大法弟子の徐増亮医師は、法輪功を続けたため、1999年7月以降様々な非人道的迫害を蒙り、2001年4月17日、警察による虐待により死亡した。遺体は上半身裸で、股の内側には直径約30mmの紫がかった濃赤色の円状の傷があった。頭には長さ140mm程の傷跡があり、耳は砕け、全身血まみれでだった。
徐増亮、男性、1972年に生まれる。1993年に山東漢方薬医科大学に入学し、1998年大学卒業、同年、平度市漢方病院に就職した。大学生時代に法を得ると、大法の原則に従って自分の行為を厳しく律し、心性を向上させ、“真、善、忍”という宇宙の特性に同化してきた。温厚な人柄で、人と喧嘩したことは一度もなかった。いつも自分よりも他人のことを先に考え、他人からの誤解や、嘲笑、理由のない譴責などに直面しても、怨まずに慈悲の心で対処してきた。就職した彼は自分をより厳しく律し、同僚も、患者さんも皆が“やさしくて正直で良い人だ”と称賛している。しかし、法輪功の修煉を放棄しなかったため、1999年7月以降、様々な非人道的迫害を受け、2001年4月17日に警察官による殴打により死亡した。
徐増亮さんは1999年10月、政府に法輪功の実態を説明するため、一人で北京へ行った。そして、信訪局に入ろうとしたが、警察に捕まえられた。拘禁中、トイレは使わせてもらえず、所持金3000元も没収された。一度は釈放され病院に戻ったが、再び警備室に拘禁され、警備課長や部下からは殴打や罵言を浴びせられた。人間の自由はすべて奪われてしまった。その後、病院の清掃、自転車の整理を担当させられ、毎月の給料はたったの250元だった。その後、次の派遣先の薬局では、最も汚い仕事をさせられた。2000年7月、彼はある学習者に会いに行ったとき、警察から非合法な尋問と殴打を受けた。また暴露の資料を3日以内に書くことを強要され、できなければ、強制的に労働矯正所へ送ると威嚇された。徐さんは身も心もずたずたになってしまい、会社をやむなく辞めた。その後も警察と前の職場からは持続的な非難があった。両親には勘当され、友人からは見放され、徐増亮さんは流浪の旅に出ざるを得なかった。
各地で様々な迫害を受けたが、彼は正念を忘れず、大法を、師父を堅く信じ、動揺することはなかった。困難な環境下であっても、彼は依然として楽観的な心を保ち、他の学習者を助け、正念を堅めた。彼は「修煉者として、生死を放下するべきだ」と言った。大法を、師父を堅く信じ、正念を持っていたため、辛い目に遭っても邪悪に屈服せず、自分の命を放下した。
徐増亮は2001年4月14莱西で補導され、4月17日、殴打により死亡した。この事件に対し平度及び莱西公安は責任を回避することができない。徐増亮が死亡当時、上半身裸、股の内側には直径約30mmの紫がかった濃赤色の円状の傷があった。頭には長さ140mm程の傷跡があり、耳は砕け、全身血まみれであった。遺族には翌日4月18日に、このことを知らされた。
警察は責任回避のため、隠ぺい工作をしたとしても、良知のある皆さん、冷静沈着なすべての人々にとって事件の真相は明らかであろう。また別の面から見れば、今回のこの事件は邪悪が明るみに出ることのないことを証明した。昔から「因果応報」と言う言葉がある。邪悪は一時的にのさばることできるが、徐増亮さんを殺害した人は必ず法律の制裁を受け、天理の処罰を受ける。