入院25日の治療効果なし 法輪大法を学び続けて16日で回復
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文/中国の大法弟子の口述で同修がまとめ

 【明慧日本2022年4月24日】私は2019年5月27日夜10時ごろ、横になっていたとき、トイレへ行こうと思って、起きようとしましたが、なかなか起き上がれませんでした。それで、妻を呼び、手伝ってもらい、私を引っ張って起き上がらせてくれました。しかし、数歩歩いただけで、地面に倒れてしまいました。自分で起き上がろうとしましたが、起き上がれませんでした。倒れている私を見た妻は慌てて、「救急車を呼ぼう。病院へ行こう」と繰り返して言いました。私は「行かない。大丈夫だよ」と言いました。翌日、私は自分でトイレへ行けるようになりましたが、その次の日、トイレに行ったとき、トイレで倒れました。妻は近所の人を呼んできて、4人で私を持ち上げ、ベッドに移しました。それから、妻は救急車を呼び、私を病院に送りました。

 病院で、排泄できなかった私は、尿道カテーテルの挿入と腸を洗浄する方法しかできませんでした。尿道カテーテルをつけるとて、血が出てきて、とても不快な思いをしました。 CTを撮ったところ、「脳出血は止まりましたが、起きなきゃダメですよ!」と医者に言われました。「私は立ち上がれません、本当に立てません!」と私は医者に言い返しました。

 その後、理学療法を受け始めました。それは拷問に等しいほど辛かったのです。あまりの苦痛で私は理知を失いました。「何で、健康だった私が突然、動けなくなったのか? こうしてベッドに横たわって、何故こんなに苦しい目に遇わなければならないのか」と思い、心が折れてしまい、空が落ちてくるような気がしました。それで私は妻に、「死んだ方がましだ! 殺鼠剤を買ってきてくれ!  死なせてくれ」と言いました。 

 そのとき、医者がちょうど病室に来ました。妻は医者に「この人は殺鼠剤を買ってくれと頼みました」と言うと、 医者は「あなたが自分で立って、自分の足で薬局で殺鼠剤を探して、自分で買えばよいです。奥さんに行かせないで! 奥さんを刑務所に送りたいのですか」と怒鳴られました。

 数日後、ある同修が私を見舞いに来てくれました。同修は私と法理上で交流してくれましたので、徐々に正念を持つようになりました。「師父が私を守ってくださるのだ。退院したい」と思って、妻に「師父が私を見守って下さるから、大丈夫だ。家に帰りたい」と言いました。しかし、妻は私の話を信じないので、「この療法の1クールはまだ終わっていないのに。あなたは動けないし、もし、家に帰ったら、家から通うのは大変です」と同意しませんでした。

 しかし、20日間入院をしたところ、病院から「退院してください」と言われ、そうしないと、その以降は健康保険証が使えないので、自費で治療を受けることになるというのです。そのとき、私はまだ熱があったので、病院側は後5日間の入院を許してくれました。

 その間、同修はまた私を見舞いに来ました。その時、私は理学療法を受けているところでした。私は涙を流しながら同修の顔を見上げました。自分のことに悲しいのか、同修に会えたことに感激しているのか、とにかく涙が止まらなかったのです。理学療法を終えて、介護士に背負われて病室に戻り、私は同修に「とても辛いです。死んだ方がましですよ」と言いました。

 同修はそれで、私が完全に寝たきり状態だと知りました。私は頭がはっきりしているものの、ろれつが回らない状態でした。同修はまた、私と法理上で交流し、「固く師父を信じ、固く大法を信じてください。師父がきっとあなたを助けます。退院して、ベッドで横たわっても学法煉功発正念をしなければなりません。師父が絶対あなたを救ってくださいます」と話してくれました。

 入院して25日間、少しも好転しなかったのです。退院した後、ベッドで横になって、私は煉功、学法、発正念をし続けました。2日後、体が少し動けるようになりました。

 退院して6日目、同修は家に来ました。まだ起き上がれない私を見て、同修は私と法理上で交流しました。12時の発正念の時間になって、「座って発正念しますか」と同修に聞かれ、「したいです」と答えました。そして、同修は私の体を横向きにさせ、ベッドに上がって背中から脇の下に手を入れ、私の上半身を持ち上げ、ベッドサイドに引きずって、座らせました。しかし、私は安定して座ることができなかったのです。私がふらふらしているのを見ると、同修はベッドサイドに座り、脚で私の上半身を支えてくれたのです。数分後、私が安定して座れるようになったのを確認して、同修は私から離れました。そのまま、私は40分発正念し続けました。

 発正念した後、私は心から師父に感謝し、同修にも感謝しました。寝たきりの私はなんと、40分も座れて、発正念できました。本当に奇跡としか言いようがないのでした。妻も「あなた、こんなに安定して座れるなんて、しかもこんなに長く座ることができて、すごいよ」と、言って喜んでくれました。

 退院して16日目、同修たちはまた、見舞いにきてくれました。このときの私は、ベッドの縁に腰掛けることができました。妻は同修たちが来たことでとても、嬉しくなりました。「あなたたちは話していてください、私はちょっと出かけてきます」と言って出て行きました。

 ある同修は私に「陳さん、立つことができますか」と聞かれ、「できると思います」と私は言いながら、ゆっくり立ち上がりました。しかも、誰の支えも無く、立つことができました。同修たちも驚きました。

 同修はまた、「陳さん、煉功できますか」と聞かれ、「できます」と私は答え、同修と一緒に第1式の功法を煉りました。

 そこで、同修は「ベッドの方へ歩いてみませんか」と言って、「はい」と返事をして、同修の言う通りに私は歩き出しました。なんと、体の震えも止まりました。本当に感激しました。

 同修も嬉しくて、「もう一回第1式の功法を煉りましょう」と言ったので、一緒に煉りました。その後、同修は「陳さん、歩く姿を孫に見せに行こう」と言いました。

 そして、私は、ほかの部屋で寝ている孫娘のところへ行って、孫娘を起こしました。そして、孫娘が目を開けないまま起き上がりました。

 同修は寝ぼけている孫娘に「目を開けて、お爺ちゃんを見て」と声をかけると、孫娘は頭を上げて目を開け、立っている私を見て、「え、お爺ちゃん、歩けたの?」と、すごく驚きました。

 私は目に涙をためながら、うなずきました。「本当に自分1人でこっちに歩いてきたの?」と、孫娘は再度、確認しました。そのとき、私は涙が噴き出し、孫娘の頭を撫でて、「本当だよ。偉大な師父、偉大な大法のおかげだよ」と言いました。孫娘も同修たちも涙を流しました。

 孫娘はすぐに妻に電話をかけ、「婆ちゃん、早く帰ってきて、爺ちゃんは立ったよ!」と言いました。同修は孫娘に「お婆ちゃんが帰ってきたら、爺ちゃんにドアを開けさせてね」と言いました。

 妻がドアを叩くと、私はドアを開けました。ドアを開けると、妻は立っている私を見て、あまりの驚きで、目に涙を浮かべて立ったまま動かなかったのです。しばらくして、「今度は信じた! 全部信じた! この功法は本当に素晴らしい!」と言葉を詰まらせながら、妻は言いました。

 家に入って、妻は同修の手を取って、「夫は以前、たくさんの法輪功の資料とCDを持って帰って、私に見せてくれました。その中にたくさんの不思議な出来事が書かれていました。信じないと言うわけではありませんが、目の当たりにしていなかったので、全部が全部信じられませんでした。今日、夫の身に起きたことで、私は本当に全てが信じられるようになりました。法輪功の師父は偉大です! 大法は素晴らしいです!」と嬉しそうに話しました。

 この時、私は妻に「実は、あなたが持ってきた薬は飲んでいなかったよ。あなたが見ていない時、薬を吐いたんだ」と言いました。

 その日は良いことばかりでした。大法の加持がなければ、師父の慈悲深い救いがなければ、私は一生ベッドで半身不随になり、廃人になっていたと思います。

 25日間入院して、薬や注射、理学療法などを受けましたが、まったく改善されなかったのです。しかし、家に帰って16日で、学法や煉功、発正念をし続け、体が完全に回復できました。

 それから、妻も法輪功の本を読むようになりました。

 1992年5月に法輪大法が世界に広がって以来、修煉者の身には数えきれないほどの奇跡的なことが起こっています。私の身に起こった奇跡的な出来事は、海の一滴の海水のように、本当に小さな小さなものですが、それでも私は、大法の偉大さ、師父の慈悲、佛の恩を実証するために、このことを伝えたいと思い書きました。

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 法輪大法は奇跡的な力を持ち、その力はミクロからマクロまで広がっています。今回紹介した事例は、世俗的なレベルでの大法の力を示す小さな現れに過ぎません。大法は人類に恩恵をもたらすことができます。大法の無限の力は、人に返本帰真をさせるためなのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/11/439109.html)
 
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