【明慧日本2019年8月3日】
天道に順応し 道徳を以て本と為す
運勢には困窮と順調という変化がありますが、苦境に陥っていても道徳と信念を貫くことが出来れば、初めて万事順調の境地にたどり着くことが出来ます。行動に善悪の区別がありますが、善を堅持することが出来れば、必ず良い結果につながります。
唐の名士の宋之問(初唐の詩人)、孟诜(唐の医学者)、盧照隣(唐初期の詩人)等はみな、孫思邈(そんしぼう)のことを礼儀を尽くして尊敬していました。
盧照隣はかつて「仙宗十友」(李白・王維・賀知章など詩文や書画に優れた人物を指す)と称される十傑の中の1人で、孫思邈から身を修める道理や天文学、医学等を教えてもらいました。一度、彼は孫思邈に「名医が人の病気を治療する道理とは何でしょうか」と聞きました。
孫思邈は「天道の規則にうまく順応する人は必然的に政治に参与します。人の体をよく分かった人も、必ず天の道理を根拠にしなければなりません。天候には四季があり、五行があり、それらが互いに入れ替わり、絶えず循環します。自然界の気が和やかであれば雨となり、怒ると風に変わり、凝結すれば霜霧となり、姿を見せれば虹になります」
「それに対応して人間にも四肢と五臓があります。人は昼間に働き、夜に睡眠をとり、元気を取り入れ、新陳代謝が行なわれます。これは人体の自然の法則です。陰陽の理や天人合一、天人相関と言う思想があるように、人間の体も自然界とそれほど変わりはありません。体の陰と陽のバランスが崩れると、体には様々な正常でない状態が現れ、その根本的な原因は体の内にあります」
「自然界もそうです。辰星が軌道から外れると、歳月の運行が乱れ、寒暖に異常が起き、河川は枯渇します。それは天道の法則から乖離したからです。良い医者は病気治療をする場合、薬で体をいい方向に導き、針で人を病気から救います。聖人は世間を救済する時、道徳を以て社会を調和させ、政務でそれを補い、すべてを天理正道に回帰させるのです。ですから、人体を整えることができるし、社会も一部の災難から避けられることができます。上位の医師は病気が発症する前に発見して治療し、中位の医師は発症しそうな病気を治し、下位の医師は発症した病気を治す」と言いました。
さらに、彼はよい医者として、「世間を救済し、功名や利、禄を求めず、果敢に行動し、細心の注意を払い、行ないや心の持ち方を正しくし、利のために働かず、不義理な事をしてはいけない」と言いました。
孫思邈は医者としての道徳を医学の首位に位置づけ、医学を学ぶ動機を正しくしなければならず、「人命至重」、「救済の志」と言う高尚な道徳を持たなければならないと言いました。そして、「大医精誠」の理念を掲げ、「医者は診察に当たっては、精神を平静に保ち、私欲を棄て、大いなる慈悲の心を以て、苦しんでいる魂を救うべく最善の努力をしなければならない。そして、治療を求めてきた者は貴賤貧富、老若、怨恨のある親戚、親しい友人、民族、白痴を問わず、すべての人を親族のように思わなければならない」と言いました。
孫思邈は、「命は極めて重要であり、千金に値する」とも書きました。そのため、彼は自分の著作にすべて「千金」の二文字を付け、人命第一の意を表しました。彼自身も道徳を以て身を修め、自ら手本を示しました。そして、彼はよくある疾病の処方を石碑に刻み、家の近くの道路の傍に立て、人々がその通りに処方できるようにしましたが、一文も取りませんでした。
孫思邈は天地と人間の性質の同一性を参考にし、「人間としては身を修め、道徳を最優先にしなければならない」という理念を提示しました。弟子から「身を修める要は何か」と聞かれると、彼は「月には満ちと欠けがあるように、人には栄えと衰えがあります。自らを律することのできない人は救えません。ですから、身を修めるにはまず慎むことを知り、敬畏の念を抱くことです。敬畏の念を持っていなければ、士は仁義を疎かにし、農夫は農耕作に手を抜き、労働者は規則を怠慢し、商人には商品が増えず、子は孝行を忘れ、親は優しさを失い、臣は功績を上げず、君主は天下を治めません。ですから、先ず神、天道に敬畏の念を抱き、次に物に、人に、さらに体にも敬畏の念を持たなければなりません」と教えました。
「人間として天道を謹んで守り、徳を修め善行を積み、心が善良であれば、幸せは長続きします。そのため、心身とも自然に健康となり、長生きもします。本性が善良であれば、万病にかかりません。反対に、心が善良でなければ、起死回生の妙薬を飲んでも、長生きは出来ません。天理に反した事を行なえば、治療も薬も何も役に立ちません。人間として最も重要なのは徳を修めることである」と孫思邈は考えました。
唐の魏征などは命令を受け、斎、梁、周、隋の五代の歴史を編修しました。彼らは内容が漏れないよう、何度も孫思邈に教えを請いました。孫思邈が、まるでその目で見たかのようにその詳細を伝えたため、人々は皆とても驚いて不思議に思いました。東台次官という官職に付いた孫所約は、5人の息子、孫侹、孫儆、孫俊、孫侑、孫佺を連れて孫思邈に謁見しました。
孫思邈は、「孫俊がまず出世し、孫侑は比較的遅くに出世するでしょう。孫侹の地位は最も高くなりますが、軍隊の指揮権を掌握した頃に災いがあるでしょう」と予言しました。結局、すべてが彼の予言通りになりました。皇太子の家を掌る「太子詹事」と言う官職に付いた盧齊卿は、小さい頃、孫思邈に倫理のことを教えてもらいました。孫思邈は「50年後、おまえは諸侯の長になるでしょう。私の孫はあなたの部下になりますが、あなたは必ず自律して、自重するようにしなさい」と言いました。
それから、盧齊卿は本当に徐州の長官となり、孫思邈の孫・孫溥は徐州蕭県の県長官となりました。孫思邈は盧齊卿にこのことを話した時、孫の孫溥がまだ生まれていなかったのですが、彼はすでに孫の事まで分かりました。孫思邈は博学多才で、一生をかけて道を極め、天文暦法において詳しく、先見の明を持っていました。彼自身にも多くの不思議な事が起きました。
修煉して道を得て、返本帰真をする
人間は「三つの宝物」、つまり精、気、神を持って生まれてきます。この命の「三宝」は数層も重なって「保護する障壁」を形成し、外部からの邪気に抵抗し、私たちの命を守ってくれます。その中の「元神」(神)は人間の本当の支配者で、「神」の世界(天国)に生まれたものです。ですので、人間の「元神」は「神」と同じように、神聖的で、純真で、善良な特性を持っています。それに、「元神」の次元が最も高く、構成される粒子も最も小さく、最も強いエネルギーを持っているため、命を守る力が最も強いのです。
しかし、「元神」が神の世界から来て、神の能力を持っているとは言え、人間には業力と利己心、良くない考え方があるため、それらのものに遮られ、善良の「元神」は命を守る強い力を発揮することができなくなります。もし、人が道徳を重んじ、利己心、嫉妬心、闘争心等を取り除くことが出来れば、「元神」は本来の威力を発揮できるようになります。
養生することのさらなる一歩は修煉です。修煉は、より道徳を重んじ、その上、もっと高い基準で自らを律しなければなりません。孫思邈は、最後に真人に修め遂げました。唐高宗の永淳(えいじゅん)元年(西暦682年)、孫思邈は朝起きて、入浴し、身なりを整え、きちんと座り、子孫達に「わしは昇天して天庭の官となります」と言い残した後、しばらくして息が絶えました。しかし、亡くなって1カ月経っても、彼の容貌は変わらず、遺体を棺に入れても、衣服のように軽かったのです。それはすでに「尸解」(しかい・死体を残して霊魂のみが抜け去る)したという事でした(宋『雲笈七籤』)。道家では、仙人になるには、主に二つの方法があると言われています。黄帝は竜に乗って白日の中、飛翔していきましたが、孫思邈の場合は、「尸解」、つまり、「偽りの死」と言う方法でした。実は彼はすでに道を得て仙人となり、再び山に入って修煉しました。
(終わり)