真相を伝えるとき、相手の状態に動かされてはいけない
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文/ 堂堂  

 【明慧日本2020年11月2日】私の母は十年前にすでに三退しましたが『共産党についての九つの論評』など邪党を暴露する資料を読みたがりません。大法の良さを伝える物語や小冊子、神伝文化しか受け入れません。中共ウイルス期間中、私は母に修煉の物語や音声ビデオを聞かせていました。

 最近、母に迫害の真相録音を聞かせていたとき、母はいきなり(米国や共産党に対する内容)にたいして罵り出しました。私はそんな母親を受け入れられませんでした。

 母が大声で絶えず罵っていたので、私は発正念をし始めました。しばらく経っても母はやめませんでした。実はメディアプレイヤーは私がダウンロードした「法輪大法デー」の拡張子をサポートしていなかったため、内容は二つしかなく、放送が終わると私はプレイヤーを回収しました。以前明慧ラジオでダウンロードしたWMAの拡張子は放送できましたが、今回はダメでした。私はプレイヤーを回収した原因を言わず、ただ「私たちはこれらの迫害機構の人がいかに私たちを扱っているかを考えなおそう。もう感謝などしてはいけない。彼らがいつもいわゆる敏感な日(法輪功の記念日など)に定例行事のように注意をしてくることには順応せず、迷惑だと認識しよう。本当に私たちを心配しているわけではない」と言い残しました。

 翌日、母は突然「昨日はどうしてメディアプレイヤーを取り上げたの?」と尋ねてきました。私は「もう聞かないのかと思った」と答えました。すると母は「そんなことないよ、聞くわよ。これから毎朝1時間聞くから、流してちょうだい! あなたが内心の思いを話したから、私も話しただけよ」と言いました。

 実は、私は内心の気持ちを話したつもりはありませんが、母には温かく感じたのでしょう。私はすぐにわかりました。人はただリピート機のようで、母がよく中国のニュースを見ているので、頭にそれらが入っていますが、内心ではわかっています。ただ罵っている状態が現れただけです。今はメディア、学校がネガティブなニュースばかりなので、母は聞いたことを復唱しただけかもしれません。しかし、私の心が動かされて、母が私たちの真相を聞きたくないのだと勘違いしてしまいました。

 このことを話したのは、同修に気をつけてもらいたいからです。世の人々が感染状況のネガティブな二ュースを話すとき、心を動じさせず、正念を強くもって相手に真相を伝えましょう。もしかしたら、常人が言っていることと考えていることは違っていて、リピート機のように、適当に言っているだけで内心で思っていることではない場合もあります。つまり、私たちは表面的なことに惑わされないようにすべきです。

 また、私が刑務所で迫害されていたとき、ある警察と真剣に話したことがあります。しかし、それからも相変わらずひどい迫害を受けて、私はどうしてもそれを止めたくて、頭に自分のことしかなくなってしまいました。私は彼女に「私たちの師父は一部の人はすでに真相を聞く資格がないとおっしゃっていました」と言ってしまいました。すると、彼女はすぐに緊張して「何を伝えたいの?」と言いました。私は「ファイアウォールを突破してあなたたちの『党文化を解体する』という本を読んだことがあるよ」と言いました。彼女の反応は予想外でした。当時の修煉状態がよくなかった私はそれ以上真相を伝えませんでした。

 またある時、私は刑務所の一角に座らされていたときに、『洪吟三』の「世人に贈る」を暗記して書いて、書き終わったものを彼女(上記の警察)にあげました。彼女が見たとき非常に緊張してまず「いつ書いたの?」と言いました。私は「さっきあなたの隣で」と答えました。私は彼女が「いつ書いたの?」と聞いたのはこんなことができないと尋問する気だと思ってしまいましたが、本当は彼女は第三者に知られていないことを確認したかったのです。彼女は周りを見回して、微笑みながら「あなたたちの師父が書いたのね」と確認しました。私は頷きました。すると、彼女はすばやくたくさんの紙を取り出して、慎重に私が書いたものを入れて、警戒深く周りを見回してからファイルにしまいました。その緊張と恐怖が私にも伝わり、憐れむ気持ちと彼女がこれほど大法の真相を知りたかったのだと驚きました。私は心から「家に持って帰ってしっかり隠してね。できれば家族にも見せてあげて」と言いました。彼女は緊張しながら頷きました。

 表面的に、彼女は一部の同修に厳しくして、時々発する言葉は全く真相を聞かないように思わせますが、彼女の内心はそうではありません。彼女は私に対する印象が良いです。なぜなら、彼女の立場から見れば、あれだけ迫害を受けても「大人しく」しているからです。彼女は多くの受刑者の前で私を褒めていました。その時、私は初めて、所長や検察官に会うことを要求するのは彼らにとって迷惑だったと知りました。

 私たちが修煉してからの環境、接触している人によって、現在の考え方は常人とかなりかけ離れています。彼らを救おうとすれば、思考方式を変えてみることやさらなる配慮が必要かもしれません。

 以上のことを書いたのは、同修が人を救う際、世の人々が邪悪な環境下で賢く真相を知ってもらうのに役立てばと思ったからです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/4/411323.html)
 
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