他人の恥ずべき行動から 何を学ぶか?
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2021年8月27日】私と夫は世界法輪大法の日、マンハッタンのパレードに参加しました。大法弟子としてとても誇らしい気持ちになりました。しかし、帰宅途中で、私たちは非常に恥ずかしいシーンを目撃しました。

 パレードが終わった後、私たちは近くの地下鉄の駅まで歩いて行き、電車で帰ろうと思っていました。地下鉄の階段を降りてすぐの所に、黄色の大法のTシャツを着た人が数人いました。

 私は彼らが何をしているのか分かりませんでしたが、多分、カードの操作方法が分からないのだろうと思いました。

 その時、すでに駅に入っていた1人が運賃ゲート近くの非常口のドアを開けて、「早くここに来て!」と大声で叫びました。

 その後、私は耐え難い恥ずべきシーンを目撃したのです。それは、背中に「真善忍」と書かれたTシャツを着た5、6人が、お金を払わずに非常口から地下鉄の構内に入って行ったのです。

 私たちも同じ黄色のTシャツを着ていたので、ショックを受けました。どんなに恥ずかしい思いをしたか、言葉では言い表せません。私は彼らを止めようと思いましたが、遅すぎました。

 幸い、周りには他の人はいなかったのですが、後ろを振り返るのも恥ずかしくてできませんでした。これらの大法のTシャツを着ている人たちは、本当に修煉者でしょうか? それとも、修煉者の中に修煉の仕方を知らない一般の人が混じっていたのでしょうか? もしかしたら、私たちのパレードに「特別な経歴」(中国共産党の特殊工作員)を持つ人がいたのでしょうか?

 「悪の小なるを以てこれを爲す勿(なか)れ」(些細なことでも悪いことをしてはならない)というのは、一般の人でも知っていることです。無賃乗車は恥ずべき行為です。

 もし、これを他の乗客や地下鉄の駅員が地下鉄のビデオで見ていたら、大法の修煉者をどう思うでしょうか? 天上の神や佛は大法の修煉者をどう思うでしょうか?

 この事件で、私たちは、「大法弟子」が口先だけの言葉ではないことに気づきました。それは私たちの通称、身分、責任、そして未来でもあり、私たちは大法の神聖さと尊厳を守るために最善を尽くさなければなりません。これを見た人、聞いた人、一人ひとりが皆自分を磨き、向上する必要があります。この人たちが修煉者であろうとなかろうと、大法のイベントに参加する人たちをどのように管理したらよいのでしょうか?

 また、このような大法の名を汚すようなことが二度と起こらないようにするために、私たち一人ひとりが注意しなければならないことでもあります。もし、法に基づかない行動をしている人がいれば、その人に注意を促し、公的な活動に留まらせず、出て行ってもらうべきだと思います。

 私たちのイベントは、法輪功に対する迫害の真実を明らかにし、衆生を救い、法を実証し、私たちの境地を高めることです。もし自分を修めていない場合、私たちはどのようにして大法をよりよく実証するのでしょうか?

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/28/426206.html)
 
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