古希の歳に歯が生えた
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2022年3月14日】74歳の私は、1995年に法輪大法を学び始めました。当時は持病持ちで、仕方なく始めたものです。なんと煉功してわずか数日で、多くの病がすべて治りました。私は「法輪功はなんて不思議なものだ! 一銭もとらず、師父に会ったことすらないのに、私のこれらの病を治してくださいました。さすがだ! 必ずやり続ける」と思いました。

 こうして、私は現在に至るまで、27年間病院に行ったこともなく、薬も必要なく身軽になりました。私の子供さえも追いつかないほどすたすたと歩けます。これだけでも神業ですが、さらにもう一つ修煉における不思議な体験を話します。

  数年前のある日、私は米屋で一袋のあんまんを買いました。米屋のあんまんは自家製で、手が込んでいて、家族のみんなの大好物です。昼食の時、野菜を炒めて、あんまんは出来立てでまだ暖かくて、暖める必要がありませんでした。私が食卓につくと、夫はすでに2個目のあんまんを食べていました。私が一つのあんまんを取って、パクリと噛むと、カタッという音がして、私は思わず「あっ」と叫び、あんまんを机に投げ捨てました。手で左頬を抑えて、口のあんまんを机に吐き捨てみると、そこから豆粒よりも大きいカクカクした石ころが出てきました。石ころには血痕もありました。

  夫は急いで水を持って来てくれました。私は痛さのあまり居ても立っても居られず、少し落ち着くと、慎重に指を口に入れて痛んでいる2本の歯を触ってみました。「しまった、2本の歯が石ころで緩んでしまった」と叫びながら、指についた血を見て「なぜお店の人はあんなに大きい石ころを見落としてしまったのか?」と、思わず不満をこぼしました。夫は「それは確認し切れないだろう。ふるいで落としているから、小さいのはふるい出されるけど、大きいのは残ってしまったかもしれない。これほど大きくて鋭いのは珍しいもんだ。あなたはついてないね。午後一緒に病院に行ってやるよ。診てもらった後、お店に行って文句をつけてやろう。少なくとも損失を賠償してもらわないと」と言ってくれました。

 この時「米屋の人はわざと石ころを入れたわけではないし、不本意であるはずだ。自分は真・善・忍に従って修煉しているから、人に善を持って接し、何事も他人のために考えなければならない。常人のように個人の利益のために争ったり、損失を賠償してもらうなんて思ってはならない。それに、まんじゅうやあんまん、麺で生計を立てているので苦労している。賠償金を支払ったら、泣きっ面に蜂ではないか。このように人に損害を与えてまで自分の利益を計るようなまねは決してできない。それに私にも責任がある。もしもう少し気を付けて、パクリとかぶりつかなかったら、こんなに目に遭わなかったのだ」と、私はかえって冷静に考えました。

 そして、私は「もういいよ。病院には行かない、文句も言わない」と言いました。夫は「いいのか? 我々はちゃんと理にかなっているよ」と言いました。私は「理なんてどうでもいい。わざとじゃないんだから、我慢する。何事にも因縁関係があるのだから、前世は私が人にこんなことをしたから、今世で仕返しされたのかもしれない。これで帳消しだ。あんたが2つ食べてもこんなことがなかったのに、私が一口かぶりついただけで、こんな目に遭ったのは自業自得ではないか」と言いました。私は夫を笑わせて、これで一件落着しました。

 歯が痛くなくなってからもグラグラして、食事の時大変邪魔になりました。使い物にならないどころか、歯にあたるとかなりの痛みを感じました。時にはいっそうのこと抜いてしまおうとも考えました。しかし、やはり自然に脱落させようと思います。

 半年後のある日、アイスバーを買って食べていたら、食べ終わる前に2本の歯が相次いで落ちてきました。少しの痛みも無く、血も出ませんでした。アイスが冷たいから、歯茎が収束したためだったからかもしれません。しっかりとした抜け落ちた歯を見て捨てるのが惜しくて、ティッシュに包んで、ポケットに入れて持ち帰りました。

 ある日、子どもたちが歯を移植(インプラント)するために病院に行くことになり、私にも一緒に行こうと誘ってきました。私が「行かないよ、生えてくるのを待ってるから」というと、子どもたちは思わず吹き出しました。当時は、私も深く考えずに言ったのです。

 2021年末、しばしば左の奥歯がぎこちなくて感じていました。そこは空っぽで、食事の時よく詰まっていました。うがいのとき、いつも詰まったものが出てきますが、なにも出てこず、ただ歯を磨いた後も違和感が残っていました。私は懐中電灯を歯に当てて鏡で確認しました。なんと穴から生えた歯がその歯の隙間を埋めていました。予想外な出来事ですが、案の定のような気もしました。しかも、ぴったりとはまっていたのです。唯一色が統一しておらず、新しく生えた歯は白く、周りの歯は黄みを帯びています。

 2022年の2月初旬、私は、また右の歯茎に違和感を覚えました。前回のこともあって、また鏡で確認してみましたが、何も見えませんでした。2本の指で触ってみると、半分くらい生えた歯がありました。まだ完全に生えておらず、一番奥にあるため、他の歯に遮られて見えませんでした。今では他の歯と同じくらいの長さになっており、かなり速いスピードで生えてきました。以前動いていた歯もしっかり固定されました。トウモロコシ、ピーナッツなどの硬い物を食べても、若者と同じように楽になりました。不思議に聞こえるかもしれませんが、本当に私の身に起きた出来事です。

 昔から「70歳は古希の歳」と呼ばれていますが、私は73歳にして歯が生えました。なんて不思議なことでしょう。これは大法を修煉した奇跡で、師父のおかげです。大法の威力はすばらしく、数えきれないほどの様々な不思議なことが法輪功学習者の身に起きています。

 中国人たち、中国共産党による無神論のうそを捨てて、法輪功への誹謗中傷のわなから抜け出して『轉法輪』をぜひ手にとって読んでみてほしいです。もし縁があれば、読み終わるごろには大きな収穫があるかもしれません。いったん本当に修煉を始めれば、色んな神業が現れるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/4/439635.html)
 
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