台湾法会 | 法を実証し、生まれ変わった21年間の修煉の道
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文/台湾の大法弟子

  【明慧日本2019年12月12日】

 師尊、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は江富美と言います。今年84歳です。62歳を迎えた1998年に大法に出会った時、私は乳がんを患っていました。師父の導きで健康を取り戻し、生まれ変わりました。

 瞬く間に21年が経ちました。この21年間を振り返り、私は大法を修煉することによって生まれ変わり、再び得た命で法を実証し法を広めることに努めました。この長い年月の中で多くの奇跡や不思議な出来事が起きました。今日、皆さんとそれらを分かち合うことができてうれしく思います。

 一、20年間、健康保険を利用したことがなく、随時に法を実証する

 62歳の時、乳がんを患い病弱な私の周りには、修煉をしている同修は2人しかいませんでした。病業の関を乗り越えるために、私は毎日法をたくさん学び、法を暗記して、煉功に多くの時間をかけました。8カ月後、私は結跏趺坐で第五式の功法を2時間できるようになりました。修煉前、階段を降りる際に感じた膝の痺れと痛みは修煉後に完全に消え、右足にあった骨棘(こつきょく)も第五式の功法をしばらくやった後に完全に消えました!

 70代になったある日、早朝の煉功を終えた私は同修と一緒に、朝食をとるためにあるレストランに入りました。すると、店長は皆に測定機器で健康状態を検査するよう勧めました。店長は私の血液の活動力の値が38歳の基準であることにびっくりして、どのように健康を保っているのかと聞きました。「私は法輪功を学んでいます」と答えました。私は随時に法を実証し、市場で野菜を買うときも、百貨店でショッピングをするときも、隣人と会った際も、そして同窓会でも大法を紹介し、その都度大法に興味を持ち修煉し始める人がいました。

 旧正月に家族が集まった際、夫は皆で血圧を計ろうと提案し、60歳の長男、58歳の次男と夫は3人揃って高血圧でした。かって18年間病院に行ったことがない私を見て、夫は私の血圧も正常か計って見ようと言いました。「私は大丈夫。計る必要はない」と言いましたが、夫は「計ってはじめて信じることができる」と言いましたが、結果的に私の血圧は家族の中で最も正常でした。

 夫は親や友人によくこういう話をします。「以前、家内は話をするとき、必ず私を押さえつけていましたが、今は何を言われても罵られても全く気にせず別人に変わりました。法輪功は本当に不思議です」。夫は友人の奥さんたちにも法輪功を紹介しています。

 81歳の時、9日間の講習会に参加しに行く途中、時間に追われて急いでいた私はオートバイにぶつけられました。しかし、痛みは感じず、全く怖くなかった私は救急車の搬送を拒んで、西洋医学の治療も拒み、電話で同修に頼んで家に連れて帰ってもらいました。帰宅後、傷口を確認してみると、小指ほどの大きさの穴が開いていましたが、出血はありませんでした。傷口を洗ってから私はぐっすり寝ました。翌日、足が大きく膨れ上がり、両脚に力が入らず、動けなくなりました。ベッドに横たわりながら、私は9日間の講習会と神韻チケットの販売状況が気になって、同修に仕事を代わってもらわなければいけないと思いました。

 横になったままではいけないと思った私は、ベッドの上で第一式の功法を始めました。続けて第二、第三式の功法を行ない、第四と第五式の功法はベッドのふちに座ってしました。心配していた息子は私を病院に連れて行き、X 線検査を受けることになりました。検査の結果、脛骨(けいこつ)が骨折し、腓骨(ひこつ)に亀裂が入っていました。医者は石膏で固定しようといいましたが、私は「漢方の治療方法をとりたいです。煉功で治せます」と言いました。医者は「漢方では間に合いません! 今すぐ治療しないと手術になります。すでにひどい状態です」と言いました。私はそれを聞いても気にせず、息子に家に帰ろうと言いました。

 ベッドの上で10日間煉功してから、私はベッドから降りて、怪我をしなかった片方の足で立って煉功しました。毎日、私は片方の足に体重を乗せて1時間の動功を行ない、第五式の功法はベッドの縁に座って半跏趺坐でやることにしました。煉功し始めてから、脚が日に日に良くなっていると感じました。医者は、回復まで6週間が必要だと言いましたが、煉功を続けているうちに、5週目に私の痛みは全部消えました。

 痛みがなくなって両足で立って煉功しようとしたとき、息子は「もし骨がしっかり回復していなければ、手術になりますよ」と言い、再検査のために私を病院に連れて行きました。医者から骨が完全に回復したと聞いた私はすごく嬉しくなって、帰宅後にさっそく結跏趺坐で座禅を始め、いくら苦しくても必ず足を組まなければならないと思いました。

 わずか5週間で私は歩けるようになり、自転車に乗って買い物に出かけられるようになりました。1年足らずで私は再び第五式の功法の結跏趺坐を2時間できるようになり、大法の素晴らしさと、健康の大事さを実感しました。大法に出会っていなければ今日の私はないので、師父による救い済度のご恩に感謝しています。

 毎日、自転車で市場や百貨店に自由に行き来する際、隣人や親戚に会うと、肌が綺麗で気品があると褒められることがよくあります。その時、私はいつもこう答えます。「84歳になった今、20年間健康保険を利用したことがありません。私は法輪功を学んでいます」。私は随時に法を実証し、どのように法を実証すべきかを常に考えています。

 1000人も集まる同郷会でスピーチをする際も、私は自分の年齢を公開しています。数人の理事長夫人は私に、「毎年、あなたの元気なお姿がみられて、しかも益々若くなっているようです。何かの養生の秘訣でもあるのでしょうか?」と聞いてきます。私はその都度、「私は法輪功を学んでいます」と答えます。

 二、法を正す師に手伝い、国内外で真相を伝え

 より多くの人に大法を知ってもらうために、修煉して4カ月目から法を広め始め、1年経った時、新しい煉功拠点の設立に取りかかりました。その年、私は毎朝自転車で煉功拠点として適切な場所を探し回っていました。新しい煉功拠点に10人の学習者が来たら、その拠点をそこの学習者に任せることにしました。もっと遠いところに煉功拠点を設立するために、毎朝、私は夫がまだ寝ている間に起きて、彼の車で場所探しに出かけ、夫が出勤する前に車を戻していました。しかしある日、路肩に停めていた車が車上狙いに遭い、窓が割れてしまって夫にばれました。私の安全を気にして、夫は車を使う事を禁じました。そのため、八つ目の煉功拠点ができた時、私は探し回ることを辞めました。

 法を得るように人を導くのも重要ですが、より重要なのは、新しい学習者が修煉を続けること、さらに法に溶け込むことです。私は新しい修煉者を大切にし、彼らのことを常に気にかけ、彼らが精進し着実に修煉できるように励ましています。また、新しい同修が続けて修煉できるように、私は家を、9日間の講習会を終えた修煉者たちの交流場所として提供しています。   

 中国共産党による迫害が始まる前、私は1年ほど素晴らしい個人修煉の時を過ごし、煉功拠点や学法拠点には常に40人ほどいました。1999年7月、共産党による弾圧が始まった直後、9日間の講習会に参加する人数は2~3人にまで減り、多くの同修は連絡が取れなくなり修煉を諦めました。人々が共産党の嘘偽りに騙されないように、迫害が1日も早く終わるように、私は国内外の多くの真相を伝える活動や署名活動に参加し、十数カ国を訪ねました。 

 最も印象深かったのはロシアの旅で、飛行機を降りるや否や氷点下20度の冷凍庫に入ったようでした。同修たちと最も安くて古い旅館に泊まり、毎日雪道を行き来し、資料を配りながら真相を伝えました。公園のベンチは雪だらけで座ることができず、リュックに入れた魔法瓶の水も石のように凍りました。1日が終わり旅館に戻ってカップ麺を食べる日が8日間続きました。ある日、売り場で物を販売している中国人を見かけて親しみを感じ、さっそく資料を渡して真相を伝えました。しかし、その後ロシアの警察に事務所に連れて行かれ、パスポートまで没収されました。台湾に戻れないかもしれないと心配していた時、ある人が台湾の事務所に電話をかけてくれたおかげで、やっと私たちは解放され、無事台湾に戻ることができました。 

 10年ほど前に母が病気になり、介護が必要となり、私はベトナム人の介護人を雇い、その時に彼女に煉功を教えました。契約が満了し、彼女が帰国する時、私は彼女にベトナム語の『轉法輪』をプレゼントし、自分が使っていた功法ビデオもあげました。彼女は喜んで受け取り、大法を家族や友人、隣人にも伝えると約束しました。その後、彼女は本当に約束を果たしました。翌年、大法を修煉している弟が数人の同修を誘い、ベトナムに法を広めに行こうとする際、私は100冊のベトナム語の『轉法輪』を寄付しました。後にベトナム人の修煉者が1000人ほどまで増えたと聞きました。 

 三、神韻芸術団が巡演で来台、客家同郷会でチケット販売を推し進める

 神韻芸術団が巡演で台湾に来た5年目の年、私はチケットを販売するために新店区の客家(はっか)同郷会に加入し、数人の理事長と知り合い、この客家の団体を発展させようとしました。新北市には53の会合拠点があって、500~2000人ほどの会員がいると聞き、そこで神韻を紹介しようとしましたが、1回目に断られました。ある理事長は名刺を交換したがらず、握手も拒み、私はとても気まずいと感じました。理事長はこう言いました。「5年前にすでに私に神韻を紹介する機会をくれと頼んだ人がいた。彼らは皆、法輪功の人だった!」

  断られても私は諦めず、「必ず神韻をこの団体に紹介する」と心に決め、知り合いの理事長に、毎回の会合に賛助金を出す条件で、壇上で伝統文化と神韻を5分ほど紹介する機会を頂きたいともちかけました。すると、続々にいくつかの会合拠点が私の条件を受け入れてくれました。毎回、私はスピーチの原稿を用意して暗記し、神韻と伝統文化を紹介する時間を把握するようにしました。その後、私は理事長全員に大紀元時報を送りました。新聞を読んだ後、理事長と夫人たちは中国での虚言による宣伝だと見破り、法輪功の良さを知るようになりました。

  初めは、理事長や会員たちは神韻が普通の公演だと思い、数千元もするチケットを買おうとしませんでした。私は理事長と夫人たちを神韻公演の鑑賞に誘うと、その後、彼らは喜んで大会の壇上で神韻を宣伝し、賞賛を口にしながら会員たちに必ず神韻を見に行くようにと勧めました。53の会合拠点に好評が伝わり、ここ数年、私は毎年20回以上の神韻を紹介する機会を頂けるようになりました。多くの場合、私は自ら壇上に上がって神韻を紹介し、師父が下さる知恵と加持により、多くの賞賛を頂きました。客家の同郷たちは神韻の素晴らしさを知り、法輪功が良い功法であることを知り、私たちボランティアが払った犠牲に敬服するようになりました。

  より多くの客家の同郷に法輪功の良さを知ってもらうために、私は本やビデオを理事長と代表たちに贈りました。理事長夫婦が若くなったのを見て、私は彼らも修煉し始めたと推測し、私たちはより親密な同修になりました。総会長や前文化局長も私に会った際、親指を立ててこう言いました。「6年間、あなたが壇上に上がる姿を見てきて、本当にあなたの精神に敬服しました。あなたは私たちの誇りです」

 数多くの法を実証する機会を下さった師父に感謝いたします。また、私は師父が「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」[1] と説かれた経文を絶えず自分に言い聞かせています。 

 四、結び

 21年間の数々の出来事を振り返り、私は大法を修煉することによって生まれ変わり、二度得た命で法を実証し、法を広めてきました。師父は「ですから、最後になればなるほど、皆さんに対する試練も厳しくなり、もっと肝心になるのです」[2] と説かれています。私は常にこの経文をもって自分を励ましています。最後に、以下の師父の説法をもって、同修の皆さんと励まし合い、ともに精進し、法を正す師に手伝い、衆生を救って行きたいと思います。

 「皆さんが神聖で清らかで、しかも、この上なく美しく素晴らしい世界から落ちてきたのは、皆さんがその次元の中で執着の心を持つようになったからです。それに比べて最も汚れた世界の中に落ちた後、皆さんは速く元へ戻るよう修めることなく、かえってまた汚れた世界の中の汚い物をつかんで放さず、甚だしきに至っては、少しでも失えば苦しみに耐えられません。皆さん、ご存知ですか? 佛は皆さんを済度するため、かつて常人の中で物乞いをしていたのです。わたしは今日、門を大きく開いて大法を伝え、皆さんを済度しています。わたしは無数の苦難を嘗めても苦しく感じたことなどないのに、皆さんはまだ何が放下できないのでしょうか? あなたは心の中で放下できないものを天国へ持っていけるのでしょうか?」[3] 

   以上は私の修煉体験ですが、不足の部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をよろしくお願いします。

 師父に感謝します! 同修の皆さんに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」
 [2] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修」

 (2019台湾法会の発表文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/27/396192.html)
 
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