文/山西省の法輪功学習者
【明慧日本2023年2月26日】私には、同じ歳で兄弟のように仲が良い親友がいます。2018年に行われた彼のお母さんのお葬式で、私は財務と事務処理を担いました。退職した幹部だった相婿(あいむこ:姉妹の夫同士)が来られていて、同齢の関係もあって、私たちは自然と親しくなり、気軽に話すことができました。
私が皆に「人々の行いは神が見ておられる。頭上3尺に神がいる」と言うと、その相婿は話の穂をつなぎ、こう言いました。「あなたが言っていることを私も信じている。神仏の存在と言えば、それは紛れもないことだよ。1966年から1967年の間のことだと思うが、文化大革命が始まって、私は小学校の6年生で、あちこちでお寺を壊し、仏像を壊すことが盛んに行われていた。私たちの村には古くから大きな寺があり、本堂の『大雄宝殿』にはとても大きな如来像があった」
その日、担任の先生はクラスの全員に「仏像を壊しに行くから、唐鍬(とうぐわ)を持ってくるようにと言った。本堂に着くと、担任の先生は『まずは仏像の胸辺りから、仏の心臓を完全に掘り出して』と指示した。その仏像は作られた際、大きな銅製か銀製の心臓を入れられたと言われているからだ」
「指示を出した途端、担任の先生は両手を胸に当て、しゃがみ込んだまま立ち上がれなくなった。その直後、クラス全員が心臓に激痛を感じ『心臓が痛い!』と次々と叫び出した。怖くなった担任の先生は慌てて跪いて『やめる。やめる。全員学校に戻る』と言った。その後、皆は徐々に正常に戻ったのだ。本当に信じない訳にはいかない状況だった!」
「これは私が身をもって体験したことで、50数年経った今でも記憶に新しく、心に刻み込まれている! このことは私の世界観と、その後の人となりや処世の態度に直接な影響を与えた。憚りなく、勝手気ままに行動してはいけないと常に自分に言い聞かせている。そして冥冥(暗闇)の中に、世間のすべてをコントロールしている力があるといつも感じている」