――健康と道徳を養い、5つの難点を取り除く(3)
文/劉一淳
【明慧日本2021年10月24日】(前文に続く)大医学者の孫思邈は『千金要方』の中で、「人は徳がなければ、たとえ万能妙薬を飲んでも長生きできないのです。道徳心が高く完璧であれば、祈らなくても幸福が続き長生きすることができます」と述べている。
では、古代の人々はどのようにして道徳心を養っていったのだろうか?
漢の成帝は美色に執着し、諸葛亮は杖で情を断ち切る
紀元前18年、33歳の漢の成帝は、陽阿公主の邸宅の前を通りかかり、邸内に入って音楽を楽しんでいた。趙飛燕が踊りを披露したところ、すぐに成帝に気に入られ、宮中に連れて行かれ、婕妤の位に昇進した。ある日、成帝は飛燕を連れて船旅に出かけ、景色を楽しんだ。南の越国から贈られた紫のドレスを身につけた飛燕は大変美しく、「帰鳳送遠」という曲を歌いながら踊りはじめた。成帝は侍郎・馮無芳に命じて、飛燕の歌と踊りに合わせて笙を演奏させた。船が中流に差し掛かった頃、強風が吹き荒れ、しなやかな趙飛燕が吹き飛ばされそうになった。馮無芳は成帝の命令を受けて楽器を捨て、趙飛燕の両足をしっかり掴み一生懸命に守った。飛燕は引き続き歌いながら踊っていた。それ以来、宮中では「飛燕は手のひらの上で踊れる」という逸話が広まった。
当時、「つばめ、つばめ、尾からよだれ…燕が飛んで、皇帝の孫をつつく。孫が死んで、燕が矢をつつく」という童謡が流行っていた。趙飛燕の姉妹は宮中をかき乱し、皇后を陥れ、皇帝の息子を殺し、その童謡は現実になった。成帝は欲に溺れ過ぎて44歳で亡くなり、後継者がいなくなった。
詩には「少女の体はクッキーのようで、腰の剣で愚かな男を殺し、頭は切り落とされていないが、骨の髄を枯らすことができる」とある。また、「蛾は光を恋しく、その炎の恐ろしさを知らず、魚は香りの餌を欲しがるが、結果は蛾と同じである。蛾が焦げて、魚が腐っていることを君は知っているか? 今では、光を好む蛾を見抜いて、餌を好む魚は黒い波と戯れることを知っている。実は生臭いものだが、美人に化けているだけである」と書かれている。
夏王朝の最後の君主は桀と呼ばれ、彼は残忍で酒と美色に溺れ、妹喜を寵愛したことで、やがて死んで国を滅ぼした。殷王朝の最後の君主である紂王は、酒と淫逸に溺れ、妲己を寵愛し、音楽師に淫らな音楽を作らせ、法律を厳しく改訂し、最後には自ら命を絶ち国を失った。
もちろん、情を断ち切った賢者もいた。『三国志』の中の諸葛亮は天文知識を持ち、国の運命を予見することができ、劉備を補佐して蜀の国を創立した。また、彼は世の中の出来事や将来の歴史の変化を予測した『馬前課』を著し、その的確な推測と叡智を後世に讃えられた。
諸葛亮が少年の頃、経典や兵法を学ぶためによく山に行っていたが、美しい女性と出会い、将棋やお茶を飲みながらおしゃべりに誘われたという。諸葛亮は山に行くたびにその女性を訪ね、2人でいつも楽しく会話しているため、師が教えた知識をなかなか頭に入れることはできなかった。
師は諸葛亮が専念していないことを見て、「木を壊すのは簡単だが、植えるのは難しい。美しい女性を見て思わず恋しくなるが、彼女はもともと天から来た鶴で、人間を誘惑するためにこの世にやって来たのを知っているか?」と教えた。諸葛亮は非常に恥ずかしく、女性を避ける方法を師に聞いた。師は「彼女が湖で水浴びをしているときに、彼女の服を隠して、君を探しに来たら杖で叩くようにしなさい」と諸葛亮に言った。師が言った通り、女性は自分の服が見つからないので、鶴に現れ、そばに来て諸葛亮の目をつついた。諸葛亮はその尾っぽを掴んで杖で叩いた。鶴は飛び立ったが、尾っぽは諸葛亮に引っ張られてちぎれたため、二度と地上に戻れなくなった。諸葛亮はその尻尾で扇子を作り、常に自分に注意していた。
孔子は、「若き血が定まっていないときは、色を戒めるべきだ 」と言ったことがある。諸葛亮は師の忠告を聞き、直ちに悔い改め、高潔で顔が醜い妻と結婚した。
(続く)