【慶祝513】病院が麻痺と判定した90歳の母親が再び立ち上がった
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年4月24日】ここで話すのは私の高齢の母の修煉の中での経験です。

 2019年4月下旬のある日の午後、かかってきた電話に弟が出て「兄から電話がかかってきた」とあわてて言い、昨夜、母がベッドから起き上がる時倒れた、と言うことでした。母は今年で90歳で、私の家からは遠く離れた都市で兄一家と一緒に生活しており、私と弟は一緒に住んでいました。朝、兄が状況を知った後、母はぼんやりしておりすぐに甥を呼んで母を7階からかつぎ降ろし病院に連れて行ってレントゲンを撮り診断結果は手術が必要で、医師はもしかしたら結果は深刻な状態でこれからは車椅子での生活になり、麻痺で二度と立ち上がれないと言いました。病院は手術を勧めましたが、母は高齢で、家族は決めることができませんでした。

 すぐに一番早い航空券を予約するように私は弟に頼み、できるだけ早く母のところに帰りました。

 しばらくして兄がまた電話してきて、弟の妻が大学の同級生に状況を相談し弟の同級生は郡立の大病院の医者で、送られてきたレントゲン写真を見てやはり手術が必要だと言い転倒した部分は大腿骨頸部骨折でもう一つは高齢で快復が遅く、または快復しないかもしれないと言いました。「手術をしなければ、ただベッドに寝たきりか、車いすに乗るだけで、歩けない」ということでした。向こうの都市の病院が言っていることとほぼ同じでした。90歳の人が手術を受けるのは危険だと兄は心配し、私は電話で「私がまずお母さんのところに帰るので、状況を見てから決めましょう」と言いました。

 私と母はともに法輪大法の弟子でした。私は1997年に修煉を始め、母は私より1年遅く法輪功の修煉に入りました。同時に修煉を始めたのはさらに父親、兄、姉、2番目の甥の4人でした。母も法輪功を修煉して20年で、修煉の中で多くの奇跡が現れました。

 母が修煉を始めた時はもうすぐ70歳でした。母は幼いころから一日も学校に行ったことがなく、字も読めず、今まで多くの苦しみを嘗めてきました。修煉を始めたばかりの時はただ師父の説法の録音テープを聞くことができるだけでしたが、煉功を途切らせたことはありませんでした。私たちが大法書籍をきちんと読めるのを見て母は羨ましがり、私は母に「多くの大法弟子も字が読めず、修煉後にゆっくり学んで皆『轉法輪』が読めるようになり、お母さんもやってみましょう」と伝えました。母は私の提案を聞き入れ、ゆっくりと一文字一文字学び始め、さらに一節ずつ読みました。誰かが暇だと見ればその人に尋ね、家族全員すべてに質問し、他の人がどんな態度を取ろうとも、母は争うことなく、また諦めもしませんでした。寝ても覚めても学ぶことを考えていたからこそ、熱心に学び、覚えました。母はいつも座禅中に突然ある字がどのように読むのかがわかりました。ある時誰も母のそばにおらず、読めない字を読んで母は「この字は何て読むのかしら」と思い、師父は母の頭の中に打ち込んでくださり、その字がどのように読むのかを母に伝えてくださいました。このような修煉の心があったために、師父は母を助けてくださったのでした。母はゆっくりと『轉法輪』を読めるようになりました。最初は一文字一文字読むだけで、速度は遅かったのでした。

 約6、7年前に母が私の家に来てしばらく暮らし、私は母親と一緒に法を学び、母が大法書籍の『轉法輪』を読んだ時にさらに発音が不正確だったり読み間違えていることに気づきました。どのページのどの行のどの字の読み方が不正確なのかを整理し、発音が不正確な字をすべて書き出してしっかりと発音を付け、それから再び一講ずつ一緒にしっかりと書き写しました。弟は私がしっかりと書き写した字をプリントするのを手伝ってくれました。私の母は何度も何度も暗記し、字を暗唱した後は再びその字が『轉法輪』の何ページの何行にあるのかを照らし合わせてその行のすべての言葉を暗記しました。だんだんと読む速度が速くなり、またすべての言葉を読めるようになりました。私の弟の嫁は母に冗談で「大学の入学試験を受けているみたいね!」と言いました。

 母と法を学ぶ過程は、私が心性を向上させる機会でもあり、私の落ち着かない心と気をもむ気性を修めて取り除きました。母は修煉する前は髪の毛がすべて真っ白で、修煉した後は髪の毛が後頭部から80パーセントが徐々に黒くなってきました足の静脈瘤もいつの間にかよくなり、本当に求めずに自ずから得ました。20年来注射もせず1錠の薬も飲んだことがなく、病院にも行ったことがありませんでした。

 3日目に飛行機に乗って私は実家に帰りました。母はすでにベッドから降りられず、人に支えられてやっと座ることができ、さらに咳がひどく、おむつを使い、精神状態もよくありませんでした。私は母と交流し、「お母さんは誰の話を聞きますか?」と聞きました。母は質問されてぼんやりし、どのように答えるのかが分かりませんでした。私は再び「お母さんは誰ですか、大法弟子ではないのですか? 大法弟子は誰の話を聞くのですか?」と聞きました。すると母は突然悟り「私は師父の話を聞きます」とゆるぎない口調で言いました。私は、年配の女性が車に十数メートル引きずられて地面に倒れ、どこもけがをしておらず「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[1]と師父が法の中で挙げていらっしゃる例を話しました。私は「今は小水は私たちはおむつを使い、トイレに行く時は私と姉さんがお母さんを担いでいるでしょう」と言いました。兄と姉の夫は電話で、母をベッドから降ろさないように、母の足を動かさないように、できるだけベッドで休ませるように、と繰り返し言いました。甥の嫁も心配して、甥の嫁の母方の祖父が転んだのも大体この位置で当時手術をせず1年以上麻痺が続きその後亡くなった、ということを言いました。

 母の状態を見て私の心も焦りましたが、すぐに「母は難の中におり、母がすでに90歳の人であることを理解するべきで、私は母と一緒に正念で乗り越えるべきだ」と気づきました。この時母は自分を病人だとみなし、皆で自分の世話をしてほしいと願っていましたが、母は法を学ぶことを忘れず、毎日いつも座ってベッドサイドによりかかって法を学び、法を学ぶ時はいつもまず手を洗い、師と法を敬いました。午前と午後それぞれ2時間ずつ学びました。

 十数日後、親の咳の症状が消え、おむつも取り外され不要になりました。私は母親と「本を読むだけでは不十分で、修煉者はやはり煉功しなければなりません」と交流しました。この時の母の右ひざは曲げることができず、足はただまっすぐ伸ばせるだけで、立ち上がれず、足に力を入れることができませんでした。母は法を学ぶことを諦めませんでしたが、観念を放下することができず、動こうとせず、さらに煉功のことなど考えられず、人に頼ってゆくっりと休養していました。足を動かすのが辛いようでした。私は忍耐強く母に「私たちは自分を常人とみなすことはできず、私たちは煉功者で、心性を向上させるべきではないですか? 功を落とすことはできず、五式の功法を全て煉功しなければなりません」と交流しました。足を曲げることができないので座禅を崩すしかなく、座禅を崩してから数日後に片足で座禅を組み始め、痛そうにしていましたが耐えることができました。このようにして、母はベッドの上で煉功を始めました。

 座りながら数日煉功し、私はもう一度母と「ベッドを降りて動功しなければならないのではないですか?」と交流しました。母は「どうやって煉功するの? 立つこともできないのよ」と悩みました。私は「やってみましょう」と母を励まし「師父が側にいらっしゃるのだから、恐れる必要はありません」と言いました。すると母に正念が出て「わかった、煉功します!」と言いました。私は「お母さんは扉に寄りかかって立ち、私が前でお母さんを支え、何分間でも立てるだけ立ちましょう」と言いました。母は私の首を抱え、私は母の腰を抱え、母親をドアのところまで抱いていき、ドアに鍵をかけ、ドアに背を向けて母を立たせました。

 足が動かせず、立ち続けていることができないため、体全体を扉に寄りかからせて支え、他の功法は煉功できず、ただ第二式の功法の抱輪だけができました。煉功の過程で、母の体全体は丸くなって震え、心も丸くなって震えました。最初はたった3分間しか立ちませんでした。3分間で、すでに全身に大汗をかいていました。翌日の午前中に母はやはり法を学びました。昼食を食べ終わりました。私は母に「まだ煉功したいですか?」と聞きました。母が気後れするのを見て、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]という師父が説かれた法を思い出させて私は母親を啓発し、母に再び正念がやって来て「煉功します!」と言いました。今回は6分間立ち、やはりひどく震え、全身大汗でした。

 3日間続けた後、私は母親の煉功時間を延長し、16分間站樁しました。十数日後、私は引き続き母親と「第二式の功法は煉功できるようになり、第三式の功法もドアに寄りかかって試しに煉功してみましょう」と交流しました。結果、母は本当に頑張って煉功しました。1人の90歳の高齢の人にとって、言うのは簡単ですが、行うのは難しかったのでした。学法を堅持したので、師を信じ法を信じる母の正念も強くなり、毎日煉功を続け、毎回煉功していつも大汗をかき、震えが止まらず、毎回の煉功はいつも人心の障害を突破する過程であり、全て師を信じ法を信じる心の変化の過程でした。

 ずっと壁に寄りかかって煉功しましたが、母はやはり自分から立とうとせず、足全体が動かせず、自分がまた倒れるのではないかと母はいつもおびえ、足をあげて歩こうとしませんでした。絶えず法を勉強した後、恐れる心はだんだんと小さくなり、正念はだんだん強くなり、自信もだんだん大きくなりました。

 約1カ月が過ぎ、私は「壁に寄りかかって自分1人で立って煉功してみましょう」と母親を励ましました。この提案は私は軽い気持ちで口にしましたが、母にとっては大きな挑戦であり、恐れる心を突破して、人心を放下しなければならず、行ってみるとさらに難しくさらに辛いことだったのです。始めは数分ずつ続け、毎回一式の功法しか煉功せず、少し休憩し、再び次の功法を煉功しました。功法を一つ煉功するたびにいつも全身に大汗をかき、毎日汗をかき震えながら何度も煉功し、師を信じ法を信じて煉功を続けあきらめませんでした。

 母は数日に1回突破し、状態はだんだん良くなりました。本当に「修は己にありて、功は師にあり」[1]でした。師父のご加持の下、心性の向上と絶え間なく着実に修めていくにしたがって、少しずつ突破し、しっかりと座禅も組めるようになり、努力して立つことが出来るようになり100日目に母親はついに頑固な恐れる心を突破し、すぐに足を進めて歩き、5、6メートル離れたところまで歩けるようになりました。少しずつ歩けば歩くほど安定し、今は(訳注:2020年5月)階段の上り下りもできるようになりました。

 法輪大法がこの常人社会での奇跡を生み出したのでした! 90歳の高齢者が法に対する確固たる信念、師を信じ法を信じる正念、絶え間ない学法によって、修煉者の要求に基づいて行い、薬も飲まず注射も打たず手術もせず、新たに立ち上がり、新たに歩けるようになりました。

 母はこの魔難から抜け出し、家族はみな法輪功の奇跡を目にし、もともと法輪功を信じていた弟はさらに堅く信じ「法輪功を修煉する」と言い、兄嫁と兄の長男の嫁も学法と煉功を始め、法輪功の修煉をはじめ、父も今年90歳で、兄はもうすぐ70歳です。姉も60歳代で、父も兄も姉も皆さらに堅く信じました。家族全員が祝福を受け、みな法輪功の輝きの中で恩恵を受けました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/12/405008.html)
 
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