ーー健康と道徳を養い、5つの難点を取り除く(1)
文/劉一淳
【明慧日本2021年9月3日】大医学者の孫思邈は『千金要方』の中で、「人は徳がなければ、たとえ万能妙薬を飲んでも長生きできないのです。道徳心が高く完璧であれば、祈らなくても幸福が多く長生きすることができます」と述べている。
古代の人々はどのようにして道徳心を養っていたのだろうか
徳を養うには、まず自分の性を養わければならない。性とは天上から見れば生命といい、人間世界から見れば性格という。「性」という字は左に心、右に生があり、人は心の中に理性を持って生まれてくるという意味である。心が理性に従えば成長し、理性から背離すれば滅亡する。性を養うには、まず5つの難点である名利、喜怒、声色、滋味、神慮を取り除くことが大切である。
名利を捨て 范蠡は成功後に引退し、財産を散らし尽くす
春秋時代、范蠡(はんれい)と文種は越王・勾践(こうせん)を20年にわたって補佐し、呉を滅ぼして越を復興させるのに貢献した。その後、范蠡は将軍となり、各国の中で有名になった。しかし、范蠡は自分の高い名声が長く続かず、勾践は自分と難儀を共に乗り越えても権力を得れば共有できない人だと考え、勾践に手紙を書いて彼のもとを去った。
范蠡は洞察力があり、勾践王の人相を見て彼の性格を知り、自分の富や幸せを臣下に分け与えることができないだろうと見抜いていた。范蠡は文種に「越王の人相は、長い首ととがった口先をもっている、このような人は苦労を共ににすることはできても、安楽を共にすることはできません。あなたはなぜ離れないのでしょうか?」と忠告する手紙を書いた。文種は彼の言葉を信じず、結局、勾践によって死に追いやられた。
范蠡は越の国を離れ、斉にやってきた。彼は名前を変え、息子と一緒に懸命に海沿いの荒れ地を耕しながら、商売に従事し、数十万もの家財を築いた。范蠡が賢人であることを知った斉王は、彼を官職に任命して政務を補佐させた。
やがて范蠡は大臣になり、范蠡と家族は多くの財産を持ち、名声と富は最頂点に達したが、これは不吉な兆候だと考えた。中国の伝統的な考え方では、「頂点に達したものは衰退の始まりだ」という理念があるからである。
3年後、范蠡は大臣の職を辞し、一族の財産を散らして斉を去り、定陶(山東省定陶)に移住し、陶朱公と号した。定陶県では、父子で協力して畜産や農業、商売を始めた。数年後、范蠡は再び数万の財産を築き、しばしば貧しい人々を助けていた。地元の人々は、陶朱公を尊敬して富の神と呼んでいた。
范蠡は徳によって金持ちになり、名声と富、高官は徳から生まれたもので、財産を散らして、捨てることができ得ることもできた。
今、西オーストラリア州パースの街角で、あるハンサムな法輪功学習者で、企業家のマーク・ハッチソンさんが資料を配っているのをよく見かける。彼の話によると、法輪功を学ぶ前には「利益を出す」ことを前提にビジネスを行い、利益を追求する中で自我も拡大した。法を学んだ後、「真・善・忍」に従って事業を経営したことで、事業が縮小しないばかりか、急速に成長し、会社の事業も成長し続け、設立したばかりの会社がオーストラリアで「最優秀ショールーム賞」を受賞したという。
(続く)