文/遼寧の大法弟子
馬三家労働教養所2大隊は11月22日、20人あまりの男性の警官を赴任させて、女性の法輪功学習者を苦しめようとしている。これらの男性警官は公安処の「強襲するグループ」と称している。
2005年11月18日、馬三家労働教養所2大隊に収容された大部分の法輪功学習者は受刑者の服を脱いで、迫害を制止しようとした。労働教養所の管理者は激怒して、法輪功学習者に食事をすることやトイレに行くことを許可しないように命令した。午前、数人の大隊長、分隊長が四防人員数人を連れて順々に部屋の中の受刑者が脱いた服や持ち物を全部持って行ってしまい、一枚の掛け布団だけを残した。四・六時中ずっとトイレへ行くことが許されないため、法輪功学習者は室内のたらいで用を足すしかなかった。悪人たちは逆に学習者を誹謗し、あざ笑い、辱めた。3日目の昼ごろ、労働教養所はやっと食事をすることを許した。
5日目(22日)、馬三家2大隊は多くの男性警官を着任させた。約20人あまりの警官は電気棒、手錠を手に持って、法輪功学習者を順々に総合ビルまで連れて行き、各種の手段で殴ったり、恐喝したり、餌で釣ったりして、強制的に受刑者に服を着させた。1分隊では呉麗霞さんを総合ビルまで連れて行き、悪らつな警官は入ると何も言わず先ず殴ってから、6人の男性警官が彼女を囲んで真っ向から、殴ったり蹴ったりした。その中の一人の警官のナンバーは2118674であった。終えた後、強制的に受刑者の服を着させて、暖房の管に両手を回して手錠をはめ、一晩中吊るされた。翌日連れて帰る時にはすでに歩くこともできなくなり、他の人が階段を一段一段背負って連れて帰った。すべての学習者は警官にいろいろ嫌なことをされ、強制的に受刑者の服を着させられた。それぞれの分隊には暴力により重傷になった学習者がいる。2分隊で拘禁されている徐淑英さんは、大勢の警官に殴られ一週間ベッドから起き上がることができなかった。5分隊にいる鄒秀菊さん、劉素文さんもみなある程度殴られた。3、4分隊にも暴行を受けた学習者がいるが、詳しい状況は明らでない。
12月7日、2大隊の警官は、また全隊の学習者に積雪を除雪するように強いた。一部分の学習者は行かなかったので、大隊長と四防人員に強制的に引っ張られて降りてきた。5分隊で、何人かの学習者が降りて来なかったため、大隊長・周謙、奎麗、張秀栄と幹事・張春光は恐ろしい形相をして室内に飛び込んできて蹴ったり、ぐっと引っ張ったり、怒鳴りつけて、聞くに堪えない下品な言葉で罵ったりした。大隊長・周謙は邱美艶さんの足を二回蹴った。邱美艶さんは「なぜ人を殴るの?」と言った。周謙は激怒して更に残忍に殴った。
邱美艶さんは警官に大隊班まで引っ張られた。その後、張春光に髪の毛をしっかりつかまれて階下まで引きずられた。その時、邱美艶さんは薄着で、単鞋(靴)をはいていた。戻ってきてから自分たちが迫害された問題を解決するよう求めたため、大隊の事務室でまた周謙、張秀栄の2人に殴られ、顔をつかんでびんたされた。顔は殴られ腫れてきた。それからまた引っ張られてもの干し場の日陰に立たされる罰を受けた。
劉素文さんもびんたされた。周晶さんも一緒に引っ張られて階下で1時10分から3時半まで立たされる罰を受けた。2分隊の孫平さんは毎日昼ごろ、引っ張られて隊長のトイレに立たされる罰を受けた。4分隊でも、ある学習者は立たされる罰を受けたが、詳しい状況は明らかではない。
馬三家労働教養所の警官はこのように気の向くままに法輪功学習者を殴って、体罰を加えている。これは身の回りで発生した事実を目撃したに過ぎない。更に多くの人に知られていない真相が覆い隠されている。悪らつな警官に紙とペンをすべて探し出されて、持っていかれ、話すことや書くことが許されないために人に知らせることがとても難しい。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/1/20/69150.html) 更新日付:2011年9月28日