二言三言:修煉の中で小さいことはない
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年11月30日】私は法輪功迫害の実態に関する資料を取りに行った時、修煉者Aさんが「私の村は同修がいないので、資料はそんなに必要ありません。あなたがもっと資料をもらって、たくさん配ってください」と言いました。私は「私の村では、配るのも私1人です」と言いました。その言葉が口から出た途端に、心は嫌な感じがしていました。

 家に帰って資料を整理している時、先ほど言ったことを考えてみました。自分は一体どんな執着心があったのか、内に向けて探すと、自分は偉い、自分は強い、他人を見下しているという執着心でした。

 そして、改めて考えてみると、少し前に資料を取りに行った時にも、そんな嫌な思いをして、なんだかおかしいと思っていたのですが、気にしていませんでした。今日偶然にもその言葉を口にしてしまい、少し警戒心が芽生えてしまいました。

 自分にはどんな心があったのか? 顕示心? そうでなければ、なぜそんな風に言ったのか? と 深く探して見ると、非難、恨み、嫉妬、自己への執着など、多くの悪い執着心がありました。しっかり内に向けて探さなければならないと思いました。私は「自分のどこかがそんなに素晴らしいのでしょうか?  法を学んでいなかったから、師父のご加護がなければ、自分は何ができるのか? 多くの同修は自分の行うべきことを行っていますが、私は当たり前のことをやっただけで、自分は偉いと思い込み、何を顕示したのですか? このような悪い心、この執着心を早く取り除いて、行うべきことをしっかり行います」と考えました。

 師父の慈悲深い救い済度に感謝致します。私は今生で大法を得ることができ、それはなんと幸運なことでしょう。これからも、私は根気よく大法を修煉し、三つのことをしっかりと行い、堅実に修めていきたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/23/414858.html)
 
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