文/中国河北省の大法弟子
【明慧日本2024年11月19日】2005年ごろのある日、私は買い物に出かけました。そこで、私たちのコミュニティに以前いた警察官(甲)に出会い、挨拶をしました。彼はとても喜び、こう言いました。「あなたのために、私は本来60歳で定年退職する予定だったのに、50代のとき私は彼ら(発出所)に辞めさせられました。でも、それが逆に良いことになりました。早期退職後に大金を稼いだのです。ほら、車を買って、家も建て、ビジネスで大儲けしています」。私はその話を聞いて嬉しくて彼に「それは、あなたが法輪大法の法輪功学習者を迫害しなかったから、福に報われたのです。善には善の報いがあります!」と話しました。彼は「そうです、福に報われたのです!」と言いました。
それは2002年9月、中共の「第16回党大会」前夜のことでした。私たちの地区の派出所は、法輪功学習者に対して狂ったように迫害し、嫌がらせや逮捕を行っていました。ある日の午前中、突然誰かがドアをノックしました。ドアを開けると、私たちのコミュニティの警察官(甲)がいました。彼は部屋に入ってきて、こう尋ねました。「まだ修煉しているのか? まだ北京に行くのか?」。私は「修煉しています! 北京は全国民のものです」と答えました。警察官(甲)はそれを聞くと、何も言わずに立ち去ろうとしました。
彼は続けて電話をかけ、「所長、私はお腹が空いたので、食事に行きましょう」と言いました。実は、派出所の所長は下に止めたパトカーの中にいて、上には上がって来ず、下から様子を見ていたのです。私は署長が電話で「すぐに上に行く」と言ったのが聞こえましたが、所長はドアを開ける際に車のドアが壊れてしまったため、上には上がってきませんでした。警察官(甲)は私に「また来るつもりだ」と言って、下に降りて行きました。彼は私に対処する機会を与えてくれたのです。
私は急いで大法書籍を安全な場所に移しました。夜の8時になると、私が家にいない時に、所長と警察官(甲)が再びやって来ました。所長は捜索を始め、『轉法輪』の本を奪い取りました。その間、警察官(甲)は一方でじっと座っていて、手を出さず、関与しなかったそうです。しかし、所長は立ち去らず、私をずっと待っていました。夜の9時頃、私は家に電話をかけました。すると、彼らはその電話を手掛かりに私の居場所を見つけ出し、そして私を派出所に連行しました
所長は自ら不法に私を尋問し、「まだ修煉しているのか?」と尋ねました。私は、「私はいくつかの不治の病を抱えていて、修煉して治りました!」と答えました。「また北京に行くのか?」と聞かれたので、「北京は全国民の首都です。なぜ私が行ってはならないのですか?」と返答しました。所長は「上からの命令がある。法輪功学習者は『打ち殺しても構わない。死ねば自殺として扱う』と言っている。もし修煉を続けるなら、家を失わせるぞ」と脅しました。彼は真夜中までずっと不法に私を尋問し続けましたが、警察官(甲)はずっと関与しませんでした。
翌日、彼らは私を刑事警察に連れて行き、トラの椅子やさまざまな拷問具を見せて脅しました。若い警察官数人は、私の師父の名前を口にし、「師父はどうですか?」と尋ねました。私は「とても素晴らしく、とても良いです!」と答えると、彼らは皆、親指を立てて笑っていました。
彼らは私を留置場に送り、不法に労働教育を受けさせようとしました。私は3カ月以上、監禁され迫害を受けましたが、修煉を放棄しませんでした。最終的に、彼らは私から2,000元を強要し、そして私を解放しました。
警察官(甲)の消極的な姿勢に、所長は非常に不満を持ちました。警察官(甲)が私に言ったように、あの出来事のために、派出所は早々に彼を辞めさせたのです。彼らはそれを警察官(甲)への「懲戒」だと思っていましたが、実際には彼が法輪功学習者を守ったことで福に報われ、後に大金を稼ぐことができました。
善悪には必ず報いがあり、これは天理です。宇宙の大法の法理がすべてを測り、善をもって大法に接する一念があれば、天が幸福と平安を授けてくださるのです。