異常な状態の背後にある要素と執着を探す
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文/清揚  

 【明慧ネット2020年10月15日】最近は新型コロナウイルスのためにリモートワークが続いているので、自由な時間ができました。以前ほど忙しくないので、自分の修煉における不足について反省する時間が増えました。師父は「少なからずに休み自省して正念を添え 不足を明らかにして再び精進す」[1]と説かれたように、最近悟ったことや心性向上のために心がけていることを、同修の皆さんとシェアしたいと思います。

 一、 煉功のために心がけていること

 この期間、私は第5式と第2式の功法の時間は長くても1時間程度で、時間を伸ばすことは考えていませんでした。しかし、体に深刻な病業が表れ、これを改善するために、家族(同修)と交流して煉功を通して突破することにしました。そして、私は試してみようという気持ちで90分を目指しました。座禅をして40分のときにすでにかなり痛く感じ、70分のときには体が震えるほど痛くなりました。80分の時は急に笑い出したり、泣き出したりしました。私は簡単に苦痛で涙を流すことはありませんが、当時はなぜか涙が出てしまいました。終わってから、胸から下が全部しびれていましたが、大きな何かを師父に取り除いていただいたと感じました。もしかしたら、笑ったのも泣いたのも他の空間の私が、師父が私にしてくださったのを見たからかもしれません。

 しかし、座禅中は心が静まらず、入定もできなかったのはこれから改善すべきところです。この過程で感じたことについてまとめました。

 (1)痛いのは大した問題ではありません。以前長い時間座禅できなかったのは自ら突破しようと考えていなかったからです。さらに思想業やほかの要素に邪魔されて、座禅の姿勢から足を崩してしまいました。座禅で心が静まらないときに、「足を崩させる要素」(妨害する要素)を滅して取り除くことで、思想業やほかの要素に妨害されず、座禅の長さを完全に主意識がコントロールできます。こうして座禅の時間をかなり伸ばせました。

 (2)妨害は様々な形で現れます。初めて90分を突破したとき、最後の数分で脳内に明らかに「足が折れそう」という一念が現れました。その後、「座禅は苦痛しかないのか」という一念も出ました。私は「自分の考えなのか? 思想業なのか? どっちなのか」と考えました。明らかに自分ではない念であり、長い間の修煉において、初めて思想業によるものだとはっきり感じました。以前は一部の考えが少しおかしいと気づいていましたが、これほど明確に分かったのは初めてです。

 また、90分の座禅を1週間続けてから、妨害が他の形に変わりました。突然多くの些細な用事が増えたせいでまとまった時間で煉功することが難しくなったのです。しかし、数日間発正念して突破することができました。今は朝3時に起きるように努めています。安定していませんが、続ける過程で、寝る前に「早起きを妨害する要素を滅する」という一念が必要だと気づきました。こうすれば、早起きが容易になります。以前も3時に起きたことがありましたが、1時間しか座禅できない時、昼間は非常に眠くて、昼寝しなければ何もできない状態でした。しかし、2時間の座禅をすれば、昼寝しなくても十分です。

 二、正しくない状態の裏にある原因を見つける

 約10年前から、私はしばしば目の疲れを感じます。特に日差しを長時間浴びると目が非常に疲れ、もし日差しが強い昼間に出かけて数時間いると目が非常に乾いてしまいます。それから心臓が痛くなり、胸が苦しくなる状態が現れます。大脳の反応も鈍くなり、ひいては思考停止状態になります。こうなると、朝早く起きれなくなり、予定も狂ってしまいます。私は常人の仕事も人を救うプロジェクトも長時間パソコンと向き合わなければならないため、常人の角度から見ればしっかり目のケアをしていないがゆえに引き起こしたドライアイの症状と似ています。これは正常な状態ではないと気づいて、絶えず旧勢力及びそれが按配した妨害の要素を滅するようにしていましたが、大きな改善はありませんでした。

 しかし、最近の学法で師父が「現在大法弟子が法を実証する中で現れた異常なこと、しかも長期的な妨害であれば、これはきっと黒い手の仕業です。根絶する時必ずそれらを徹底的に解体してください」[2]と説かれました。自分の状態を反省してみると、常人は強い日差しの下にしばらくいると少し疲れるのは正常であっても、私のような強烈な反応は正常ではありません。明らかに師父がおっしゃっている異常で継続的な妨害です。その日から私は毎日この妨害に対して発正念し続け、その症状がだいぶ軽減されました。強い日差しの下にいても少し疲れるだけで、私は確信が持てました。

 この過程で、私の考えはますますはっきりして、この状態を形成した原因について悟りました。この妨害の一部は常人の表面的な最初の一念にあり、だんだんと私の頭の中で因果関係を成していきました。「これまで自分が目の保養をしっかりしなかったために、日差しに弱くなってしまい、出かけると疲れるのは仕方ないことです」。自分がこの状態を認めてしまえば、自分が常人であることを認めてしまっていることになります。ゆえに黒い手と卑しい鬼がこの観念の背後に隠れて強い妨害を与え続けています。

 修煉者にとって、目が非常に疲れる状態は外的要素である長時間の日差しとあまり関係がありません。この点をしっかり認識できれば、常人が考える原因と自分の状態を結び付けて因果関係を成そうとしなくなりました。私は旧勢力の妨害と黒い手、卑しい鬼が根本的な原因だと気づきました。

 いま私の脳には条件反射のように良い習慣ができています。日常生活においても、目が疲れ、心臓が痛い状態が現れると、すぐに「黒い手と卑しい鬼を解体する」という一念を発し、自分の考えが常人の考えにとらわれないようにしています。そのため、今はこのような強烈な妨害はほとんど現れなくなりました。現れてもすぐに消えてしまいます

 この過程で私はもう一つの問題に気づきました。以前妨害される状態になると、急用がなければ早く休みたいと思っていました。これも常人の考え方で、自分が妨害されていることを認識できていません。そのため、この状態が現れると、なるべく早く突破しなければなりません。たくさんの煉功を通して突破できます。

 この悟りは私にとって大きな進歩です。しかし、妻(同修)と交流して言われました。受け身になりすぎて、妨害されてやっと突破できたのです。なぜこのような異常な疲れという偽の状態に妨害されるのかと自分でも反省しました。この問題を深く追求すると、自分のもう一つの深い執着を見つけました。

 三、成功への執着

 私は学歴が高く、様々なことを学び続ける習慣があります。しばしば新しい知識、技能あるいは問題解決ができることに興奮します。従って、私は勉強あるいはプロジェクトをするときに興奮して休みなしに続け、多くの技能や職業証書を取得しました。もちろん磨きをかけて、一生懸命に取り組むことは世間で悪いことではありません。私もこれは自分のプラスポイントだと考えており、真剣にその背後になにか執着がないかと考えたことはありませんでした。

 しかし、「なぜ私は異常な疲れという偽の現象に妨害されるのか?」という問題について考えるようになってから、ある日、法を暗記しているとき急にひらめきました。私は新しい知識、新しい技能あるいは問題解決後の興奮を好んでいるため、勉強や仕事のときは往々にしてこの興奮を求めています。ひいてはもっと大事なことを後回しにしてしまいます。疲れて休むことはなおさらです。師父は「人間には中毒という言葉がありますが、中毒とは何かを教えます。医学的に、快楽を司る神経が刺激され、発達すると依存症になると言われていますが、そうではありません。どういうことでしょうか? 時間が経つにつれ、あなたの体にあなたの姿形と全く同じもう一人のあなたが出来上がります。このもう一人のあなたは執着によって構成され、あなたを制御しています。とても強い執着があなたの姿形を形成したため、あなたの心を制御してしまうほど強い力を持っています。とても強い心によって形成されたからです」[3]と説かれました。

 この法から、私は自分の状態はまさに中毒だと認識できました。厳しく言うと、薬物中毒に似ています。薬物に依存しているのではなく成功に対する中毒で、私は際限なく仕事や勉学に取り組み、常に自分が不必要な疲労状態に陥っています。これは常人においてもひどく体を害することです。ましてや旧勢力が修煉者に様々な妨害を加えているので、あのような正常ではない状態が表れてしまいました。これを悟ってから、私はいまこの中毒と執着を強く排斥し、滅しようとしています。

 以上は私が体験して悟ったことです。同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父著作:『洪吟二』「理智醒覚」
 [2] 李洪志師父著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」
 [3] 李洪志師父著作:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/7/410089.html)
 
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