難民というと、私の脳裏には、アフリカの貧しい、やせた子供達が現れてきます。基本的には、マイナスのイメージの印象が強いのですが、まさか自分が、難民として申請をすることになろうとは思いませんでした。
2004年7月、就職のために日本に来ましたが、結局、難民の申請をすることになりました。最初はあまり多く考えていませんでしたが、再び、中国に帰って迫害を受けたくないという気持ちだけでした。同修と交流して認識が高まり、難民申請することも、真相を伝え、衆生を救い済度する方式だと、認識するようになりました。私は日本にきてまもなく本名で明慧ネットに中国の国内で受けた迫害を発表しました。しかし、この経験を利用して日本で衆生に真相を伝えられるとは考えませんでした。同修の話によると、日本で難民を申請する大法弟子は、ほとんど迫害を受けた経験はありません。中国でこんなひどい迫害が起きていることをあまり信じていないことが、日本政府が法輪功学習者を難民として認めない一つの原因だとおもいます。真相の内容を信じていないから認めないのです。
もし、もっと多くの中国からきた弟子が、迫害の資料を提出して真相を伝えれば、大法弟子が難民を申請するのに役に立つのではないかと思います。日本政府が真相を理解し、大法弟子を難民として認めれば、このことはつまり、中国で起きている迫害の事実を公に認めることになり、客観的に日本政府は迫害を認めて中国を責めることになります。
政府が、難民認定をすれば、大法弟子を救助することになり、日本は美しい未来を築くことができるのではないかと思います。難民申請をすることは、とてもいい真相を伝える方式で、普段、日本政府に真相を伝えようとすれば、相手が、時間がないかもしれないし聞きたくないこともあるかもしれません。しかし、正式に、法律の手順を踏めば、彼らは必ず目を通さなければならない、それは、彼らの仕事だからです。
同修の考えを聞いて、当時はとても、道理があると感じました。日本での大法弟子の、難民申請の情況は楽観的ではなかったけれど、私達は、中国から来たばかりで、弁護士を頼むお金もありませんでした。しかしやはり、難民申請をすることを決意し、私達、3人家族(みんな大法弟子)は、2004年9月に申請書を提出しました。2005年3月に難民調査官と面接して私は初めて、難民申請する中で、真相を伝える深い意義を体験しました。 私の迫害経験が多いので、調査官は何回も面接し最終的に6日かかりました。法輪功とは何か、法を得るとは何か、また迫害の情況、また日本に来てからの修煉に関する活動などについて詳しく調査しました。その間ずっと台湾籍の通訳が一人つきました。調査の過程で彼らは、大法の素晴らしさがわかり、迫害の残酷さと、人道的でないことを理解しました。
私は、彼らに二度、中国語と、日本語の『共産党についての九つの論評(九評)』を渡しました。最初は、自分でインタネットからダウンロードしたもので、二回目は、正式に印刷した新聞を渡し、彼らに『九評』をよく読むことを何回も勧めました。『九評』をよく読めば、中国で法輪功をなぜ迫害するかよく理解できます。調査官は、『九評』を読んだと私に伝え、こういいました。「中国人はすべていい人とは言えない。しかし、あなた達はいい人です」と言いました。かれは、私達の難民調査に対して、非難やいじめなどをしませんでしたし、難しさを少しも感じませんでした。
結果がどうであっても、調査官と通訳の二人に真相を理解してもらうことさえできれば、私達が難民申請をすることは正しく、意味があると認識しました。申請書と真相の資料は、審査許可を得るために、上に報告するので、彼らだけではなくほかの上司が見るはずです。目を通せば、彼らにも真相が分かるはずです。
難民申請をする過程で、娘は日本の小学校に入って、中学に進学しました。難民申請の署名を集める過程で、娘の小学校と中学校の先生と生徒たちも、迫害された経緯が分かりました。特に、中学校の校長先生は、会議でこのことを発言してくださり、ほとんどの先生たちは署名をし、ある先生の家族までも署名してくれました。また親戚たちが署名を集めてくれ、大法弟子を支持する善良な人たちは、それぞれ美しい未来を築きました。
2006年1月、私達は知らせを受けて、難民申請の結果を聞きに行きました。結果、難民申請は認定されませんでした。理由は三つあります。私達は普通の修煉者で、責任者ではないので、中国国内で受けた迫害及び日本で活動に参加したことで、帰国して迫害を受ける可能性は認められず、中国国内で受けた迫害は将来中国において再び迫害を受ける理由とは認められないというのです。これははるかに、事実に符合していません。引き続きもっと詳しく真相を伝える必要があります。
私たちがごく普通の修煉者であることは間違いありませんが、99年7月に迫害が始まり、自宅まで荒らしまわされ、私は会社に3カ月余り拘禁されて、天安門に行って横断幕を掲げたことで拘留され、迫害によって仕方なく自分の家に住めなくなり、路頭に迷うようになりました。私はまた広州で捕まえられて、2年の労働教養を言い渡されました。(明慧ネットに報道済)
これはみんな迫害事実です。ドイツの学習者・姜仁政さんは難民申請をして認められなかったので中国に帰国して捕まえられました。日本でごく普通の学習者も、空港で拘留された学習者も少なくありません。だからごく普通の修煉者が迫害されないと言えるでしょうか。
申請の不許可の認定のあと、異議があれば、7日以内に異議を提出することができると係官は言いました。また、長期滞在の申請も提出でき、これは難民申請と関係ないと言われました。私達はもちろん日本に残りたいのです。わたし達は、中国で法輪功を修煉して迫害されたから日本にきたのであり、帰国したら必ず迫害を受けるのです。結局、わたし達には1年の定住ビザが下りました。この結果について同修と交流して、難民として認められなかったことに対して異議を申し立てるかどうかで考えが分かれています。
異議を提出することに不賛成の理由は、結果から見れば、日本政府は実は大法が迫害を受けていることを認めており、定住の身分を与えてくれるのは大法弟子を助けてくれることで、ただ中共政権を恐れて、公に認めることは出来ないのだということです。しかも、日本は移民国ではないので、日本にとっても、人口密度が高い国で外来者が長期定住することは敏感な問題で、私達は彼らの困難をも理解してすべきだというのです。何年か前にもこのようなことについて、日本の法輪功学習者も認められなかったので、今回も提出しないほうがよいと一部の同修は意見を出しました。
難民として真相を伝えたからもういいと思っている人もいます。私達が難民を申請するのは、中共邪党がすべての国家機器をコントロールして、法輪功を迫害しており、その邪党がコントロールしている中国の保護を受けたくないということは、中共が法輪功を迫害することへの抗議を意味しています。
実は、中共政権は、国民にどのような保護を与えたのでしょうか、中共政権は、本当は何もやっていないのに、国民は自分たちの統治の下で世界での中国人の地位がおおきく、高まったと自慢しています。しかし、中国の、パスポートを持って旅行している中国人がどのようなことに遭遇しているかを見れば、その実態は、はっきり分かります。世界中、北朝鮮を除いて、中国のパスポートより使いにくいものはないでしょう、このパスポートで、ビザ申請をしなくてもよいと認める国は一つもありません。中国のパスポートを持っていれば、どこの国へ行くにもビザを申請しないといけないのです。
香港とマカオのパスポートを持っている人は、それぞれ130と60あまりの国へビザナシで行ける許可を与えられています。天安門で法輪功学習者として捕まえられた外国人はすぐに釈放されますが、外国籍の中国人であっても、大陸の国民と同じように、勾留されたり、労働教養を言い渡されたりしたりする可能性があります。
1951年、国連は、難民条約を制定して、条約に加入する国は、義務を履行しなければならないと定め、国連難民事務所は、必要なときは関与を行ない、真の難民を保護し彼らを命の危険がある国へ送ってはいけないのです。日本は契約国の一つです。難民は、契約国に、保護を要求するのが難民申請者の権利であって、契約国は難民に身分を認定して、保護をするのがその義務なのです。だから難民としては、何ら恥ずかしいことではなく、それは難民を作った国と政府の恥辱であり、難民を申請するのも、喜捨をもとめるのではないのです。
中国大陸で生活した人は、知らず知らずのうちに邪党文化に影響されて、観念を形成しています。例えば、私は、日本にきたばかりのとき、政府に行って、用事を行なう時は、いつも、恐れていました。道路を渡るとき、青でも、車を見たら思わず避けてしまいました。邪党は権力を持ち、普通の国民は、弱者層であり平等とはいえません。だから政府機構はいつも高くそびえたち、高級車を運転して、町中を信号無視で縦横無尽に通行する特権があります。政府が職能を果たして国民に少しでも具体的なことを行なったら国民は非常に感激して涙を流すのです。中国のテレビでは、いつも、政府と官吏が人民を助ける宣伝の場面が出てきます。私は、政府が国民にサービスする民主主義の国に来て、しばらくたってから、やっと自分の心のバランスが取れるようになりました。私は調査官に面したとき、彼と人格的に平等だと感じました。驕慢でもなく、卑屈でもなく、ただ事実を述べました。
法理から言うと、「表面上我々は世間の人に大法への支持を求めていますが、これは人間のこのところに表した世間の人の考えです。実はその反面、このことは逆になっています。大法を支持し、大法を肯定的に宣伝した人は自らの未来に生命の存在を切り開き、未来に法を得るための基礎を築いたのです」(『アメリカ西部法輪大法交流会における李洪志先生の講演』)。大法弟子が、難民申請に参与したので、それでは今日、難民申請制度は本来、大法弟子を救助するためにあるのではないか。大法弟子は、主役であるべきではないか。日本は、難民を認める数は少ないのですが毎年平均して10数人を認定しています。たとえ、一人を認定しても、その一人は大法弟子の難民であるべきで、法輪功に対する迫害は、今世紀最大の人権迫害であり、どうして大法弟子を難民認定しないのでしょうか、これは正常なことでしょうか。
大陸の弟子の親族は、自分の目で、大法弟子が修煉したあとの変化を見て、迫害が訪れたとき、自分の良心のままに家族の修煉を支持するか、あるいは邪党文化の過去数十年の運動で形成した論理に屈服して、良心に反して家族に修煉を諦めてもらうのか、国、政府に対してこの迫害の中でどのように人権を守り、大法を支持するか、あるいは中共の暴威を怖がって、あるいは経済の利益を求めて、沈黙を保ち、悪人に悪事を働かせるのか、私達が真相を伝えることは、人々に、正確な判断、あるいは正しい行動を取るために役に立ち、将来に遺恨させず、人が最終的にどういう選択をするかは、本人自身が決めることで、私達は善を勧めるしかできません。だから法律は異議を提出することを許しているので、難民を認めない理由は、事実に符合していません。私達は事実そのものについて論じ、この機会を利用して、もっと深く広く真相を伝えることを喜んでやるべきではないでしょうか。最終結果がどうであれ、いかなることにも執着せず、その過程の中で最大限にうまく行うように力を入れることだと思います。
個人の悟りですので、正しくないところは慈悲の指摘をお願いします。
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2006/4/2/71480.html) 更新日付:2011年9月28日