法を正す過程の進み具合がますます早くなってくるに従い、私は一刻一刻がすべてあらかじめ按配されていたのだとわかりました。この重要な時には、意外なことや偶然なことはありません。
先週、ワシントンで法を広めたとき、私は一刻一刻が完璧に按配された方法で他の人に真実を説明する絶好のチャンスであることに気がつきました。他の人と一緒にエレベータに乗ったときや、私が道を渡るその前で車が止まったときなどの小さな事でも、彼らの生命にとっては実は重要な時間です。バンクーバーから来た女性がホテルのエレベータに(私と一緒に)乗った時、彼女はバンクーバーの学習者が泊まっている階でエレベータを降りました。私は彼女に一冊の小冊子を渡し、その後のことは彼女と一緒に降りる修煉者がすることを知っています。これは別に意外なことではなく、ちょうど師父が「社会で接触している全ての人が真相を説明する相手である。」とおっしゃっている通りです。私は先に按配された全ての良いチャンスを失わないように意識しました。その人たちにとっては、(真相を知っているかどうかの)区別は生と死の境であるかも知れません。
全てのことは大法の需要によって存在しています。この意識がとても重要です。私たちは「ああ、メディアは全て反対の立場になっていたから、私たちの話を聞かないし、私たちに十分な関心をしてくれない」と思ってはいけません。メディアは私たちのために存在します。技術、飛行機、テレビや全ての物は私たちが使用するために存在しています。私は、このことがわかったら、修煉者はもっと簡単にこのような重要な方法を使って真相を説明することができると思います。
私はさらに、ワシントンで、修煉者はいつでも自分の身の回りに起こった出来事に対して十分な注意を払わなければならないと思いました。ある時、師父が按配した機会がさっと失われること、これは受け入れられないことです。私は自分がもっと精進してどんな状況のもとでも完全な大法粒子のようにすることを願っています。私たちが乗る飛行機は3時間遅れましたが、私たちはその時間を他の人に真実を説明する機会であると思っていませんでした。物を食べたり、法を勉強するだけでした。私は私たちが1つの重要なチャンスを逃したと思いました。
たまに我々は疲れたと感じ、休憩したくなります。守らなければならない方法で法を広めることにおいて、私たちは精力がありません。恐らく、悪の坩堝に長くいたから、法を学んだり、あるいは煉功を通じて、エネルギを補充しなければなりません。そうであれば、これは私たちが(この時に)やらなければならないことです。もし、私たちがグループであれば、その中に、煉功するのが必要な人や、或いは法を学ぶことが必要な人は、それをするべきですし、法を広めることのできる人は法を広めていくべきだと思います。
今現在、(私達への)要求は非常に高いと感じています。資料を配るのもただ配るだけではありません。資料を渡すときには、私たちは神様のようにしなければならず、そうすれば、相手がその資料の貴重さを最もよく分かってくれます。このように法を広めると、人々がいかに資料を受け取り、感謝の意を表し、そして真剣に読み始めるかを私はすでに見たことがあります。いっぽう、もし私達の状態が良くないと、資料を配り、真相を教えるのは自分自身の時間と精力を浪費します。
私達はまた、軍隊のようにみんな同時に同じ事をするわけではありません。座禅を必要とする人は座禅し、交流を必要とする人は交流したらよいのです。重要なのは、大勢のおもむくままに従い、ほかの人がやることをやる、ということを避けなければならないということです。
現在、どんな事でも法の立場にたって問題を見ることが重要な任務であると私は思っています。社会にはたくさんの出来事と機会があります。私たちは、いかにして法を正すために力を出すかを自分自身に問い掛けるべきです。私たちの身の回りのあらゆる場面において私たちは、「自分はいかに直面する出来事において大法の粒子として振舞うのか」を自問すべきです。
私たちは気ままに、麻痺した状態で常人に従うことはできません。
浪費する時間はありません。私たちは人類世界で生存するためにここに来たわけではありません。私たちがここに来た目的はこの特殊な時期に師父を助け法を正すことです。要求はとても高く、師父がカナダの法会にておっしゃったことですが、私たちはさらによくするべきであると、私は思います。
私は、私たちがこのことをやり遂げることができると知っています。毎回私たちが一緒に集まり偉大な法を広める活動を行っているとき、私もこのことを知ることができます。私たちはますます法に同化しています。私たちは時間を使って、他の人から受け取ったビラに何か問題があるかどうかを尋ねます。私たちは人ではなく神のやり方で色鮮やかな真相説明の資料を配布しています。また、私たちはこの仕事をもっとよくできることを知っていますし、私たちは1つ1つの場面があらかじめ按配されているチャンスであると見なし続けることを願っています。なぜなら、このような場面を利用して他の人が真相を理解するのを助け、さらに彼らの生命が永遠に救われるようにするためです。
私の話が他の人の手助けとなることを希望します。適当でない点があればどうぞ私に知らせてください。