累計10年以上拘禁された楊曼曄さん 再び起訴される
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 【明慧日本2021年7月17日】(上海市=明慧記者)上海市普陀(ふだ)区の法輪功学習者・楊曼曄さん(54)は、2021年2月25日、上海市静安区公安局と大寧路派出所の警官らにより連行され、静安区留置場に拘禁された。6月18日、楊さんを罪に陥れる公文書は静安区検察庁より静安区裁判所に渡された。

 大学を卒業した楊さんは、1996年から法輪功を学び「真・善・忍」の基準に従って良い人を目指し、心身ともに恩恵を受けた。職場では、楊さんは献身的に取り組んだため、上司や同僚から好評を得た。

 1999年7.20、中国共産党が法輪功迫害を開始した後、楊さんは何度も連行され、留置場、洗脳班労働教養所、刑務所などで迫害され、合計10年以上拘禁されていた。

杨曼晔

楊曼曄さん

 一、上海女子刑務所で受けた迫害

 2000年1月、楊さんは法輪功の資料を配布したとして、警官らに連行され、普陀区留置場に9カ月以上拘禁された後、懲役4年の実刑判決を宣告され、上海女子刑務所に拘禁された。

 刑務所で、楊さんは手錠をかけられ、独房に閉じ込められた。ある日、警官らは3本の電気棒で同時に、楊さんの顔と口に電気ショックを加え、電撃された楊さんの皮膚は焦げてしまった。その後、楊さんは手錠をかけられて窓の枠に吊るし上げられたり、口にテープを貼られて、罵られ、殴られた。

中共酷刑示意图:多根电棍电击

拷問のイメージ図:数本の電気棒で電気ショックを加えられる

 楊さんは1日10数時間あるいは20時間労役をさせられた。時には徹夜で服を作らなければならなかった。過労のため、楊さんは転んで膝を粉砕骨折し、2回も手術を受けた。

示意图:中共监狱中的奴工迫害

刑務所内での強制労働作業の様子

 二、上海女子労働収容所で受けた迫害

 2006年1月22日、楊さんは普陀区の管弄新村で迫害の実態を人々に伝えたとして、普陀区公安局の警官に連行され、普陀区留置場に拘束された。その後、1年6カ月の労働教養を強いられ、上海女子労働収容所に拘禁された。

 気温が38℃に達した上海の最も暑い季節に、楊さんは密封された独房に吊るし上げられていた。独房の中の温度はさらに高く、楊さんの体温は39.6℃に達したが、警官は楊さんを外に出してくれなかった。

酷刑演示:吊铐

拷問のイメージ図:吊るし上げられる

 三、留置場と洗脳班で受けた迫害

 2009年6月6日、身元不明の十数人が、楊さんの家のドアを壊して侵入して来た。楊さんの息子(16)が侵入を阻止したが、1人が楊さんの息子の首を絞め、他の者は楊さんを連行し、大量の私有物を押収した。翌日、普陀区公安局の警官らがやってきて、楊さんの息子を脅迫した。楊さんは普陀区留置場で1カ月間拘禁された後、解放された。

 2009年10月22日、楊さんは普陀区公安局の国家安全保衛部門(法輪功の迫害の実行機関)と610弁公室の関係者らに騙され、家を出たが、すぐに連行された。翌日、6人の警官に無理やり引きずられて、洗脳班に入れられた。

 四、再び上海女子刑務所に拘禁される

 2013年10月9日の夜、楊さんは再び連行された。楊さんの夫と息子も連行され、20時間近く拘束された。2014年8月29日、楊さんは普陀区裁判所に懲役4年の実刑判決を言い渡され、再び上海女子刑務所に拘禁された。2017年10月8日、楊さんは刑期を終えて帰宅した。

 五、連行され、再び起訴される

 2019年9月26日の朝、楊さんと学習者・杜挺さんは、外出中に普陀区公安局の警官2人に連行された。10月31日の早朝、楊さんは「保証人を立てて尋問を待つ」という条件付きで、解放された。

 2021年2月25日、楊さんは静安区公安局と大寧路派出所の警官らにより連行され、静安区留置場に拘禁された。6月18日、案件の公文書は静安区裁判所に渡された。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/13/428102.html)
 
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