【国際ネット法会】大紀元新聞社のフルタイム勤務での修煉体験
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2021年9月14日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2018年6月のワシントンDC法会の後、私は英文大紀元(エポック・タイムズ)の定期購読部に加わり、どのように業務を担っていくか模索し始めました。そして2019年以降の大紀元新聞社は急速に発展し、真相を伝えるにあたっての役割は、ますます大きくなりました。

 中共コロナウィルスが世界中に蔓延し、多くの真相を伝えるプロジェクトが影響を受けています。しかし英文大紀元は毎月数百万部の新聞を発行し、SNSでの普及も多チャンネルで進み、一日の閲覧者は合わせて数千万人にも及んでいます。英文大紀元は当初、新聞しか発行していませんでした。それが今はWeb記事や雑誌の購読サービスも展開しています。現在、英文大紀元の購読量は全米で第4位です。

 根気よく続ける

 英文大紀元が有料になるまでの過程は、苦難に満ちていました。当初、アメリカでは誰も英文大紀元を聞いたことがありません。普及させるために私たちは多くの家庭に新聞サンプルを郵送し、集会や展示会などに参加して皆に紹介しました。

 努力はしていたものの、最初の頃の契約数の伸びは、月にわずか数百件でした。毎週水曜日、同修を印刷工場に集めて手作業でサンプルを準備します。全員が夜中から午前3時まで働いても3000~4000部しか作れず、こうして出来上がったサンプルも週に20人ほどの購読者しか増やせません。ホットラインを通して新聞を購読する顧客もいましたが、一日に数人だけでした。「ホットライン」は全然「ホット」ではなかったのです。

 当時、英文大紀元の年間購読料は99ドル。一方で新聞一部の郵送料はだいたい2.5ドルで、年間郵送料は117ドル。完全に赤字です。しかし私たちの新聞は、衆生を救い済度する使命を負っているので、他に選択肢はありません。

 弛まぬ努力により、2019年4月にはようやく購読者数が顕著に増えました。2019年4月19日、大紀元チャンネルの番組の一つが1200人以上の新規購読者を獲得しました。その後、1日の新規購読者数は2500人、5000人、ないし1万人のペースで増えていました。

 こうした道のりで受けてきた妨害は、かなり大きいものでした。SNSに広告を禁止されたり、広告収入をもらえなかったり、デマを飛ばされて攻撃されたり、大手企業に検閲されたり。左派メディアに中傷されたこともありました。毎日新規購読契約を取れるとは限らず、解約数が新規契約数より多い日もありました。しかしどんな時でも、私たちは諦めたことがありません。師父は「皆さんは今までこのように歩んできたのです。ある方面で道を正しく歩んでいれば、閉じている扉は開かれ、道が広くなります。どのプロジェクトもこのように歩んできたのです」[1]と説かれています。

 私たちは積極的に内に向けて探して、過去から教訓を学びます。伝統文化と普遍的な価値観に基づいて、新聞の質を高めるように努力しています。大法に与えられた智慧を以て戦略を練り、新聞を各読者層に普及させました。私の経験上、自分が何をしているのか、なぜ大紀元新聞社で働いているのかを明確にしなければなりません。私たちの心は、外部に動かされてはいけません。私たちは衆生が救われる唯一の希望だからです。何をするにも、根気よく続けなければなりません。

 心を込めて仕事をする

 既存購読者の中には解約する人もおり、購読増加値がマイナスになる日もあります。購読者数を増やし続ける方法はあるでしょうか。まず、解約の理由を分析してみました。主要な理由として、お金がない、読む時間がない、大統領選挙の結果に失望してもう「大紀元新聞」を見たくない、他のメディアと内容が変わらない、他で無料のニュースを見ることができる、などが挙げられます。

 しかし購読者と心を込めたコミュニケーションが取れば、購読者数を維持できるとチーム全員が思いました。心を込めたコミュニケーションを取るには、まず購読者の事情を把握して、彼らを救うことを第一優先に考えることです。そこで私たちはアンケート調査を行い、ほぼすべての回答を読みました。またホットラインで解約したい購読者の生の声を聞いたり、購読者と対面で交流できる活動に参加したりしました。

 購読データとアンケート内容を分析した上で、新聞、Webサイトのコンテンツ、ユーザー体験、サービスなど、あらゆる面で改善を図りました。「購読期間更新のお知らせ」の改善を例に挙げましょう。タイトルの「購読期間更新のお知らせ」を「購読を最大限に活用して、必要なものをお見逃しなく」に変更し、編集者の知恵も借りて、読者への手紙に次のような理由を書き添えて、大紀元新聞を購読するメリットをもっとアピールすることができました。

• 大紀元は、利益のためでなく、読者のために存在する。

• 大紀元は、読者に真の情報を提供するだけではない。もっと大切なのは、読者に希望を与えること。

• 大紀元は、全世界に多くの不幸をもたらした共産主義の邪悪さを暴露することに力を尽くす。

 善を修める

 良好な修煉状態は、大法の仕事を良くするための基礎です。私は学法(特にグループ学法)、発正念煉功をとても重視しています。しかし、今年の2月以降、体調がおかしくなりました。お腹がいつも張っていて、ベルトがきつくなるほどでした。私は発正念を以前より重視することにしました。時間が許す限り、毎朝45分以上の発正念をしたのです。真剣に内に向けて自分の不足も探しました。

 (1)嫉妬心が見つかった

 毎日の仕事が忙しく、自分の修煉についてじっくり考える時間をなかなか作れませんでした。今度こそ、表面から深層まで自分の執着心を一つ一つ探してみました。最初に見つけたのは、私は周囲の同修と物事に対して強い観念を持っている、ということでした。

 「人間が最も放下し難いものは観念であり、甚だしい者は、偽りの理のために命を投げ出しても変えようとしませんが、この観念自体は後天的に形成されたものです。人は自ら考えることもせず、それどころか、惜しむことなくすべてを投げ出しても、疑問を感じないその考えを自らの考えと思い込み、真理を目にしても排斥してしまいます。実のところ、人間は先天の純真さ以外、一切の観念はみな、後天的に形成されたもので、自分ではないのです」[2]

 修煉において、どれが観念か、どれが先天の純真な自分かをはっきり見分ける必要があると分かっていながら、日常生活での私はよく「観念」を本当の自分のように思い、同修や家族と喧嘩したりします。修煉者は真、善、忍の真理に従うべきで、偽りの理に従うべきではありません。観念が強い時は「自分が正しい」ことをどうしても証明したくなり、頑に周囲の人を私の言う通りにさせようとしたので、多くの反感も買いました。師父は私に多くの改める機会を下さったのですが、私は自分の観念を長年にわたって固守してきました。

 大手通信企業の中には、広告を配信させてくれなかったり、メール配信機能を突然中止したりして、大紀元を妨害する会社もあります。そこで大紀元社は、独自のシステムとプラットフォームを開発する計画を立てました。その計画に基づいて、私は一昨年から高度な技術を持つ同修とコンタクトを取っており、システム開発に協力するようにお願いしました。躊躇せずにすぐニューヨーク本部に来た人もおり、リモートワークで手伝う人もいる一方で、今は参加できないと返答する人もいました。

 昨年来、私は多くの時間をかけて彼らと交流し、大紀元本部に来てフルタイムで仕事するように望んでいました。しかし、彼らはいろいろな理由で断りました。その理由とは、家庭の事情、若しくは今在籍している会社はもうすぐ上場して待遇がだいぶ良くなる、若しくはもうプログラムを書きたくないから顧問になって指導だけをしたい、などなどです。中には、大紀元の実力を信じることができず、独自のソーシャルプラットフォームを作ることなど、きっとできないと思う人もいました。私が説明した計画を信じられず、実現できない夢だと言う人もいて、私の電話には出ない人もいました。オフィス見学の招待を何度も断った人もいました。

 一方で、私の電話を受けて状況説明を聞き、「大紀元では高度な技術力を持つ人材を必要としている」と聞くとすぐプロジェクトに参加する同修もいました。このような同修に私はたいへん好感を持ち、断った同修に対して私は一種の 「恨み」を抱えました。

 私は内に向けて探しました。私の観念の背後には、一体どのような執着心が存在しているのでしょう。私はとうとう、あれは嫉妬心だと気づきました。20年前、私は給料の良い仕事を辞め、安定した収入、快適な生活、持ち家などを放棄しました。自分ではお金持ちに嫉妬心を抱くとは思っていなかったのですが、明慧ネットの嫉妬心についての交流記事を読んで、自分にも嫉妬心が多く隠されており、気づきにくいのだと分かりました。

 「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」[3]

 大統領選挙の後、どの党派であれ、私は政治家への興味が薄くなりました。2000年の頃に比べて、衆生を救い済度する意欲はそれほど強くありません。しかし実は大紀元の社員として毎日仕事をするだけでは不足があり、衆生を救い済度することに非常に強い使命感を持たなければならないことも分かっています。今の弛んでいる状態はどうしたことだろう? 私は、嫉妬心のせいだと気づきました。政治家らは私たちの救済を待っているのであり、どうして彼らに嫉妬して、彼らにあれこれしてほしいと期待するのでしょうか。政治家はあれこれ行っているのに、どうして私たちの新聞社のために何もしなかったのだろう? 不公平と思い、心のバランスが取れなくなって彼らに失望したりします。これは、すべて私の嫉妬心が引き起こしたものです。

 以前読んだ明慧ネットの交流文章は、私に嫉妬心のもう一つの現れを意識させました。その文章の筆者は「これらの執着心には共通の根源があることに気づいた。それはつまり私心で、自分のことを『最も良い』と思っている。自分が『最も良い』ので、他の意見に耳を傾けたくなくて、他の人が自分より優秀だという事実も受け入れられない」と書いていました。

 私の場合、自分は会社のベテランだと自惚れて、若い従業員や新入社員は少なくとも私に尊重の意を示すべきだと思っていました。私は経験も豊富で、いくつかの重要な管理職も兼ねています。そして私が担うマーケティングや購読者を増やす仕事は、他の仕事よりも重要だと思っていました。私のチームの業務は会社により多くの収入をもたらすことができ、その収入でもっと多くの人を救うことができます、などなど。こうした傲慢な気持ちで仕事をしていたので、怒りっぽくなって、同修と口論になったり、ミスをした同修に不満を持ったりしていました。

 嫉妬心の表れは、一種の「悪」だと思います。相手の問題を指摘する時も、「悪」の態度で指摘するのです。例えば、遅刻する同修に「時間通りに来てください」と注意しても、効果がありません。なぜなら注意する時に嫉妬心を持っていて、真心を込めて寛容な態度で彼らとコミュニケーションをとることができないからです。

 (二)党文化を取り除いてこそ、はじめて善が出てくる

 私は大紀元新聞社の発展に大きな目標を持っていましたので、才能のある同修が早く大紀元に加入してくれたらいいなといつも思っていました。法理に対する悟りはまちまちなので、能力があって経済的に自由な同修全員に、私の願いどおりに大紀元でフルタイムで働いてもらうことは不可能です。経済的に自由であっても、必ずしもメディアに入りたいとは限りません。

 私の身に残っている党文化は、次の事例からも窺えます。昨年に電話で弟の妻に真相を伝えて「三退」を勧めた時の事です。私は30分ほど話し、最後に「三退」するかどうかを聞いたところ、「考えてみる」と答えました。残念に思い気分も悪くなり、これ以上話したくありませんでしたので、電話を切りました。

 部屋を出て、妻に弟の妻が「三退」をしたがらないと話しました。しかし私は真相を伝えることを任務を果たすかのように思っており、心から慈悲を持って救いたいと思っていたわけではありませんでした。弟の妻に真相を伝える過程は、得意先で営業活動をする時間よりも短かったのです。その時、頭の中に「毎日忙しいところを、こんなに長い時間かけて真相を話しているのに、まだ『三退』をしないなんて、本当に頑固だな」と言う声が聞こえてきました。

 これまでを振り返ってみると、私には多くの観念があることに気づきました。観念の背後に何があるのでしょうか。嫉妬や恨み、不平不満、文句、魔性、党文化です。さらに考えてみると、長年の修煉で「善」が欠けていたことに気づきました。私の善良さは様々な観念、魔性、党文化に覆われて、表わすことができなかったのです。

 中国から来たばかりの修煉者は、濃い党文化を帯びていると師父は仰っておいでですが、アメリカに来て28年も経った私は、自分を党文化を帯びるている部類と考えたことがありません。しかし妻や他の同修は、私は党文化を帯びていると言っています。

 『中国共産党についての九つの論評』、『悪魔が世界を統治している』は読んだことがありますが、『党文化の解体』を読んだことがありませんでしたので、読んでみることにしました。本と照らし合わせて、自分は隠蔽しがちで、非常に細かい党文化が多くあることを発見しました。例えば、自分は規則に従わなくても大丈夫だろう、大したことはない等と、いろいろな言い訳をします。常に自分の意見が正しいと思い、言い争う時には相手を圧倒するために声を大きくします。声が大きければ大きいほど自分が正しく見えると思ったからです。自分が正しくて相手が間違っていることを証明したい気持ちがとても強いのです。人の話に耳を貸さない時もあって、相手の話を途中で遮っていることにも自覚がありませんでした。自分の計画が最善だと考えて攻撃的な態度となることもありますが、一方、本当の目的を隠すために遠まわしな話し方をする時もあります。自分の計画はすべて衆生を救う立場からであり、自分の計画に賛同しない人、例えば本部のフルタイムの仕事を断った同修は間違っていると思ってしまいます。

 党文化の現れは、他にも多くあります。例えば、ある事について、相手に確認もせずに相手が間違っていると思い込むことがあります。相手のところに行って事情を聞いたり確認するのではなく、いきなり文句を言うこともありました。心の中で相手が間違っていると判断したので、穏やかに会話するのではなく、白黒をつけろというスタンスになってしまうのです。

 自分の観念を一つ一つ取り除いて、相手のために考えようとする努力を始めました。相手が納得するまで強要してはならないという道理を、私はやっと認識できました。執着心を捨てられるかどうかは彼自身の修煉の問題であり、私は、ただ自分自身をよく修めるだけです。他人に強要するのは一種の党文化であり、「独裁」であると私は認識しました。

 今の私は、日々の仕事の中で平常心を保つことができ、相手を尊重できるようになりました。大紀元でフルタイムで働く要請を拒否されても、私の心はもうそんなに苦しくありません。毎日長い時間発正念をしているので、師父のご加持もあり、お腹が張る「症状」もだんだん軽くなり、仕事に専念できるようになって、他の面での妨害も少なくなりました。

 新聞社で一生懸命働くだけでは修煉とはなりませんが、大紀元社の環境は、私に与えられた修煉の機会です。私は、心が広くなくてはなりません。もし同修に寛容になれなかったら、どうやって常人を救うことができるでしょうか。

 徐々にですが、無私の人間になる方法を学んでいます。20年前に仕事を辞めたからといって、私がもうお金に執着していないとは限らず、他の同修も自分と同じように仕事を辞めなければならないというわけでもありません。和やかで慈悲の気持ちで相手とコミュニケーションしてこそ、誤解を減らし、旧勢力がつけ入る余地を無くすことができるのです。社歴が長いというのも、きちんと自分を修めなくても良い理由にはなりません。ずっと修煉の中で謙虚な人として、心性を高めていきたいと思います。

 私は怒りっぽくて善意が足りないのですが、この面で自分を高めて、寛容と親切を身につけたいと心から願っています。大紀元社で働いている皆さんに心から感謝しています。特に快適な生活、常人社会での出世と夢、そして多くの常人社会の中の美しいものを放棄して大紀元社に加入した若い同修に感謝します。一緒に働く聖なる縁を大切にして、皆と一緒に大紀元社をより良く運営して、より大きな役割を果たし、より多くの衆生を救いたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地講法十』「大紀元会議での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「誰のために存在するのか」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進の要旨』「境界」

 (2021年国際ネット法会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/15/427007.html)
 
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