善と悪は一念の間にある
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――健康と道徳を養い、5つの難点を取り除く(4)

文/劉一淳

 【明慧日本2021年11月1日】大医学者の孫思邈は『千金要方』の中で「人は徳がなければ、たとえ万能妙薬を飲んでも長生きができないのです。道徳心が高く完璧であれば、祈らなくても幸福が続き長生きすることができます」と述べています。

 では、古代の人々はどのようにして道徳心を養っていったのでしょうか?(前文に続く)

 善と悪は一念の間にある

 『太上感応篇』には次のことが記載されています。昔、元自実という人がいて、恩を忘れ義に背いた繆という人を憎み、早朝の4時頃に刀を持って繆の家に行って殺そうと思いました。途中、寺の前を通りかかった時、寺の住職である軒轅翁が早起きをしてお経を唱えているところ、刀や斧を持った何百もの悪霊や妖怪が元自実の後ろに着いているのが見えました。間もなく、元自実が戻ってきました。すると、軒轅翁が彼の後ろに着いている人々を見ると、全員が金冠を被り、玉佩(ぎよくはい:礼服の付属具の一つで、腰に帯びるもの)を身につけ、香と花に囲まれ、非常に厳粛で、穏やかで楽しそうな表情をしていました。

 軒轅翁は元自実を寺に招いてその訳を聞きました。元自実は「繆は恩を忘れ義に背いたので、先ほど彼を殺そうと思いました。彼の家のドア前にたどり着いたとき、繆は私にすまないことをしましたが、彼の妻と子供たちは罪がないと思いました。ましてや彼には高齢の母親もおり、私が彼を殺せば、彼の家族を殺したことになります。それで、手を下すに忍びなくなって、考えを変えて思い切って帰りました」と話しました。

 軒轅翁は先ほど見たことを伝え「神々はあなたがしたことをすでに知っています。あなたは将来高い官職に就くでしょう」と祝福しました。元自実は軒轅翁の言葉を聞いて、引き続き善行を行った結果、科挙の試験に合格し高い官職を得て宰相まで昇進しました。

 明の正徳時代に趙永貞という知識人がいました。少年時代、ある学者に出会い「23歳になったら必ず試験に勝てる」と言われたそうです。趙永貞は23歳の時に地方試験を受けましたが、1次試験の作文はとても良くできたのに、2次試験で一連のミスを起こして、落ちてしまいました。趙永貞はとても悲しんで文昌帝に夢を託し、失敗の理由を教えてくれるように祈りました。

 文昌帝が夢の中で彼に「あなたは元々今年の試験に勝つはずでしたが、最近、あなたは家の召使いの女にいたずらをしたり、隣人の娘を誘惑したりしていました。どれも叶いませんでしたが、あなたは心を歪め、欲望を持ち、余韻に浸り、心がどんどん暗くなっているので、本来の運命の功徳がなくなってしまいました」と教えました。文昌帝の説明を聞いた趙永貞は、大泣きして、過ちを改めて善行を積むことを誓いました。そこで、人々への警告として、欲望を戒めるための良書を彫って印刷しました。その結果、趙永貞は次の試験に合格して官職に就きました。

 善と悪は一念の間にあり、元自実は善の念が生じたことで災いを福に変えることができました。運命は人間の一念によるもので、そのスピードがとても速いのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/31/429981.html)
 
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