子供をゲーム依存症から脱却させた体験
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2020年12月3日】子供は幼稚園の年頃に電子ゲームに触れ、もう手放せなくなっていました。 現在は中学生ですが、ゲームをすることが、彼の生活の中で最も重要なことになっていました。この他のすべてのことはもう全く気にしないで、勉強も手抜きで、いい加減になっていました。 かつて利口で優しかった子は気性が激しくなり、誰の言うことも聞かない不機嫌な子になってしまいました。

 私はとても心配しています。 おそらく子供自身もゲームをし続けることの結果を認識していても、ゲームの支配から抜け出せないのではないでしょうか。 子供の無力感が伝わってきて、ともに歩き出すことしかできませんでした。 そこで、いくつかのインタレスト・クラスに参加させ、週末は彼と一緒に野外で身体を動かすことにしました。 それでも彼のゲームへの興味をそらすことはできず、私に抵抗するようになりました。

 子供がゲームにハマっている間に、私は何でも試してみるものの、全く改善できず、子供がゲームに夢中で落ちぶれていく様子を見ながら、不安と焦りを感じていました。 そして、遊ばせたくないと思えば思うほど、子供のゲーム遊びが酷くなります。 当初の一緒に依存症を克服しようという目標はあっという間に崩れ、計り知れない挫折感に完全に圧倒され、二人の関係もぎくしゃくしていきました。 ある日、ついに我慢できなくなった私は、スマホを床に叩きつけて、子供にたくさんの暴言を吐き、ひどく殴ってしまいました。

 子供は仲間だと見做していたスマホが壊され、スマホを抱きしめて酷く泣きました。有ろうことに目の前で壊してしまい、その瞬間にママが悪魔になってしまいました。 あまりの泣き声で怒りから我に返りましたが、 後悔と恥ずかしさが一気に湧いてきて、その時はとても苦しかったのです。

 これは二年前に起きたことで、当時は大法を始めたばかりの頃で、常人の心がとても多かったのです。だから、物を壊して人を殴るようなことをしてしまい、本当に恥ずかしいことです。 しかし、今回の問題は子供が原因でしたが、子供が生まれたばかりのときはまっさらで純粋なので、ここまでになるというのは、根本的な原因は私にあるはずです。大法は問題が生じたら、内面を見るようにと説いています。反省すると第一に昔、私はゲームをしていました。仕事や生活に支障はなく、ハマっていたわけでもありませんでした。 そのため、子供がゲームに初めて接した時は警戒心もなく、いつの間にか夢中になり過ぎてしまうことさえありました。第二に、ネットショッピングや映画鑑賞、様々なメディアに注目するなど、大衆娯楽に没頭せずにはいられない自分が居ました。 自分自身が世の中の混沌とした情報に囲まれ、子供に伝わるエネルギー場が純粋ではないため、子供もゲームから得られる低レベルな満足感を幸せだと受け止めてしまい、 心の安らぎと永遠の精神という崇高な幸せを体験させてあげられませんでした。

 私の癖は、問題が生じた時に表面だけを見てしまうことです。子供がゲーム依存症になった時には、ただインタレスト・クラスに参加させ、説得できなければ叩くことしか考えていませんでした。 依存症になってしまうのは、内面に渇望を持っているはずなのに、その時に正しいことを対処できなかったため、悪魔につけ込まれてしまったのです。 そのため、子供に良くなってほしいと思えば、法理に基づいて、まず自分を修正しないといけないのです。

 師父はこう説かれました。「先日、わたしは『佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる』ということをお話ししましたが、それはつまり、われわれの身体から発散されたエネルギーが、あらゆる間違った状態を正すことができるということです」[1]

 その後、子供が少しずつ許してくれたので、以前のように仲良くなりました。 思うように振る舞ってくれないときは、怒るのをやめて、ただ諭すだけにしています。 時間があるときは、子供に法を読み聞かせ、私の理解や認識について話しました。その後、大法のエネルギーが子供に影響を与え、率先して『轉法輪』を読み始め、 法を読む過程で、師父の博大な法理が子供の心に染み込みました。 その上、子供は記憶力が良くて、悟性も良いのです。 読んだ後、無意識のうちに法に則して行動したり、話したりしていました。 迷った時には、法理に基づいて何をすべきかを考えるべきです。子供の心には自然に法の種が蒔かれていて、私は本当に嬉しく思いました。

 ある日曜日の朝、明慧ネットの記事「彼らはどのようにして電子ゲーム中毒から抜け出したのか」を子供に読み聞かせてみました。 それを聞いた子供は「ママ、今日はパソコンの中のゲームを全部消す、二度と遊ばないよ」と言っていました。その時の、子供の切りかえの早さには驚きましたが、私は平静を保っていました。「もう決めましたか」と聞くと、子供は 「はい 」と答えました。 午後、子供は自分のバックアップ用のポータブルハードディスクにあるゲームのインストーラーも含めて、パソコン上のゲームをすべて削除しました。 その後しばらく観察していたのですが、本当にゲームをしなくなり、ゲームのことにも触れなくなりました。 その劇的で完全な変化に衝撃を受けました。 子供を変え、自分を変えてくれたのは、大法の力でした。

 今、子供は中学校に入り、勉強がとても大変です。私は子供に、勉強は重要だが、大法を学ぶことはもっと重要である、成績を向上させるために塾へは行かず、時間を効率よく使い、大法を学んで自分自身を向上させようと話しました。 子供は非常に賛成していました。私は子供と一緒にもっと時間をかけて大法を学び、やるべき事をしっかりやっていきたいと思います。

 師父は語られました。「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです。」[2]

 私たちの人生は舞台劇なので、どうしようもなく物語に巻き込まれて、懸命に演じることになってしまいます。 しかし、修煉者だけが真に覚醒していて、主人公は自分自身であり、周りの人や、出来事、物、風景はすべて小道具であり、自分自身を試し、合格させ、昇華させるために使われていることを知っています。 どんな状況になっても、愛も憎しみもなく、私の周りのすべてに感謝しかありません。

 以上、法に合わないところには、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志师父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志师父の著作:『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/15/415098.html)
 
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