喜怒や栄誉と恥辱に動じない
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——健康を保ち、道徳を養い、自然を大切にし、5つの難点を取り除く(2)

文/劉一淳  

 【明慧日本2021年10月23日】大医学者の孫思邈は『千金要方』の中で、「人は徳がなければ、たとえ万能妙薬を飲んでも長生きできないのです。道徳心が高く完璧であれば、祈らなくても幸福が多く長生きすることができます」と述べています。

 古代の人々はどのようにして道徳心を養っていたのでしょうか。(前文に続く

 喜怒や栄誉と恥辱に動じない

 呉敬梓の『範進が科挙試験に合格』の中で描かれた範進は、試験に合格して喜びのあまり気が狂ってしまい、肉屋の親戚に殴られてやっと目が覚めました。偉大な書道家の王羲之は、同門の王述将軍と争うことで早期に命を失いました。物を得たら喜び、物を失ったら悲しんだりして、心は体の外にあるものに絡まれて疲れてしまいます。人生は一世にすぎず、草が生きているのは一つの秋にすぎず、失と得や栄誉と侮辱などはみな目の前に飛んできた煙のような存在にすぎません。

 『幽窓の小記』の中で、「寵辱(ちょうじょく)にも驚かず、静かに庭の開花と落下を見る。去留(きょりゅう)にも無意で、空に漂った雲の巻きと伸びを望む」という詩が書かれています。大体の意味は「人生の栄誉や侮辱、失や得を開花と落花のようと見なし、功名利禄を空で漂っている雲の形の変化のごとく、去るのも残るのも気にしません」です。言葉は少ないですが、名利や地位に対して取るべき正しい態度を明かしました。

 唐太宗の時代、盧承慶氏は物事の取扱いが公平あると評価されたため、唐太宗に「考功員外郎(科挙試験の試験官)」に任命され、官吏の功績を管理しました。ある日、盧承慶氏が穀物船の沈没により責任を尽くさなかった一人の水上運輸管理員を評した際に、「積載を失い、中の下」との評価を下しました。

 しかし盧承慶氏にとって意外だったのは、その官員が評価を聞いた後、何の言い訳もせず、何の恐れの表情もなく、少しの怒りもなく、とても落ち着いた気持ちで受け入れたことです。すると、盧氏は「穀物船の沈没は、その官員個人のみの責任ではなく、個人の能力で挽回できるものではなかった」と考えて、評価を「中の中」に書き直しました。しかし、その後もその官員は何の意見もなく、評価を上げたことに対して感謝の言葉も述べず、顔色も変えず、微笑みながら対処しました。盧氏はその官員の物事に対する態度に「栄誉と侮辱に面しても驚かず、得難い、得難い」と称賛し、「栄誉と侮辱に面しても驚かず、中の上」と再度評価を書き直しました。

 北宋時期に、範仲俺が「慶暦の新政」を堅持していましたが、結局失敗して鄧州に追放されました。それにしても、彼は依然として「則(すなわち)心曠(むな)しくして神(しん)怡(よろこび)​​​​​​、寵辱(ちょうじょく)皆(みな)忘れ、酒を把(と)って風に臨(のぞ)み、その喜び洋洋(ようよう)たる者有(あ)らん」(意味:清々しい気持ちで、名誉や侮辱を捨てて、酒を飲みながら気持ち良い風を臨み、喜びいっぱい)、「物では喜ばない。自分のことで悲しまない」、「天下の憂いに先立って憂い天下の楽しみに後れて楽しむ」のという闊達な態度で向き合いました。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/27/429979.html)
 
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