文/海外の大法弟子
【明慧日本2018年8月27日】前回の明慧法会(訳注:2009年明慧ネット十周年法会)は9年前のことでした。明慧ネットは全世界の大法弟子たちが、体験を交流するプラットホームであり、法を正す状態の全体を具現し、また大法弟子たちが迫害を暴露する最も重要な資料を集め、全世界の人々に真相を伝えています。そしてこの18年来、編集グループの一員として、相対する寂しさの中で持ちこたえていくことは、まさに、師父が繰り返し強調なさっている明慧ネットの作用であり、それを私に力を与えてくださいました。
師父に守られる
明慧ネットでは「どこにいても師父に見守られており、ウェブサイトは実質的に安定して運用されています。それは師父が守ってくださっているからだ」ということを理解できました。もし、私たちが自分の修煉状態を誓うことができ、法の為にこの責任を持ち、同修に対する責任感を保持することができれば、続けることができ、さらにずっとやり通すことができます。そして「寄稿や原稿編集の中での実質的な難度もこれと同じである」ことを私は体得しました。
はっきりと覚えているのですが、数年前、私たちは謙虚であるべきである、と師父は私たちに説かれたことがありました。そこで私は「自分が何かをしていると絶対に感じてはいけない」と思いました。そして確かに、事実上、中国の同修の体験交流と同じように、どれを読んでも、同修が心の中で師父に感謝申し上げていることがわかり、私自身もいつも師父のご加護を認識していました。
ある時、中国の同修の原稿を数編続けて閲覧し、ある種の気持ちの問題が映し出されました。この問題は文章を書いて検討するべきだと感じ、この問題についての原稿を中国の同修が書いてくれることを期待しました。しかし、数日間待ちましたがありませんでした。またその間、自分ではどうしても原稿を書けませんでした。その頃、経文を読み、続けて数段読み、それが同じ問題であることがはっきりしました。そこで、やはり書かなければならないことがわかり、他の編集担当の同修と交流し、他の同修が書いてくれることを望みました。その後夢の中で、寝ている時の頭の中にはその文章があり、どのように文章の階層を分け、どのように展開するのかが現れました。そして目覚め、師父が悟らせてくださったのだとわかり、二度と理由をこしらえるべきでないとわかり、すぐに書き始め、30分で書き終わりました。そしてその文章を発表すると、中国の同修が引き続き討論を始めました。
ある時、何かを行っていると、そのプレッシャーがどこから来たのかわからず、また、そのことによる影響であったかもしれず、自分がまだ修煉できていない部分と衝突したのかもしれません。そして、師父が手取り足取り助けてくださっているのを感じました。本当に心の中で、自分がもう少ししっかり修煉できればと願い、多くの物事が自然に順調に運ぶようにと願い、大きな障碍がないように願いました。ある要件については、個人の状態が低かったため、考えつかなかったり、できなかったり、あるいは結果が出なかったりしました。
師父は「あなたはそれほどの能力に到達しなければならないのです。法を正すことはあなたの智慧がそこまで達することを必要としているため、自分がいかに有能かと思わないでください」[1]と説かれました。編集担当として、私たち自身はこのような使命を運命づけられているのであり、このプロジェクトを全うするために必要な知恵と能力を師父はすでに授けてくださっていたのです。すべての弟子に対して師父はさらに多くのさらに困難な要求をなさっているのではなく、それはもともと到達できるものであり、もともと到達できるように按排されたものだったのです。ですから、もし行うことが可能なのであれば、それは定められた結果であり、当たり前のことなのです。しかし、もし行えなかったり、考えつかないのであれば、それは修煉が遅れているためであり、師父の歩みに追いついていけない、ということなのです。
静かに修煉する
当時の海外の多くの大法弟子の経歴は似ている可能性があり、中国で中学、大学を経て大学院を受け、その後、出国して勉強し、海外に残って仕事をしてここまで至り、私もそうでした。そして当時は、仕事を始めて少ししてから、「7.20」の迫害が起こりました。始めは事務所の仕事をしながら明慧ネットの仕事をしていました。しかし、しばらくして続けられなくなり、専門に明慧ネットの仕事をするようになりました。
始めてから数年、なんら別の考えはなく、非常に専念していました。なぜなら、とても忙しく、たとえ他の同修と接触がなくても、常人との接触がなくても特に何も思わず、中国同修が迫害された経験や体験の交流を編集し、心がはずみ、時には感服し、時には中国共産党に対して腹立たしくなりました。グループ内の同修たちと連携する上でトラブルがあり、自分の執着も多かったのですが、方向を転換させるべきでした。
数年後、ふと頭を上げて周囲の環境を見てみると、自分がその中にいないかのようであることがわかり、毎日の文字を打つ仕事以外、話すらする必要がなかったからです。家では経済的な問題はなく、仕事は必要ありませんでした。時には町で仕事の制服を着て行き交う人を見て、うらやましく思いました。時には地区の集団学法に参加したくなりましたが、長い時間続けることができなかったので「この修煉者はいつも真相を伝える地元のプロジェクトに、熱心に参加することができない人だ」と皆からは思われ、理解してもらえず、時には、グループ輔導員にプレッシャーを与えてしまいました。しかし、明慧編集担当としては、何を行っても絶対に話してはならず、それは中国の同修の安全のためであり、プロジェクト全体の安全のためなのです。ですから、だんだんと地元の学法グループにも参加するのが難しくなってしまいました。
たぶん10年ほど前だったと思いますが、ある時、私の修煉状態がよくなく、明慧ネットの仕事を行う上でのプレッシャーも、以前より大きく感じていた時がありました。そんなある日、折りよく別のプロジェクトが人を募集して審査しており、一時の興からちょっと覗いてみたくなり、会ったことはない、他の同修を見に行きたいと思いました。すると、入るや否や、師父がロビーの中央に姿勢正しく座っていらっしゃいました。師父は私を見て表情がとても厳粛になり、怒っておられる様子に見えました。そしてしばらくすると、師父は「みなさんの中には忙しい人もいるはずなのに、ここに何をしに来たのですか? ここはあなたが遊びに来るところですか?・・・」とおっしゃいました。
帰宅途中で、私はこと細かく考えました。師父は中国の同修に対して、非常に関心を寄せていらっしゃり、注意深く見守っていらっしゃり、明慧ネットを非常に重視していらっしゃり、このことを私はずっと知っていました。しかし、私はここでこれらの仕事をしていても、とても重要なことだと感じたことがなく、さらに、他のプロジェクトの中で歩もうと思ってしまい、実に偶然なことでした。そして、師父にこのように言われてしまい、自分の認識が違うのかもしれないと思いました。そこで「状態がよいか悪いか、自分がどのように感じようと、このプロジェクトの中で続けよう。寂しいと感じるか感じないかにかかわらず、がんばっていかなければならない」と私は決心しました。すべての生命の来世の目的、行方、受け入れ能力を、師父はとてもよくご存じなので、人選を間違えられるはずがありません。私たちはやり通し、やりぬき、成し遂げてこそ、師父の期待に背かないのです。
周りにいる何人かの編集担当の同修が謙虚で、低姿勢であることを私は知っています。ある同修は「偶然、明慧の仕事を行っており、明慧の中である役割を担っています」と言っています。時にはさらに、その同修よりも他の人の方が適切に行えるのではないか、と感じたこともありました。しかし、その実はそうではなく、私たちは迷いの中におり、多くのことが私たちには見えないだけなのです。昔の人は「知遇の恩に対しては、命を投げ出してでも報いる」と言いました。すべての大法弟子についていえば、師父の選択はただ単に「知遇の恩」であるにとどまらず、私たちは命を投げ出す必要はないのです。しかし、私たちは確かにまじめに、非常に努力する必要があり、どれだけの時間がかかろうとも、私たちはやり遂げなければならず、大法を実証し、師父の選択を実証しなければならないのです。
師父はかつて「静かに修煉することも修煉の一つです」と私たちに説かれたことがありました。ですから、自分の修煉方法と修煉の道を私は疑ったことはありませんでした。海外と比較していえば、この道はとても寂しく、これこそがこの修煉方法の難しさなのです。そして、各人の修煉の難度は多方面に体現されています。
努力して仕事を行う
毎年の『5.13』法輪大法デーの応募原稿、明慧法会の応募原稿、年4回の春節などの祝賀期間は、編集グループが最も忙しくなる時間です。時には、中国の同修は非常に積極的で、私の記憶では、原稿が多かった時は2万件以上の原稿がありました。しかし、原稿はどれも貴重で、それは同修たちの修煉過程と成果であり、これらの原稿の中から原稿応募期間中に選び出して発表する原稿は、いつもの日常の原稿の文章として、取り扱わなければなりませんでした。ですから、仕事はいくつかのステップに分けられていました。原稿が投稿されてから最後に発表されるまでの期間は、1、2カ月ありました。編集グループが仕事を重ねなければならない時、日常の発表に問題が出ないように維持すると同時に、応募原稿の仕事の質も維持しながら、期日通りにやり遂げなければなりませんでした。
時には、協力がうまくいかず、人手が不足し、個人修煉の状態が基準に達しないこともあり、そうすると、仕事を行う上でのプレッシャーが大きくなり疲れ果て、時には、応募原稿がすでに発表された後でも、疲れの感覚に押しつぶされました。実際、毎回、応募原稿が発表されると、各地の同修たちからの反応があり、効果はとてもよかったのです。同修たちの文章は精彩を放ち人を感動させ、法を実証する役割を果たしました。そのため「中国の同修が原稿を書き、それがグループの原稿となり、文字を打つ、それが要となる部分です。編集はただ単に選び出し、編集し、相対的に述べるだけで、そんなに疲れることはないはずだ」と私はいつも思いました。そこで「毎回の応募原稿のことを考え、自分の能力不足を嘆いた後でも、いかなる難事業も地道に努力を重ねれば、ついには成し遂げられるものだ」と思い直しました。
昨年(訳注:2017年)3月、応募原稿の時期が来た、と同修が教えてくれました。中国の同修たちは忙しくなり、私たちもその編集で忙しくなるはずです。しかし、私は部屋の中に座り「こんなに多くの作業量が・・・」と悩みました。するとその時、師父が周りの人を借りて「努力して仕事をするべきで、仕事を止めてはいけません」と私に悟らせてくださいました。
もちろん、以上は自分の修煉のエピソードです。すべての編集担当者たちはもちろん応募原稿が数多く来て、そのレベルが高いことを希望しています。そうであれば、全体の状態がよいことを説明できるのです。そして、よい原稿は必ずあるはずで、そうでありさえすれば、気持ちが落ち着いてくるのです。
心性を修煉する
中国の同修はいつも私たちを励ましてくれます。ある中国の同修は手紙で「編集担当の同修の皆さんが長年やってこられていることを私たちは皆知っています。自分も明慧ネットの意義を知っているつもりですが、実際には、中国の同修の念頭における明慧ネットの役割と意義を、みなさんは完全には体験できないでしょう」と言いました。
いつも、何らかの活動や編集に対して反応や問い合わせなどがあり、中国の同修は非常に協力的でした。ある同修の返信はきわめて少なく、数行でしたが、相手の修煉の成熟度と理性を感じ取ることができました。
しかしまた、皆が明慧ネットを重視しているので、心性修煉の機会もまた常にあるのです。編集者と投稿した人は時に観点が異なり、重点が異なります。投稿した人の考え方は往々にして、現地の状況から出発し、文章を書いた人の努力から出発し、地元の同修を救った角度から出発しており、それらの観察したよくない現象や、自分が感じた迫害の雰囲気による焦りなどになっていました。しかし、編集担当はこれらを考慮する以外に、ウェブサイト全体の影響を考慮しなければならず、原稿の質と方向、異なる読者たちの影響を考慮しなければなりませんでした。時には、文章の基本的な観点は正しくても、論述が極端であるか、偏っている可能性もありました。「正と反が同時にある」[2]という道理は、文章の発表、および、その効果についていえば、十分に体現されるものでした。
ですから、いくつかの原稿は使えないか、まったく使えないこともあります。だからと言って、編集担当の考え方も二言三言ではっきりと伝えることは難しく、それは原稿が書かれた場所の複雑な事情によっており、投稿した同修と交流することも簡単ではないのです。このような状況下では、往々にして誤解やトラブルが生じやすく、ある同修の反応が激しいこともしばしばありました。
ですが、絶えず修煉していく中で、自分がだんだんと乗り越えることができるようになったと感じました。時には表面的な態度を通して、実質的な問題を解決することができることもありましたが、時には、心が波立つこともありました。
最近、師父が説かれた「明慧ネットは偉大であり」[3]を私はよく思い出します。私たちは非常に平凡な修煉者ですが、従事している仕事は偉大であり、大きな忍の心を持たなければなりません。私たちの修煉の道はそこにあり、みんなが仲良くしながら、成し遂げられるほど簡単なものであるはずがありません。誤解や疑問、トラブルは当然あります。だからといって、トラブルを排斥すべきではなく、自然にまかせるべきであり、気持ちを落ち着かせて対処すべきです。
ときどきパソコンを開いた時「今日は『仕事』があるのでしっかり準備し、トラブルや批判を恐れない」と思うことがあります。そして、間違いがあれば正し、もし誰かが周到でないと思うか、全体の角度から考慮できないのであれば、説明のしようがありませんが、正しいことは続けなければならないので、心の中では他の同修に対してうまく対処し、理解しなければなりませんでした。
この点において ずっと修め続ける
「修煉とは、このように少しずつの積み重ねです。いつもの毎回の小さなことで、毎回動かされる気持ちの上で、毎日の仕事にまじめに取り組んでいるかどうかが問われます」ということを私は理解しました。長い間にわたって、少しずつ心性は必ず向上していくはずです。そして最終的に円満成就し、師父の期待に背きません!
ありがとうございます、師父!
ありがとうございます、同修の皆さん!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「明慧ネット十周年法会での説法」
(2018年明慧法会の発表文章より一部の内容を要約したもの)