好奇心旺盛な法学部学生から、迫害の実態を伝える弁護士になるまで
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 文/中国の大法弟子

  【明慧日本2021年8月17日】私が法輪大法の修煉を始めたのは、2013年の大学の最後の年でした。大法の修煉は、私にとって驚くべきことであり、そして奇跡的でもありました。

 私は法学部の学生でした。大学1年生のとき、中国と西洋の文化についての授業をたまたま選択しました。先生は授業の中で「修煉界」、「善人」、「聖人」などの言葉を口にしました。私はこの授業を熱心に聞き、好きになりました。そして3年目、私は先生に、先生の基準での真実とは何かを聞いてみることにしました。しかし、先生は直接には答えてくれませんでした。

 3年生の夏休みに帰省しました。家の前の何もない道を見て、天が私に真理を示してくれればと思いました。そのためには、自分の持っているものを全部使ってもいいと思いました。大学が始まると、私は先生に「先生のおっしゃる真理とは何ですか」と尋ねました。先生は私の手のひらに4つの漢字を書きました。『法輪大法』です。私はその日のうちに大法を学び始めました。

 大学4年生の時、私はとても幸せでした。毎日、法を学びました。時には、朝まで法を学んでいても疲れを感じませんでした。また、地元の学法グループにも参加しましたが、体を清めたりすることはありませんでした。法を学んだ後、師父が、大法の誹謗中傷についての記憶を消されたことに気づいたのと同時に、私は法を学びに来たのだと思いました。

 大学に4年間通った後、家に戻りました。私はまだ法を得た幸福感に浸っていました。私は家族に知っていることをすべて話そうと思いました。しかし、家族は私を理解してくれませんでした。私は悲しくなり、ぼんやりとした状態で天国の家族が私にひざまずき、彼らの王を救ってくれと懇願しているように感じました。私は我慢して、少しずつ法輪大法の素晴らしさを伝えていくことにしました。

 私は家で1人で修煉しました。次第に、法を手に入れた時の興奮や、何も考えずに行動したいという衝動が薄れていきました。ネットで大法が迫害されている真実を明らかにするようになりました。親友に大法の資料をメールで送りました。ネットで記事を書いて、迫害の実態を明らかにする記事を友人たちに転送しましたが、私がしていることは、繊細で危険なことだとは感じませんでした。安全上の問題にも遭遇しませんでした。

 ある日、私は親友からメッセージを受け取りました。彼女の話によると、ネット上で実態を解明するための資料を転送したために、警官に連行されたということでした。地元の派出所が私のアカウントを監視しているとのことでした。

 私は涙を流し、怒りと申し訳なさを感じました。なぜ彼女が、迫害を受けなければならないのかと思いました。誰も、何も私たちの信念を妨げてはならないのです。結局、彼女は派出所で「修煉をやめました」と申告しましたが、その警官は私に連絡してきませんでした。

 私は彼女にメッセージを送りました。その内容は、法輪大法は正しい道であり、私が法輪大法を信じているのは、大法の力を求めたり、大法から何かを得たりしたいからではなく、自分の信念を放棄しないというものでした。私は彼女に大法に戻ってきてほしいと思いましたが、彼女は拒否しました。もし彼女が私に、大法を諦めさせようとするなら、より大きな罪を犯してほしくなかったので、私はそれ以上彼女と連絡を取りませんでした。

 インターネットで真実を明らかにすることはできますが、中国では安全ではありませんでした。また、私の好奇心、競争心、感情への執着、目立ちたがり屋の性格も出てしまいました。そこで私は、第三者の視点から、法輪大法のことを友人たちに話し始めました。知らない人に法輪大法について話すのはとても大変でした。私にとって、迫害の事実を話すことができるのは小さな友人の輪でしかありませんでした。

 そこで私は、自分の家で資料を作ることを思いつきました。資料を作って、自分で配布しました。親に頼んでカラープリンターを買ってもらいました。両親は私がなぜそれを欲しがっていたのかは分かっていませんでした。印刷の仕方を覚え、直ぐ印刷して近くの民家に資料を配り、路地全部に資料を配り、また近隣の住宅地にも配布しました。

 私の家族は、住んでいたマンションが取り壊されることになり、別の住宅地に引っ越しました。その地域でも配布を始めました。ある日、政府機関に行くと、壁に「ある人は法輪功学習者(以下、学習者)であり、特別な注意が必要である」と書かれたボードが貼られているのを見ました。私の住んでいる地域にも学習者がいることがわかったのですが、私は彼らに出会ったことはありませんでした。私は一人で大法のことを行っていたので、もっと注意しなければならないと思いました。

 他の都市で行われた司法試験のための研修会に行ったときのことです。資料点は半年以上止まってしまいました。弁護士資格を取得した後、法律事務所でインターンをしました。この半年の間に、私はたくさんの賞状と優勝カップを手に入れ、食器棚の2段分を占領しました。褒められたり、表彰されたりしました。地方の大会では入賞もしました。テレビ番組にも弁護士として何度か出演しました。

 私は、このいわゆる「幸せ」にどっぷりと浸かっていました。次第に私は夜の法を学ぶことをやめ、名声や利益を追求する人間になっていました。庶民には慕われていても、心には何の喜びもありませんでした。法を手に入れても、後になって法を離れた者は、絶望的な気持ちになるしかないのです。

 私は大法から引き離されるような力を感じていました。法律事務所の主任に誘惑され、その関係でとんでもない失敗をしてしまいました。私は自分の人生を終わらせたいとも思いましたが、両親のことを考えると、この危険な考えを止めることにしました。そして私は、再び大法の本を手に取ったのです。もし本当に人生を捨てたいのであれば、日常生活での幸せや名声、富を捨てて、大法に戻ってこようと思いました。

 年が明けてから、主任が癌になったことを知りました。私は彼に対する憎しみを捨てました。ある日、私は彼に、中国共産党(以下、中共)によって大法は迫害されている真実を伝えました。衆生を救いたいと思った私は今回、純粋に大法に戻ってきたのだと感じました。

 実習を終えて高級住宅地に移り、法律事務所の社員になりました。そして再び資料点を続け、自分で資料を配布しました。

 いろいろな経験をして、法を表面的だけで理解しなくなくなりました。私はますます寛容になり、この世界をよりよく理解するようになりました。そして、両親に、中共は大法は迫害していることを伝えた時、私はもう怒った若者のように邪悪な党を批判するようなことはありませんでした。両親は私をよく理解してくれました。母は、「混沌とした世の中で知恵を持ったヒーローになるでしょう」と言って、私を褒めてくれました。

 私は弁護士としての地位とそして人々の名誉のため、自分の知識と経験を通して、友人たちに大法が迫害されている実態を伝え、中共からの脱退を勧めました。彼らは普通に私の話を聞いてくれました。ある検察官は、法輪功の事件を処理した時、たくさんの電話を受けたと言いました。私は彼女に、法輪功がカルトだと法律に規定されていないことを話しました。もし彼女が、法律に従って物事を進めていく事が出来ない場合、後で責任を問われた時、誰も彼女を守ることができません。彼女はそれを知っていたと言いました。法輪功を擁護した弁護士たちも皆、同じことを言いました。

 私は、警官の友人たちとおしゃべりするとき、法輪功の話をします。そして、学習者を守るように話します。時には良い評価を受けることもありますが、時には強く反対されることもありました。私は彼らに反論せず、両方の意見に耳を傾け、偏らないように話しました。たとえ私の意見に同意しなくても、中共が法の支配を踏みにじっていることを、認めるべきではないと話しました。彼らは普通に私の話しを理解し、そして評価してくれました。

 私は大法の修煉を始めるのが遅く、遠回りしてしまいましたが、師父の保護のおかげで自分の修煉の道を自分で歩むことができました。何度も家を転々としましたが、法輪功迫害の実態を伝える資料を広く配布することができたのです。残った修煉の道をしっかり歩み、法の中で自分を正していきたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/4/418913.html)
 
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