がにじみ出ており、後に、その要素がとてもよくないものであることに気づき、他の人が問題に遭遇した時、厳しく非難するのではなく、善の心と、同修と大法のために責任を負うという態度に基づいて問題を扱わなければならない、ということに気づきました。その後、私が書いた文章の大半は『相手の立場になって考える』という修煉に関する問題を扱いました。二度と他人を非難することはなくなり、ほかの人と一緒にその方面においてしっかり行うことを望んだのです。真相や評論の文章を書くときは、常人の心情や常識の思考から、内容は深くても表現はやさしく説明し、問題を論証し、一人で勝手に詰め込む式の文章を書きませんでした。詰め込み式の文章を書いた場合、容易に人々の反抗心を引き起こし、衆生が真相を理解することにかえって影響してしまうのです。しかし、それと異なり、常人の普通の思考そのものに立脚し、さらに、常人の現実の中の直接的な利益に結合させると、常人に容易に受け入れられた」のです。

 結び

 多くのことを話しましたが、概して言えば、文章を書く中で最も体得したものは「法をよく学び、発正念をしっかり行う状況下では、文章は順調に書くことができるが、ただ単純に文章を書いていたのでは、順調に書くことができないばかりでなく、効果もよくなかったのです。さらに、法を実証するいかなる事であろうと、その活動そのものによって執着心が生まれてはなりません。私が文章を書く場合も、それは同じです。文章を書いて法を実証するときにも、このように行わなければならず、面と向かって、あるいは、資料を作るという方法で真相を伝え法を実証する時も、やはりこのようにしっかり行わなければなりません。決して自分を守り、ある単一の方法だけで法を実証してはならないのです。それは非常に好ましくなく、法を実証することを、ある一つの方法にかたくなに行えば、それは中国共産党に隙を突かれるかもしれないので、この点は注意しなければならない」ということでした。この方面で、私は深く教訓を受けました。

 はっきりと覚えているのですが、ある時、法を実証する文章を急いで書いていると、その結果、パソコンのシステムに問題が現れ、私はあわてていたので、職場に休みを申請し、大雪で道が妨げられている状況下で、行政機関の所在地へパソコンを持ち込み、システムを最初から入れ直し、その後、パソコンを持ち帰って、同修がパソコンを調整しましたが、どうやってパスワードを設定すればよいかわかりませんでした。やはりシステムには入れなかったのです。この時「文章を書くことに対して執着が生じたために、中国共産党に付け入られたのだ」と警戒しました。その時は、全体で1カ月半かけてパソコンはやっと直りました。

 数年前に大陸法会である同修が書いた『もし、もう一度選択できるのであれば、私は師父の大法徒でありたい』という文章を読んでとても感動しました。法を正す17年の間の15年間に、すでに各種の文章を書いてきましたが、実際、私も同修のみなさんの各種の文章の中で益するところが深く大きかったので、文章を書いたすべての同修のみなさんと、それぞれの大きなウェブサイトの編集を行う方たちにここでお礼を申し上げると同時に、15年間私を支持し、助け、励ましてくださった国内外のたくさんの同修の皆さんにこの機会を借りて深く謝意を表します!

 最後にここで「今生、私たちは『大法弟子』という称号を大事にし、しっかり行わなければなりません。法を実証するという千万年に一度の機会は、その万古の機縁には限りがあり、師父が巨大な努力で延長してくださったわずかな時間を大事にし、使命感に燃えなければなりません」と申し上げておきたいと思います。

 もう一度、師父にお礼を申し上げます! 同修の皆さん、ありがとうございました。

 合掌

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/4/336972.html )
 
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