【慶祝513】大法は私を苦海から救った
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2022年6月21日】私は70代の大法弟子で、法輪大法を修煉して20年余りになります。法を得るまでの人生を振り返ると、とても苦しかったです。

   生きているのは限りのない苦痛

 修煉する前の人生は、苦難に満ちたものでした。16歳で髄膜炎に罹り、危篤状態になった時期もありましたが、最後は奇跡的に回復して、後遺症も残りませんでした。しかし、28歳の時には大地震で家族全員を亡くし、私は涙が枯れるまで泣きました。そして48歳の時、長女が夫の家で殺されて、その知らせを聞いた瞬間、私は気絶しました。もう生きる道はありません。

 おまけに私は、頭からつま先まで全身、病に蝕まれていました。脳神経症、低血圧、貧血、咽頭炎、乳腺増殖、膝蓋骨軟化、腰椎増殖などによって全身には力がなく、一日中ぼんやりして、年を取ったら松葉杖に頼る生活になると医者に言われました。長女が亡くなったことでまた心臓病が再発し、心臓が鼓動する時、まるで喉から飛び出そうでした。毎日、生きているだけでも止めどなく涙が流れて、いつまでも苦痛が続いていました。

   修煉して健康を取り戻した

 長女が殺された翌年の春、友人が家に来て、その目に映った私は、まるで別人のように痩せこけていました。友人は再三、法輪功を勧めてくれたので、私はやっと見に行くと承諾しました。煉功点には人がたくさんいて、若い人もおり、みんな優しく穏やかで、そこにいるととても気持ちが良いのです。そのように修煉して間もなく、すべての病気が無くなって、体が軽やかになりました。毎日煉功をするのがとても楽しくなり、雨が降っても、雪が降っても行きました。長い間胃病、十二指腸潰瘍、腰痛、足の痛みに悩まされた夫も一緒に修煉して、体がとても早く健康になりました。

   怨恨を解く

 法を学ぶことによって、人と人との間には因縁関係があり、今まで受けた苦難はすべて自分の業力によって生まれたものだ、修煉者にとって苦を嘗めて、業力を解消できることが分かりました。長女の死に対しても釈然としました。

 6年後、長女を殺害した犯人が捕まりました。その時、私と夫はすでに法輪大法を修煉して、栄光の大法弟子になりました。裁判所は私たちに賠償金の請求について尋ねる時、私たち夫婦は相談して、師父の言う通りにすると決めました。

 師父は「実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[1]と説いています。

 法廷に、私たちは次のように考えたことを陳述しました。「殺人者に対しては国の法令があって、法令に従って処理すればいい。賠償金は彼の両親が出さないといけないため、両親の生活に負担をかけないために賠償金を放棄すると決めた。また、真犯人が以前私たちに借りた13000元(20万円相当)についても返済要求を放棄する。私たちは今法輪大法を修煉して、相手のことを思ってあげると師父のお教えがあるため、そのように決めたのだ」長女を殺されたことで心はずっと痛めますが、これ以上真犯人の家族に苦痛を増やしたくありません。

 通常、私たちはもし数十万元(数百万円相当)の賠償を要求しても条理の範囲を超えないため、裁判官は驚いて何度も私たちに確認しました。彼らはきっと大法弟子と常人の違いが分かったと思います。最後に裁判官は、「法輪功を修煉したためと判決書に書けないが、あなたたちが賠償金を放棄したとしか書かない」と言いました。

   夫は「年度優秀労働者」に選出

 夫はもともと誠実で温厚な人で、大法を修煉してからもっと損得を気に掛けない人間になりました。黙々と仕事をこなして、名利を争わなくて、上司にとても評価されています。夫の職場では褒められた人はよく周りから嫉妬されますが、夫だけは、どんなに上司に評価されても周りの同僚は心のバランスがとれないことがありません。なぜかというと、夫は確かに誰もが及ばないほどよくやっているからです。

 1999年、中国共産党の法輪功に対する狂った迫害が始まって、夫は修煉を放棄しないため、1年間の減給処分を受けました。夫は文句を言わず、いつも通りに仕事をしていましたが、同僚たちは夫のために不平を叫びました。年末評価の時、みんなが夫を「年度優秀労働者」に選びました。指導者は「法輪功学習者は候補から外されている」と言った時、みんなは「彼(夫)を候補者から外すと、我々は誰も選ばないぞ」と答えました。結果、夫は「年度優秀労働者」に選ばれました。

   娘よ、ありがとう

 私に2人の娘がいて、性格は正反対です。殺害された長女は大人しくて優秀で、学校においても職場においても評判が良かったです。次女は活発な性格で反抗的で、学校に行くのも仕事に行くのも嫌いなため欠勤したりして、いつも私と夫に心配をかけています。金使いが荒くて、親の言うことも聞きません。私と夫は次女に諦めていました。

 私たちに好かれていないのを自分も分かっているため、次女は離婚のような人生の一大事も私たちに話していませんし、家にも帰りません。次女の義母から電話があって初めて知りました。

 私と夫は内に向けて探して、今まで次女に対する「愛」は利己的なもので、次女のために考えるというより、自分らのメンツを重視する割合が多かったと分かりました。私は次女に電話して、いつ家に帰ってもいいよと誘いました。娘が帰ってきて、私は毎週の週末に孫を家に迎えます。その時、孫はまだ2歳で、賢くて可愛くて、次女はとても喜んでいました。孫が少し大きくなったら、父方の祖母が私と次女の悪口を言っていることを教えてくれました。私は孫に「何があっても、こちらの祖父祖母は人の悪口を言わない」と言いました。孫は愛の雰囲気の中で育ち、ほとんど親の離婚から影響を受けず、娘との関係も良好です。

 次女も変わりました。次女は猛勉強してから北京に行って栄養士や催乳士など5つの資格を取って、一生懸命働いています。次女が車を買う時とマンションを賃貸する時に私と夫はお金を援助すると、次女は私たちに服や栄養食品を買ってくれたりして、親子関係は正常に戻りました。私と夫が何回も不法に拘束されていた時、次女が一人で奔走して救出に全力を尽くしました。次女の勇気と責任感に感動しました。次女よ、ありがとう、あなたの姉を失ったのですが、神様は最高のあなたを我々にくれました。このすべては修煉のおかげで、師父と我々を助けてくれたすべての同修に感謝します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/14/442188.html)
 
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